新入生を交えての3対3の試合も無事に終わり、新しい烏野高校排球部がいよいよまわり始めた。
もちろん、何も問題がなかったわけではないことはよく分かっている。菅原と共に澤村を労った清水潔子は、彼らの努力に負けないよう気持ちを新たにして、マネージャーの仕事をてきぱきとこなしてゆく。

そんな中、潔子はドリンクのスクイズボトルを洗うための洗剤がなくなりかけていたことを、ふと思い出した。もしかしたら、今日の片付けで足りなくなるかもしれない。
潔子は部員たちの様子を見てタイミングをはかると、澤村に一声かけてから坂ノ下商店に向かった。

烏野高校のマネージャーたちは、仕事に必要なものが足りなくなると坂ノ下商店へ買いに行く。もちろん少し遠くにあるドラッグストアの方が安く買えることは間違いない。しかし消耗品が不意に切れてしまったときなんかは、時間の都合もあって、やっぱり近場の坂ノ下を頼ってしまうのだ。

硝子の扉を引き開けた潔子は、慣れた足取りで日用品の棚へ向かうと、いつもの食器用洗剤を手に取った。そしてカウンターへ進もうとそちらに視線をやったのだが、
そうしてはじめて、潔子はそこに誰もいないことに気がついた。

それは田舎の個人商店ではよくあることだったし、潔子もこういう状況に出くわしたのは初めてではなかった。しかし、この時の彼女は部活を抜けてここに来ていたのである。つまり、少しだけ急いでいたのだ。
普段ならば気長に待つところだが、そういうわけにもいかない。やや足早にカウンターに近付くと、少しだけ背筋を伸ばして店の奥を覗き込む。奥にも誰もいないのかしら、と首を傾げたその時、

「わ、すみません! 今お会計しますね!」

そんな慌てた声が、後ろから聞こえてきた。
振り返って声の方向を見やる。潔子の視線の先にいたのは、竹ぼうきを店の外壁に立てかけて慌ててこちらへ駆けてくる、小柄な女の子だった。彼女の足がせわしなく動くのに合わせて、少し長い鳥の子色のエプロンの裾がひらひらと揺れる。潔子はそれを見ながら、この子が田中や菅原たちの噂していた坂ノ下の天使なんだな、と思った。
外の掃除をしていたらしい彼女はカウンターの奥に入ると、急いで手を洗い、くるりとこちらを振り返って「お待たせしました!」と申し訳なさそうに言ってぺこりと頭を下げた。それから潔子の手から洗剤を受け取り、レジに通す。

「えと、155円です」

潔子は部員たちの会話を思い出しながら、彼女の仕事ぶりを見つめる。噂では結構仕事にも慣れているようだったけれど……目の前の女の子の手つきは、聞いていたよりも、いささかどたどしい。
もしかして、お客さんを待たせてしまったことに慌ててしまい、焦る気持ちがかえってその手を鈍らせているのだろうか?

彼女のその姿は、潔子に懐かしい記憶を思い出させた。……二年前、マネージャーになったばかりの自分も、こんな感じだったなあ。
新しい仕事に慣れてきた頃というのは、急な出来事や些細なミスにペースを乱されると、焦りのせいで今までできていたはずのことが途端にできなくなってしまうものである。今ではどんなトラブルにも華麗に対処できる潔子にも、そんな時期があったのだ。

潔子はかつての自分に苦笑めいた笑みを浮かべると、小さくふっと息を吐いた。それから、おそらく彼女を焦らせる原因になってしまったであろう自身の焦りを落ち着ける。
差し出された商品とお釣りを受け取った潔子は、急いたような声で「お待たせしてすみませんでしたっ」と謝った彼女に、穏やかな口調でこう言った。

「ううん、こっちこそ急かしてごめんなさい。お仕事、これからもがんばってね」

眼鏡の向こうの漆黒の瞳が柔らかく細められる。潔子の美しい微笑みに彼女が見とれていたのは数秒のこと。

「はい、ありがとうございます!」

すぐに彼女の顔にも笑みが広がった。大きな瞳をきらきらと輝かせて、春の太陽のように笑う坂ノ下の天使。それを見た潔子は、彼女の笑みは元気をくれるという噂は本当だったんだな、と思った。
きっとこの子は、すぐに一人前になるだろう。あの日の自分に負けないように、今の私もちゃんと成長していかなくちゃ。




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