モブリット・バーナーが初めてその兵士を見かけたのは、第34回壁外調査でのことだった。
ウォールマリア奪還のためのルートを模索し、簡易兵站拠点を築くことを目的としたその遠征で、当時、10班――つまり荷駄隊の補給係として働いていた兵士のひとりが、ナマエであった。

壁外遠征における荷駄隊の任務は、大きくわけてふたつある。ひとつは、兵士たちの命を繋ぐ物資や簡易兵站拠点に設置する物資を確実に調達、管理すること。もうひとつは、遠征の帰路において、物資を拠点に設置して空になった荷馬車に、死傷者を収容して壁内へ連れ帰ることだ。

件の第34回壁外調査は、兵士になったばかりの102期訓練兵の初陣であった。本来であれば、行って帰るだけだった短い遠征。しかしそれは、様々な不幸が重なった結果、エルヴィン団長の提唱した長距離索敵陣形を採用して以来最大の死傷者を出す結果となってしまった。
欠損の激しい遺体や回収不能の遺体が数多くあったにもかかわらず、集められた遺体は山積みだった。行って帰るだけの遠征は、物資も少ない。おそらく荷馬車の数も最低限しか用意されていないだろう。巨人によって無残に食い荒らされた仲間の遺体に麻布をかけてやりながら、モブリットは眉間に皺を寄せた。とてもではないが、彼らを全て遺族のもとへ連れて帰ることはできないように思われたのだ。

そんな時に聞こえてきたのが、彼女の声だった。初めて聞いた彼女の言葉は、どうということもないただの指示であったが、モブリットの記憶に不思議とよく残っている。

「では、遺体は8番から12番の馬車に積んでください」

慌ただしく入り乱れる靴音と馬の低いいななきの中でもよく通る、澄んだ声だった。彼女の声を合図に、激戦を生き残った新兵たちが先輩の、そして、つい先日まで訓練兵団で寝食を共にしていた同期の遺体を、荷台に積み始める。
モブリットは布をかけてやった仲間の遺体から顔を上げると、声のした方に視線をやった。凛と通るその声に惹きつけられたというのも、彼が思わず振り返ってしまった理由のひとつではある。しかしそれ以上に彼が気になったのは、12台という馬車の多さだった。行って帰るだけの遠征に、そんなにも多くの馬車に積まなければならないほどの荷物が必要だとは、どうしても思えなかったのだ。

モブリットの視線の先にいたのが、ナマエだった。小さな手帳にペンを走らせながら兵士たちにてきぱきと指示を出す彼女。彼女の向こうには、確かに10を超える車影が見えた。

モブリットが彼女を、そしてその向こうにある馬車を見ていたのは、時間にしてみればわずか数秒であった。
ゆえに、そのわずか数秒の間に手帳からふと顔を上げたナマエとモブリットの視線が重なったのは、稀有な偶然であったと言えるだろう。

モブリットの視線に気付いたナマエは、その場で勢いよく敬礼をした。そして、「あと10分ほどで作業完了します」と、兵士らしい淀みない口調で言った。
どこまでもてきぱきと仕事をこなすその様子に感心しつつ、モブリットは彼女に歩み寄る。そして、思っていたことを率直に口にした。

「今回、馬車を12台も用意していたんだな」

それは、運搬するべき物資と馬車の数が見合っていないのではないか、という些細な疑問を含んだ微妙な言い回しであったが、ナマエは勘がいいようで、すぐにモブリットの真意を見抜いてこう返答した。

「兵站の基礎は、必要なものを、必要な場所に、必要なだけ用意することです。仲間の遺体を搬送するのに必要になる馬車の数を予測し用意するのも、我々補給係の仕事のひとつです」

眉ひとつ動かすことなく、どこまでもまじめな返答をしたナマエ。
もしもこの時ここで口をつぐんでいれば、彼女はまた違った運命を調査兵団で歩んでいたのかもしれない。少なくとも、今後第4分隊の副長に昇進し、意図せず彼女の進退を決めてしまうことになるモブリットが、彼女のことを鮮明に記憶に刻むことはなかっただろうから。

「まあ、棺桶屋のような嫌な仕事だと言う者もおりますが」

きりっとした印象の双眸を僅かに歪めて、よく通る声を少しだけひそめて、ナマエはそう言った。睫毛の影が瞳の中に落ちて、不思議な陰影を作り出す。
巨人の支配する領域で彼女が見せたその表情に、モブリットが目を奪われたのは刹那。彼女はすぐに兵士らしい顔に戻ると、「すみません、無駄話が過ぎました」と短く謝った。

この手際のよい、まじめな補給兵が一瞬だけ見せた憂いを帯びた表情。その奥にあるものを想像することは、同じ調査兵であるモブリットには難しくなかった。
大切な仲間を壁内まで連れて帰るために、その死を予想しなければならない矛盾に苦しんでいたのかもしれない。仲間の遺体を持ち帰る、彼女の言葉を借りるのであれば“棺桶屋”である荷駄隊が長距離索敵陣形の中で最も手厚く守られる現状についてなにか思うところがあったか、あるいは誰かに何かを言われたことがあったのかもしれない。
その他にも思い付く理由はいくつかあった。しかし、そのどれもが、どういうわけだかしっくりと来なかった。彼女のあの瞳の奥には、もっと別の何かがあるのではないか。モブリットにはそう思われてならなかったのだ。

しかし、モブリットがその答えにたどり着くことはなかった。遺体を積載していた兵士のひとりが、彼女のことを呼んだので。

「ナマエさん、質問があるのですが……」

遺体の血で兵服を汚した若い男の声に反応したナマエは、モブリットに暇乞いをするような視線を投げかけた。モブリットがそれに小さく頷くと、彼女は目が合った時のような美しい敬礼を残して、きびきびとした歩調で去っていった。

若い男の口にしたナマエという名前が、モブリットの記憶に刻まれる。彼はもう一度だけ彼女の仕事ぶりを見遣ってから、自分の班が哨戒する左翼側へと足早に戻っていった。




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