勤勉でまじめな部下に移動の話が持ち上がったのは、第53回壁外調査が終わって事後処理も落ち着いてきた頃のことだった。
モブリット・バーナーはそれを、ハンジ・ゾエの口から聞かされた。移動先は、なんとリヴァイ兵士長率いる特別作戦班だという。巨人との戦績をもとに選抜される特別作戦班にどうして彼女が? そう思ったモブリットがその疑問を口にすると、ハンジはやや申し訳なさそうに事の顛末を語った。

「ほら、リヴァイのとこって、どうしても討伐数重視で人員を選ぶでしょ? だから、事務仕事の方がちょっと、おろそかになっちゃうんだよね」

第4分隊の事務効率の良さや、ハンジの口から語られるナマエの仕事ぶりを鑑みて、リヴァイは自分の班の事務処理能力を向上させるために彼女を名指しで指名したらしい。

「まあ率直に言うと、私が自慢しすぎたせいで目を付けられちゃったってことなんだけどさ……」

ここ数日風呂に入っていないせいでべたつく頭をかきながら、ハンジは続けた、「モブリットの異論がなければ、近いうちにナマエに話がいくんだけど……どうかな?」

直属の上官である自分の意見が重視されるようであったが、モブリットはその時に異を唱えることはしなかった。むしろ彼女のような人材は、自分のもとにいるよりも、リヴァイのような兵団にとってより重要な者の下にいる方が自然なように思われたからだ。モブリットはハンジに了解の意を伝え、この話は終わりとなった。
――少なくともこの時は、そう思っていた。

確かそれは、ハンジと彼女の移動について話してから5日後のことだった。ハンジは先の壁外調査に関する最終会議に出ていたため、執務室にはモブリットとナマエのふたりしかいなかった。会議が長引いたようで、窓から夕日が差し込む時間になってもハンジは戻ってこなかった。
ふたりぶんのペンの音だけが満ちる執務室に、ふと、彼女の声が小さく響いた。

「副隊長、」

彼女はぴんとはりつめたような声で続けた、「少しお時間を、よろしいでしょうか」
モブリットが頷くと、彼女はペンを置いて彼の方に向き直る。そして、あの気高く真っ直ぐな眼差しをモブリットに向けながら、「分隊長より、特別作戦班への移動の打診をいただきました」と言った。

モブリットはそれに、またも頷きを返す。

「私の一存では決めかねますので、上官である副隊長のご判断を仰ぎたいのですが、いかがでしょうか」

どこまでも真っ直ぐなその瞳は、夕日をいっぱいに取り込んで不思議な輝きを放っていた。今までに見たことのない、まるでなにか探るような強い眼差しが、モブリットに向けられる。

彼女の視線を正面から受け止めながら、モブリットは静かに思案していた。自分はもう既にハンジに了承の意を伝えてある。だとすれば。ハンジがそれを彼女に伝え忘れたと考えるのが妥当であろう。だから彼女は今、このような確認を口にしているのだ。
しかし、この時のモブリットは、それは誤りであると直感的に判断した。根拠があるとすれば、それは彼女のこの瞳だった。モブリットは鮮やかに輝く瞳を見ながら思った、自分はこの瞳の色を、決して忘れないだろうと。そして、モブリットが彼女の瞳に惹かれるとき、彼女は決まって仲間の死を見つめているのだ。

兵団のためを思えば、彼女は自分のもとではなく、リヴァイのような特別な男のもとで働くのが相応しいのだろう。
だが、それはきっと彼女のためにならない。前線で出兵すれば、きっと彼女はすぐに死ぬ。事務処理専門として壁内に留まるという選択肢もあるだろうが、おそらく彼女はそんな生き方は望んでいない。モブリットは確信を持ってそう思った。なぜならば、実力は凡庸、そのくせ責任感だけは強く、加えて勤勉な兵士の考えることは、ハンジやリヴァイよりも、彼自身がそうであるモブリットの方がよく分かるからだ。

モブリットは彼女の眼差しを真っ直ぐに捉えたまま鋭く息を吸うと、意を決して口を開いた。かつて、ハンジに部下が欲しくないかと尋ねられ、そうと知らずに彼女の進退を決めてしまったことがあったが、今度は違う。自分の意志で、彼女の運命を変えるのだ。

「決めるのはあくまで自分自身だが……、ナマエの長所を活かせるのは、兵士長のもとではなく第4分隊だと、俺は思ってるよ」

はたしてこの言葉は、モブリットの心からの言葉であったのか、それとも彼を見つめるナマエの強い眼差しによって紡がれた彼女のための言葉であったのか、それはもうよくわからない。
ただ、それを聞いたナマエは静かに瞑目すると、「わかりました」と言い、それで会話は終わった。後日、ハンジから、彼女は移動の話を断ったと聞いた。




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