第57回壁外調査は、近年稀に見る大敗を喫した調査となった。甚大な犠牲を払ったにもかかわらず女型の巨人を取り逃がしてしまった調査兵団は、大量の遺体を馬車の荷台に積んでカラネス区を目指していた。

荷馬車のほとんどは女型の巨人の捕獲を試みた巨大樹の森に破棄してしまったため、少ない馬車に大量の遺体を積まねばならず、荷駄隊ならびにそれを任された兵士たちはやや苦労したようだった。
モブリット・バーナーはそれを見ながら、もしもナマエが荷駄隊にいたらこうなることを見越した準備をしてきたのだろうかと考えかけ、すぐに意味のない思考だと思い、考えるのをやめた。

……そう。もしも、なんて考えても仕方のないことだ。もしもハンジ・ゾエに部下が欲しいか聞かれた時に、彼女のことを話していなかったら。もしも彼女にリヴァイ兵士長のもとへの移動の話が持ち上がったときに、彼女の背中を押していれば。そんな思考実験をしたところで、現実が変わるわけではないのだから。

カラネス区への帰還では、索敵陣形を展開するだけの人的な余裕がなかったため、簡単な縦陣がとられた。モブリットは、ハンジの後ろをナマエと共に並走していたのだが、不意に、後尾から信煙弾の上がる音がした。必要最低限の動きで振り返って、色を確認する。案の定、赤だった。
誰かが「後列が巨人を発見!」と叫ぶ。それを聞いたハンジは、上体を大きくねじって後ろを振り返った。抑えきれない好奇心から、巨人の姿をその目に焼き付けようとしたのだった。いつも危なっかしい上官に振り回されてばかりだったモブリットは、そんなハンジに「分隊長! 危険です、前を向いてください!」と声を荒げる。

その時、ハンジは後方の巨人に気を取られていた。モブリットは、そんな上官に気を取られていた。だから、丁度ハンジたちが通り過ぎようとしていた近くの茂みが風もないのに揺れたことに気付けたのは、ナマエだけだったのだと思う。

「分隊長っ、」

いつも冷静な彼女の慌てたような声が耳に届く。
そこから先は、本当に一瞬だった。

振り向いた先の茂みから、小型の巨人が現れた。巨人はどうやら真っ直ぐハンジに狙いを定めていたらしい。小柄ゆえの素早い動きで、巨人の手がハンジに迫る。
しかし、その手がハンジに届こうとしたその時、既に立体機動装置を使って動き始めていたナマエの刃が、その手を綺麗に切り落とした。モブリットが、やった、と思った次の瞬間、
巨人が目にもとまらぬ動きでナマエの胴体に噛みついた。馬の蹄がたてる地響きの向こうに、彼女の骨が折れる甲高い音と、肉を咀嚼するくぐもった音が聞こえたような気がした。

痛みと絶望から、いつも精悍な彼女の顔が激しく歪む。モブリットは部下を助けるべく、すぐにグリップに手を伸ばしかけたのだが。
結果から言うと、モブリットは立体機動装置を使うことはなかった。グリップを握るまでの、ほんの一瞬。そのわずかな間にモブリットと視線が重なった彼女の唇が、こう言っていたからだ。

「分隊長を」

次の瞬間、小型の巨人はまだ意識があるらしいナマエを咥えたまま、踵を返して走り去っていった。奇行種だった。
ハンジはその背中を追おうと慌てて手綱を取ったのだが、モブリットはほとんど反射的にそれを制した。

「分隊長! 行ってはだめです!」

索敵陣形がとれない以上、危険がどこに潜んでいるかわからない。しかも、自分たちは今、後ろから10メートル級の巨人2体に追われているのだ。もたもたしていると、もっと多くの巨人が集まってくるに違いない。こんな状況で戦闘なんて、するべきではない。今すぐ追いかければ彼女を助けられるかもしれないけれど、それでも、そうするべきではない。

ハンジは眉間に深い皺を刻みながら「でも!」とモブリットに抗議をする。しかしハンジは、振り返った先の部下の顔を見て、言葉を飲みこむことにした。
この時の自分がどんな顔をしていたのかはわからない。知りたいとも思わない。モブリットは全速力で逃げ切ると指示を出したエルヴィン・スミスに従って、ただただ馬を駆った。

なんとかそれ以上の犠牲を出さずに、調査兵団はカラネス区に帰還することが出来た。
モブリットは門をくぐるなり、外門の見張りをしている駐屯兵をつかまえて、行き別れてしまった仲間がいることと、もしも彼女が自力でここまで帰ってきたときは早馬で知らせて欲しいことを、よくよく頼んだ。
それから5日が経ち、10日が経っても早馬は来なかった。第57回壁外調査から二週間が過ぎ、ナマエは行方不明として処理されることが決まった。




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