モブリット・バーナーがかつての部下の遺族を訪れ、彼女の死亡を伝えることが出来たのは、ヒストリア・レイスが女王として即位し、ようやくまとまった時間がとれるようになってからだった。
遺体を持ち帰ることが出来なかった兵士は、なんとか生前の遺品を集めて遺族に返還することになっているのだが、彼女の場合、唯一遺品たりえそうな日記帳に機密事項である調査兵団の備品管理に関する事項が記されていたため、遺族に返せるものは本当になにもなかった。
彼女の両親は、モブリットの語る娘の最期を静かに聞き、涙した。そして、彼女を見捨てて上官を生かすことを選んだモブリットに「本当に、ご苦労様でしたね」と言ったのだった。
その帰路で、モブリットは初めて彼女と言葉を交わした時のことを思い出さずにはいられなかった。棺桶屋と嫌味を言われながら、それでも仲間の遺体をなるべく多く持ち帰るために苦心していたナマエ。おそらく彼女は、遺族にとってその体が帰ってくることがどれだけの慰めになるのかを分かったうえで、その仕事を懸命にこなしていたのだろう。
しかし、そんな彼女が最後に選んだのは、自分の体を親元に返すことではなかった。彼女にその選択をさせた原因のひとつはきっと自分にあるのだろうと、モブリットは思っている。それは、彼女を第4分隊に引き入れたのが、他でもない自分だからだ。結果、彼女はモブリットに、そしてモブリットの上官であるハンジ・ゾエに、その心臓を、いや、心臓だけでなく体を全て、捧げることになったのだ。
もしも自分が彼女を第4分隊に引き入れなければ、彼女はもしかしたら今でも補給兵として調査兵団を支えていたかもしれない。そんな風に考えて、少し後悔していた時期もあった。
しかし、今になってみれば、だ。もしもあの時自分が彼女を見つけ出さなくても、誰がかその才覚に気付いて補給班から引き抜いていただろう。そして、モブリットの預かり知らないところで命を落としていただろう。
……だから、そうなるよりは、よかったのだと思う。少なくとも自分が、彼女の遺志を継ぐことが出来たから。
あの日、彼女を助けようとグリップを握りかけてやめた右手で、モブリットはハンジ・ゾエの背中を押していた。バランスを失ったハンジは、モブリットのもくろんだ通り、井戸に向かって真っ直ぐに落ちてゆく。
遠ざかってゆくその背中を見ながら、モブリットは頭のどこか奥の方でナマエのことを思い出していた。出会った日から別れた日までを思い返しても、常に真面目に仕事に取り組んでいた自分たちの間に思い出と呼べるような思い出なんてなかったせいで、蘇ってくる記憶は走馬灯と呼ぶにはいささか貧弱だった。しかし、モブリットにはあまり時間が残されていなかったので、むしろ思い出が少なかったおかげで彼女との全てを思い返すことができたのもまた、事実である。
記憶の中の彼女の眼差しは、相変わらず鮮やかな憂いを湛えていた。
以前は、仲間の死を見つめているのだと思っていたが、今ならばわかる。彼女は仲間の死の先にある、彼らが守った誰かの生を見ていたのだ。大切な人を亡くして、それでも彼が守った世界で生きてゆかなければならない誰かのことを、憂いをもって見つめていたのだ。
だから彼女は、棺桶屋と呼ばれてまで仲間の遺体を持ち帰ろうとしたのだろう。遺される者が少しでも心穏やかにいられるように。
彼は上官の背中を見つめながら、そして記憶の片隅でいつかの彼女の眼差しを思い出しながら、祈った。どうか、ハンジさんが無事でありますように。自分が、そして彼女がいない世界で、少しでも心穏やかに過ごせますように。
視線の先の上官が、上体をねじってこちらを振り返る。ああ、あなたはまたそんな余計なことをして。それでは、井戸にたどり着くまでに余計な時間がかかってしまう。その数秒が生死を分けるんですから。
死を覚悟した体の芯は氷のように冷たいが、その頬に感じる風は真夏のような熱を帯びている。超大型巨人の起こした爆風が、すぐそこまで迫っているのだとわかった。モブリットはハンジの目を見ながら、強く念じた。どうか、どうか間に合ってくれ。
自分にできる最善の手を尽くした男に最期に許されたのは、祈ることだけだった。
ハンジさん、どうか生きてくれ。自分と彼女の命よ、どうか無駄にならないでくれ。
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