私にできることはもうひとつしかなかった。
この戦いの仕組みを恨んでも、なにも始まらない。私はきっと、王の器ではなかったのだ。
私は素早く身支度を整えてパートナーの家を出た。昨晩の戦いで取り逃がした白い獣型の魔物がまだこの辺りをうろついているかもしれない。私が奴らに見つかったら、彼の家族に危険が及んでしまう。それだけは何としても避けなければならなかった。
まだ日の昇る前の薄闇の中、私は彼の気配を探して町中を駆け回った。敵の気配に神経を尖らせながら街を抜け、今まで行ったこともなかった森の中まで足を延ばす。最後の希望にすがってはみたものの、やはり私が探知できる距離に彼はいなかった。
東の空が急速に明るくなり始めたのに気付いた私は、はたと足を止める。
それから私は、彼を見付けられるかもしれないという一縷の望みを捨てて、石畳の道を港へ向かって歩きだした。
日の出の早い今の時期なら、これから港に向かえば朝一番の船には何とか間に合うはずだ。
パートナーも本もないばかりか、私を狙う魔物がいるこの街にはいられない。もう彼はいなくても、ここは彼の生まれ育った街なのだ。私のせいでこの街に悲劇が訪れるようなことだけはあってはならない。
私はほんの少しの荷物の入った小さな鞄を背負い直す。
この鞄の中に入っている旅の荷物は、全てこちらに来てから彼に貰ったものだった。小さなぬいぐるみがひとつと、身なりを整えるいくつかの道具、それから少しのお金。どこの誰とも知れない私に、妹のように接してくれた優しい人だった。
思わず下げた視線の先で、道端にちらほらと咲いている白い花が風に揺れていた。あの人が好きだと言っていた、名前も知らない花。その透き通るような花弁が、私に別れを告げるようにひらひらと揺れる。
港に近付くにつれて濃くなっていく朝霧が、昨晩から走り続けて火照っていた体をじんわりと冷ましてくれる。
次第に冷静になっていく頭は、自然とこれからのことを考えはじめた。パートナーと本を失った魔物の子が選べる選択肢は多くない。私の外見が人間にかなり近いことは幸運だったと言えるだろう。いざとなれば、人間に混じって働いて生きていくこともできるはずだ。
――そうなると、問題がひとつ。
町の北端にある港にたどり着いた私は、太陽の光を受けて目を覚ましつつある海を眺める。
私にどんな運命が降りかかろうとも、この景色は変わらず美しい。潮のかおりのする空気を深く深く吸い込む。これをゆっくり全部吐き出したら、私は色んなものへの未練を断ち切ろう。そう思いながら、吸って、吐いた。
私は鞄から小さな鋏を取り出す。
同じ魔物からいかに隠れるかが、私にとって一番の問題だった。
魔力が漏れだすことの無いように注意を払うのは勿論だが、もうひとつ、私のこの長い白髪も魔物たちの間では有名だった。
彼に貰った鋏を、髪に押し当てる。
……伸ばしていたんだけど、仕方ないか。
私が右手に力を込めた瞬間、港に入港してきた客船が低く汽笛を鳴らして朝を告げた。
ミスターユングフラウの憂鬱
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