煤けた灰青色の髪の魔物は、その全てにおいてバリーを苛立たせた。
名前を名乗らないこと。パートナーと本を隠していること。魔物だけの力でパートナーのいるバリーに挑もうとしていること。覇気のない表情、声変わりもしていない幼く細い声。それになにより、素早さにも威力にも自信のあったバリーの術を易々と躱した身のこなしと、愕然とするバリーに向けられた深い愁いを宿す紫苑の瞳。

少年はバリーの挑発にも応えることなく寡黙を貫いてはいたが、その眼差しは非常に饒舌だった。バリーの攻撃を躱す時の瞳は静まりかえった湖のようで、バリーの術などまるで脅威ではないと言っているかのようだった。また、グスタフにもっと強い呪文を唱えるよう言ったバリーに向けられた無表情な瞳は、そんなことに意味はないのに、とバリーを蔑んでいるように感じられた。そしてバリーの最大呪文をもあっさりと躱した少年は、肩で息をするバリーをちらりと見遣って、静かに瞑目した。屈辱的だった。

苛立ちを抑え切れなくなったバリーは「何故だ!」と吠えた。いつもならば怒鳴り散らすバリーを窘めるグスタフも、今日は口を閉ざしたまま、猛るバリーの背中を見るに留めている。

「どうして本気を出さねぇ!?」

バリーは、自分と少年の間にある歴然とした力の差に気付いていなかったわけではない。この少年の秘めた力の大きさも、それが自分に向けられた時に確実に勝利できる保証はないことも、それどころかもしかしたら、敵わないかもしれないことも、バリーは直感的に理解していた。ただ、自分に勝ち目がなかったとしても、明らかに手を抜かれていることが心底許せなかったのだ。

彼がずっと求めていたのは、力と力の本気のぶつかり合いだった。バリーは強い。体も大きい。自分よりも弱い魔物を倒すだけの単調な連続だった毎日に、この王を決める戦いの意義を見失いかけていた。それは強者ゆえの苦悩だったと言ってよい。
そんな折にようやく見付けた骨のありそうなこの魔物は、自分を愚弄するような戦い方をし、蔑むような目を向けた。バリーの苦悩が苛立ちに変わるのも当然のことだろう。バリーは両目を険しく吊り上げて、涼しい顔の少年を睨みつけた。

「てめーをぶちのめしゃ、イライラが晴れると思ったのによ!!」

群青色の角を震わせてそう叫んだ。
本当は互いに本気で戦い合えればそれでよかったのだが、彼はその強気な性格から、ぶちのめす、という粗野な言葉を使わないではいられなかった。

バリーの声を聞いた少年は、静かな、しかし凛と張り詰めた声で「……ぶちのめしたいの?」と、バリーに尋ねかけた。老成した紫苑の瞳がすっと細くなる。バリーに値踏みをするかのような視線を投げ掛ける少年は、バリーが乱暴に肯定するのを聞いて、小さく「そう」と呟いた。儚げな色を宿す眉目が歪められ、眉間に悲しげな皺が刻まれる。

その表情は、バリーに辛うじて残っていた理性を完全に消し去ってしまった。
次の瞬間、バリーはグスタフの呪文もないまま地面を強く蹴っていた。間合いを詰めて右の拳を強く握り、背筋を使って腕を引く。少年にしてはふっくらとしたラインを描く頬に目掛けてその腕を叩き下ろそうとした刹那、そこにあった憎い紫苑と目が合った。極限の緊張状態にあって、その瞳は至極穏やかだった。その穏やかさが、却ってバリーをざわつかせる。バリーは猛る感情のまま、拳を少年に叩き付けた。

あれだけ身軽にバリーの攻撃を躱していた少年は足に根が生えたように立ち尽くしたまま、バリーの拳を正面から受けた。口の端から赤い血が零れ、煤けた作業着に鮮やかな染みを作る。少年は左頬の感覚を瞬間的に失っていた。うまく動かない顔の筋肉を無理に動かすことはしないで、視線だけでぐっとバリーを見上げる。

避けようと思えば避けられたはずだ。それを、むざむざと。しかも、今まで自己防御のために少年が放出していた魔力も一切感じられなかった。本当に無防備な状態でわざとバリーの渾身の拳を受け、倒れない少年に、バリーの自尊心は二重に傷付けられた。
もう一撃、もう一撃と加えていっても、少年はバリーの前に立ちはだかった。倒れても立ち上がり、澄み切った瞳でバリーを見つめる。

饒舌な瞳は、これで満足かとバリーに問いかける。ぶちのめしたい、と言ったバリーの言葉通りになっているにも関わらず、彼は満足などできないでいた。
バリーは眉間に深い皺を刻みながら、またも拳を振り上げた。傍からみれば恐ろしく攻撃的なだけのその表情の中に、一抹の虚しさ、のようなものを感じ取った少年は、バリーの瞳を真っ直ぐ見つめながら切なげに眉根を寄せた。




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