バリーを突き動かしていたのは、もはや苛立ちではなかった。傷付けられたプライドも、気付けば意識の外にあった。
苛立ちとは別の衝動を感じながら、立ち上がる少年を何度も殴打する。バリーはこの感情をなんと呼べばいいかを知らなかった。ただ、もう立ち上がれないだろう、いや、今度こそ立ち上がらないでくれ。そう思いながら、自分よりも小柄な少年を殴打し続けた。

バリーの背中を見ていたグスタフは、彼から感じられていた殺気立った苛立ちが消えていることに気付いていた。
群青色の背中の向こうに見える少年はぼろ雑巾のようになりながらも、ライラック色の瞳に強い光を宿して立ち上がる。バリーは今、あの目と闘っているのだろう。

恐らくこの魔物の少年にパートナーがいたならば、バリーに勝ち目はなかったはずだ。グスタフは本を持つ手に力を込めながらそう思った。あの魔物にどんな事情があるのかはわからない。ただ、あれだけの力を持った魔物がパートナーと本を隠して戦う必要があるのか、グスタフは疑問だった。きっとこの少年の敵となるような魔物はほとんどいないだろう。むしろ、本を無力な人間に預けたまま目を離してしまうことの方が余程危険なように思われる。
戦いの始まる前にバリーがパートナーを呼ぶよう命令しても「パートナーはいない」「本はない」の一点張りだったこの少年には、なにか深い事情があるのではないか。グスタフは確信的にそう思いながら懐から煙草を取り出し、火をつけた。

「バリー、もういいだろう」

吐き出した煙の向こうで、バリーの振り上げられた拳が止まる。
ゆらりと立ち上がった少年の、しかし頑固な光を宿した視線が、バリーを射抜く。バリーはぎりと奥歯を噛み締めた。

「なんで、てめぇは、本気を出さない」

低く唸るようなその声に、少年は静かに答えた。

「私はもう、負けているから」

そう言ってはじめて、少年はその唇を悔しそうに歪めた。今まで押し込めていた言葉が堰を切ったように溢れ出す。

「私だって、あなたと王の座をかけて全力で戦いたかった。でも、」

そこで言葉に詰まった少年の左目に涙が滲んでいるのを見たバリーは、振り上げていた拳を咄嗟に少年目掛けて振り下ろした。紙切れのように宙を舞った少年の体が、荒れた大地に叩きつけられた。

「ふざけるな!!」

バリーは思わずそう叫びながら、地に伏した少年の胸倉を掴んで自らに引き寄せる。虫の息になりながらもバリーを睨み上げる少年に、彼は声を荒げた。

「お前は負けてねぇ! まだここにいるだろうが! 戦う理由なんざそれで充分だ! 逃げてんじゃねえ!!」

バリーの目と鼻の先で、少年の顔がくしゃくしゃに歪む。言葉にならない感情が表れるように、複雑な影がそこに刻まれた。怒り、悲しみ、憤り、諦め、侮蔑、その全てを含み、ゆえにその全てと異なる炎の燃える激しい瞳が、バリーを映す。
それを見たバリーは、ようやく少しだけ自分の胸が満たされるのを感じた。今まで自分を全く無視していた涼しい瞳に、今やこんなにもはっきりと自分が映り込んでいる。戦いを拒み、それを正当化するように愁いを一杯に溜めた瞳は、もはやどこにもなかった。

バリーは少年の胸倉を掴んでいた手を離した。支えを失った少年の細い体が再び地面に倒れる。

「次だ。次に会うまでに、パートナーを見付けておけ」

それだけ吐き捨てると、バリーは踵を返し、グスタフと共に歩き出した。
次に会う時には、本気の戦いが出来るだろう。少年の燃える瞳を思い出したバリーはにやりと笑った。きっとあの少年なら、自分を楽しませてくれるはずだ。




ALICE+