「ナマエの次はブラゴか……」
ついてないな、と言うように零した相手の魔物のその言葉に、ブラゴの目元が一瞬、しかし確かに動いた。
「お前、ナマエに会ったのか」
ブラゴのその反応に、シェリーは目を見張らずにはいられなかった。今まで一度も相手の魔物と無駄話をしようとしなかったブラゴが、これから戦う魔物相手に会話を試みている。その事実は、シェリーに新鮮な驚きを与えたのだ。
パートナーにフリガロと呼ばれていた白く長い毛並みに覆われた獣型の魔物は、ブラゴの問い掛けに落ち着いた様子で答えた。
「ああ、三ヶ月以上前だけど、戦ったよ」
鋭い牙を覗かせながら体格の割に低い声で喋るフリガロ。彼の語るナマエという魔物の情報に、ブラゴは黙って耳を傾けた。
ここよりももう少し南方、アルプスも近い山間の平地で、フリガロはナマエという魔物と戦ったらしい。魔物自体は前評判の通り強かったけれど、パートナーの様子が妙だった、とフリガロは言った。ナマエのパートナーが強力な呪文を唱えた途端、そいつは正気を失ったように震えだし、ナマエは術を出すこともままならなくなった。しかし、術抜きでも善戦してみせた彼女は、フリガロの隙をついてうずくまるパートナーを抱え、背中を向けて逃げ出したのだという。もちろんフリガロはその後を追ったが、気配も痕跡も完全に消されていたため、捜索は断念せざるを得なかった――。
「お前は逃げないよな?」
ナマエという魔物の話を一通り終えたフリガロは、ブラゴに向かって挑発するようにそう言った。長い毛で隠された目は読めなかったが、立派な牙が生えそろう獣らしい大きな口は、にやりと不敵に開かれていた。
シェリーの眼前にある黒い背中がぎりっと緊張する。
始まる。そう思った瞬間に、相手の本が光った。シェリーも素早く心の力を解放して、まずは「レイス!」と相手の技量を探るべく初級の呪文を唱えた。
フリガロは確かに弱い魔物ではなかったが、ナマエが尻尾を巻いて逃げ出すような相手だったとも思えない。
ブラゴは戦闘中にちぎれた腕をシェリーに固定させながら、フリガロの言葉を思い出す。
強い呪文を唱えてから、パートナーの様子がおかしくなった――。
「ねえブラゴ、ナマエって魔物のこと、聞いてもいいかしら?」
包帯を巻きながらそう言ったシェリーに、ブラゴは沈黙で返事をした。シェリーはしばらく黙り込んでから、はあ、とこれみよがしな溜息をついた。言外にブラゴの黙秘を責めていることが窺える、重たい溜息だった。
「……お前にそんな事を気にするような余裕があるとは思えないがな」
彼女の態度が気に障ったブラゴが少し皮肉を込めてそう言うと、頭をもたげかけていたシェリーの好奇心は一気に萎んでいった。戦いが終わる度にブラゴから小言を頂くのが常であった彼女は、それに備えてだんまりを決め込む。
ブラゴがシェリーに今回の戦いの寸評を述べると、彼女は「わかっている、次はもう同じ失敗はしないわ」と強く言った。
ブラゴの要望にはなるべく応えようとするシェリー。体を鍛え、武器を持ち、休息を削って強さを求める、弱い人間にしてはマシな部類に入る自分のパートナー。ナマエのパートナーは、そうではなかったのかもしれない。となると、ナマエは……。
ブラゴはそこで思考を止めた。これ以上は推測に過ぎない。ナマエを捜し出して真実を尋ねればよいだけの話だ。
フリガロの術によって氷漬けになっていたドイツの田舎町を、高台から見下ろす。徐々に高くなってゆく日差しに照らされて、白く凍っていた町がだんだんと本来の姿に戻ってゆく。町を覆っていた白が溶けて消えてゆくその様子は、白い髪の魔物を見付けられないブラゴにとって、見ていて気持ちのいい光景ではなかった。追いかけても、重力で引き寄せようとしても、やすやすとそれを振り切って消えてゆく彼女。
ブラゴは苛立ってはいたが、表情を変えることなく視線を外す。そして、シェリーを伴って歩き出した。魔物もナマエもいないこの町に、最早用はなかった。
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