広葉樹の枝葉を押し退けて現れたのは、柔らかな白い髪が印象的な人間だった。
ゾボロンと術を合わせる特訓を行っていたパピプリオ。彼は、ゾボロンの強力な攻撃とその破壊力を目にしたにも拘らずなんの躊躇いもなくこちらに歩み寄ってくるその少年をぼんやりと眺めながら、ふと、魔界にいた頃の記憶が疼くのを感じた。

「あの、道を尋ねたいんですけれど」

自分よりも幾許か背の高いその少年は、穏やかな声でそう言った。ルーパーが「道ですって?」と尋ね返すと、少年は小さく頷いて、自分が砂漠を越えてここまで歩いて来たことを静かに述べた。薄汚れた麻のマントを揺らしながら喋る少年は、「ここはどこなんでしょうか?」と、紫色の瞳をやや恥ずかしそうに細めて、自分が迷子であることを告白した。

「ここはヒマラヤよ」

ルーパーは事もなげにそう言ったが、もしもこの少年が海抜はマイナスを示すタクラマカン砂漠から、ヒマラヤ山脈の絶峰を越え、今彼らのいるインド側の中腹まで一人で歩いて来た事に気付いたのなら、もう少し対応は違っていたかもしれない。だが、それに気付かなかったパピプリオは、南の方角をぞんざいに指差しながら「あっちに行けば山を下りれるぜ」と大まかな道筋を指示するのみで、それ以上の気遣いを施すことはなかった。

それよりも、パピプリオの思考を占領するのは、少年の着ているマントの描く緩やかなドレープだった。自分は、あれを、魔界で見たことがある気がするのだ。
マントを着用する魔物は幾らもいた。しかし、その中で特に記憶に残る魔物がいた気がするのだ。白い髪と紫苑の瞳、そして、純白のマント。

パピプリオの記憶の溝が目の前の景色とぴったりはまったその瞬間、パピプリオは「あー!」と声を荒げずにはいられなかった。

「こいつ、ナマエだ!」

髪を切っていたからすぐにはわからなかったけれど、間違いない。パピプリオは記憶の中の彼女の瞳と白いマントから、この推測が正しいことを確信した。正確に述べるなら魔界で彼女が身につけていたのはマントではなくケープであったが、今のパピプリオにとってその違いは瑣末なものであった。重要なのは、優勝候補と言われる程強い魔物が、まだコンビネーションも完成していない自分たちの目の前にいることだった。
今まで明後日の方向を向いていたゾボロンが、首をぐりんと捻ってナマエを見る。そして、その口を大きく開けて相手を威嚇した。

ルーパーが「なに? こいつ魔物なの?」とパピプリオに尋ねる。パピプリオはナマエから視線を外せないまま首を縦に振った。

「それも、とびきり強いやつだよ〜」

パピプリオは泣きそうな声で言った。実際、ちょっと泣いていた。逃げても絶対に追い付かれる、彼女はとても素早い光の魔物だから。
ナマエの静かな瞳が、パピプリオをじっと見詰めていた。表情を感じさせない、ぴんと張り詰めた湖面のような瞳がパピプリオを射抜く。パピプリオは彼女の視線にたじろぎながら逃げる事もできずに、ただただその瞳を見返した。しばしの後、ナマエは怯えるパピプリオから視線を逸らし、大口を開けるゾボロンを見定めるように見詰めた。それから二人のパートナーを見遣って、小さく悩ましげな溜息をついた。

「道を教えてくれて、ありがとうございました」

ナマエはそう言ってペこりと頭を下げた。マントのドレープがふわりと揺れる。

そこから先は、目で追うことが出来なかった。
パピプリオが瞬きをした間に、ナマエはいなくなっていた。

ルーパーが安心したようにほっと胸を撫で下ろす隣で、パピプリオはナマエが溜息をついた瞬間に僅かに聞こえた「いいな」という羨望混じりの囁きが皆にも聞こえていたのかどうかを確認するべきか否か、逡巡していた。
もしもこれが自分の聞き間違いでなかったのなら、天才ナマエを仲間にしてやればよかったかもしれない。彼女がいれば心強いのは勿論なのだが、なにより、彼女がとても寂しそうに、パピプリオには見えたのだ。




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