「本当にこんなところにいるの?」
そう尋ねたキッドに、ナゾナゾ博士は「ああ、そうだよ」と優しい笑みを浮かべて答えた。
博士が言うならそうなのだろう、とキッドは一度頷いて、博士と共にコンテナ船の船倉へと下りて行く。
東シナ海を進むコンテナ船に降り注ぐ直射日光は、船倉内の気温を容赦なく上げてゆく。
キッドたちが対峙した白い髪の魔物は、立ち並ぶコンテナの隙間にうずくまるように座っていた。博士の足音に僅かに反応して、魔物は僅かに視線を持ち上げる。黒紫色の鋭い瞳が博士に向けられたのを見て、キッドは反射的に博士と魔物の間に飛び出した。白い髪の魔物がゆらりと立ち上がる。ゆっくりと航行する船の中、サウナのような密室に閉じ込められていたにも拘らず、魔物の足取りは確かだった。
「待ってくれないか」
先に口を開いたのは博士だった。
「我々に戦意はない」
キッドが博士をちらりと見上げる。さがりなさい、と物語る視線を受けてキッドは戦闘体制を解き、やや渋々、博士の肩に戻った。
それを見た白い髪の魔物は、好戦的に肩幅より広く開いていた足を閉じ、直立に近い姿勢に直る。瞳の光を和らげ、訝しむように片方の眉を少しだけ持ち上げて博士を見上げた。
「こんにちは、お嬢さん。私は、なんでも知ってるナゾナゾ博士」
博士がシルクハットをとって優雅に一礼する。お嬢さん、という言葉に、魔物の眉がぴくりと動いた。
「もちろん君のことも、よく知っているよ」
にこりと微笑む博士を見詰める白い髪の魔物は、己の動揺を悟られまいと努めて無表情でいようとしているようだったが、その目元が僅かに緊張しているのを、博士は見逃さなかった。彼は畳み掛けるように続けた。
「ガッシュくんに会いに行くのだろう?」
緊張で張り詰めていた目元が、激しく引き攣った。博士を警戒するように、魔物は一歩右足を引く。どうしてその名前を知っているのかと狼狽したような表情を浮かべる魔物に、博士は意味深長な笑みを向ける。
「博士、ガッシュってだぁれ?」
好奇心旺盛なキッドの高い声が船倉に響く。博士はごく優しい声で「日本にいる魔物だよ。私たちもいずれまみえるつもりさ」と諭すように言って、キッドににこりと微笑みかけた。そして口元は優しい笑みの形のまま、瞼だけをすっと持ち上げる。モノクルの奥の瞳が、魔物を射抜く。
「日本に行くのもいいが……君は、ドイツに大切な忘れ物をしているね」
魔物の目が大きく見開かれた。深い紫を湛えた瞳が揺らぐ。
魔物は足元に置いていた小さな鞄をぱっと持ち上げて、それを胸の前で抱きかかえた。乱れそうになる呼吸を落ち着けようと、なるべくゆっくりと肺に空気を取り込んで、ぎゅっとかたく両目を閉じる。それから、喉の奥から掠れた声を搾り出した。
「あそこにはもう、なにもない。全て断ち切ってきたんだ」
「ではなぜガッシュくんに会いに行くのかね?」
間髪入れずに博士の声が響く。魔物はその問いに答えられずに苦しげに口を噤んだ。魔物の肩が大きくゆっくりと上下する。浅くなる呼吸をなんとか抑えようと苦心しているのが、キッドにも伝わってきた。
不意に、波間を進むコンテナ船が一際大きく揺れる。魔物はそれに煽られてよろけ、すぐ脇に詰まれていたコンテナに身体を打ち付けた。鈍い音が倉庫内に響く。肩からコンテナにぶつかった魔物は、その衝撃のまま首をかくんと前に垂れる。魔物が俯いたため、ざっくりと切られている白い髪がレースカーテンのように顔にかかり、辛そうな表情を覆い隠した。
そのつむじをやや渋い表情で見下ろした博士は、徐に懐から一枚のカードを取り出す。
「……その理由は、会ってみればわかるだろう」
博士はそう言って、手にしていたカードを魔物に差し出す。魔物は狼狽した表情の中に不思議そうな色を浮かべて博士を見上げた。
「この船は今夜遅くに、日本の大阪と言う街に着く。これは、大阪からガッシュくんのいる東京までの電車のチケットだよ」
博士は魔物の手に、薄いグリーンのチケットをしっかりと握らせて、「夜が明けたら電車に乗りなさい」と説明を加えた。
白い髪の魔物はなにも言わなかった。ただただ黒紫の瞳を痛烈に揺らして博士を見上げていた。
「では、私は行くよ。また会えることを祈っている」
ばさりとマントを翻して、博士はコンテナ船を後にした。博士と共に侵入に使った小型船に戻ったキッドは、今もあの魔物のいるコンテナ船の船倉を振り返る。去り際に見た魔物の表情を思い出すと、なぜだか自分まで苦しくなってきた。
そんなキッドの頭の中に唐突に、あの魔物が泣いているのではないか、という考えが浮かんでくる。それは推測に過ぎないが、なぜか理由のない確証を伴ってキッドを苛んだ。キッドはふるふると頭をふって、脳裏からその推測と黒紫の瞳を消す。それから、いつも隣にいてくれる博士にそっと頬を寄せた。
←