恵のロケに同行していたティオが不意に駆け出したことに、撮影中だった恵は気付かなかった。
まだ人も疎らな早朝の大阪の街を駆けるティオは、すぐに目的の人影に追いついた。恵に向けられたカメラに映らない場所から大好きな彼女のことを眺めていたティオの視界に一瞬だけ紛れ込んだ、見紛うことないその後ろ姿。

「あの!」

ざっくりと切られた白い髪、自分よりも15センチばかり高い身長。顔を見たわけじゃないけれど、ティオには確信があった。彼女の声に応じて彼が振り返るとそこには、強い輝きを宿す紫苑の瞳があるはずだ。
少年の歩みが止まったことを確認したティオは、上がった息のままやや切れ切れに少年に語りかけた。

「あのっ、半年くらい、前に、デン、デンマークにいなかった!?」

街路樹に止まる小鳥が、ちちち、と軽やかに歌う。
しばし沈黙の後、やや緩慢な動作で振り返ったその顔には、ティオが思っていた通りの紫苑があった。だが、かつて会った時と比較すると、その頬が明らかにこけてしまっていたことに、ティオは驚きを隠せなかった。改めて見れば、その四肢も腰も、あの日ティオの目の前に力強く着地して見せた少年とは思えない程に細く窶れている。そんな中で、あの紫苑の瞳だけがぎらぎらと光っていたのだ。
その様子に恐怖を感じたティオが、じり、と一歩後ずさると、少年はその双眸を寂しそうにきゅっと細めた。自分を警戒するように見上げる少女に向かって、少年はその渇いた唇を開いた。

「……いたよ」

僅かに吐息を含んだ、穏やかな響きの声だった。あの時に聞けなかった少年の声はこんな感じだったんだな、と感慨に浸りながら、ティオは少年を見上げる。
あの日、この少年を見てから、ずっと考えていたことがある。白い髪、紫苑の瞳、軽やかな身のこなし、そしてこの優しい声。彼に関する全ての事実が、ティオの仮定を正しいと裏打ちする。髪が随分短くなっていたからわからなかったけれど、

あなた、ナマエ?

ずっと尋ねたかったその言葉は、どうしてだか喉を通ることを拒む。ティオの脳はこんなにも真実を知りたがっているのに、本能がそれを許さなかったのだ。恐怖と葛藤に震えるティオを見詰める少年は、ティオの沈黙を何かの返答と受け取ったようだった。その眉間に僅かに皺を刻んで、ただゆっくりと踵を返した。

ティオの脳は、本能の制止を振り切ってその小さな身体に命令を下す。ティオは幼い四肢を懸命に動かして、少年の進路に立ち塞がった。
驚いた表情を作った少年が、すっと立ち止まる。そして、困ったように眉尻を下げて笑って、なにか用? と言うようにその首を僅かに傾げた。

「……どこに行くの?」

ティオの喉をようやく震わせたのは、少年の行き先を尋ねる言葉だった。

彼はごく薄い笑みを浮かべたまま、「友達のところ」と呟くように言った。どこか熱に浮かされたような不安定な響きを湛えたその声は、ティオをひどく不安にさせた。

「友達って、ガッシュ……?」

どうしてそう思ったのか、理由はなかった。ただ、なんとなくそんな気がしたのだ。
少年は、なにも言わなかった。薄い笑みを張り付けたまま、その瞳だけが強く輝いていた。

次の瞬間、ティオの肌が魔力による圧力を感じた。それと同時に、眼前から少年の姿が消えた。
あっ、と思った時にはもう遅かった。魔力の気配を追って視線を上空に差し向けたが、明けてゆく大阪の空のどこにも少年の姿は見付けられなかった。

ティオはあの少年が、ナマエであることを確信した。あの身のこなしは間違いなくナマエだ。閃光の狼と言われ恐れられる、光の魔物。ブラゴと並ぶ優勝候補。
そんな魔物が、ガッシュを探している。ナマエはガッシュを友達だと言っていたけれど、ティオはそれを手放しでは信じられなかった。こけた顔の中で爛々と輝く瞳、彼女が最後に見せた無表情に近い笑み、ガッシュの名前を出した途端の逃走、どうしても気に掛かる点が多すぎる。

ティオは急いで来た道を駆け戻った。とにかく、このことを清麿に知らせなければならない。私の思い違いならそれでいい。でも、もしもそうでなかったとしたら。ガッシュがいなくなるなんて、絶対に嫌だ。




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