「今回はヘアゴム、白にしましょうね」
いつもはあの色も試したい、あの飾りも捨てがたい、とふたつの口であれやこれやとかわいらしい注文をつける元気な3号ちゃんが、今日は大人しい。彼女は「うん」と言ったきり口を閉ざして、大きな鏡に映る自分の顔を静かに見詰める。緑色のぱっちりとした大きな瞳が時折まばたきをする以外に、彼女の表情に変化はない。
先にメイクの終わった1号ちゃんと2号ちゃんも、それぞれ雑誌を読んだり音楽を聞いたりとやっていることは違えど、このどこか緊張した雰囲気はきちんと共有しているらしい。2号ちゃんの剥き出しの右目が、音楽に合わせてぎょろりと動く。まるで意志を持っているかのように自分の右目が暴れていることに、きっと彼女は気付いていない。その隣で1号ちゃんは、さっきから同じページを何度もめくっては戻し、めくっては戻しを繰り返している。きっと内容なんて頭に入っていないんだろう。
三者三様の緊張が満ちている楽屋で、私は3号ちゃんのトパーズ色の髪の毛にくしを通しながら、その緊張が自分にも伝染しかかっていることに気が付いた。彼女の髪をまとめる手が、僅かに震えている。
今日まで何度結ってきたかわからない彼女の髪。もうずいぶん昔に慣れた筈のその感触が、今日はやけに手に新しい。まるで新人のような気持ちで3号ちゃんの髪の毛をまとめていると、ふいに、鏡越しに彼女の翡翠色の瞳と目が合った。その奥に渦巻く緊張の色が、私の中に眠る懐かしい記憶を呼び起こす。まだインディーズデビューしたばかりだった頃の彼女の少しだけ不安げな瞳。それが今、私の目の前にあった。
そういえば、初めて私が彼女の髪を結ったのも、鋸引きだった。
あの頃はまだ衣装も一種類しかなくて、どのイベントでもそれを使いまわして着ていた。彼女にはまだヘアゴムの色なんて気にする余裕はなくて、今日はこの色にしましょうね、という私の言葉にいつも「うん」と頷いていたっけ。
メジャーデビューして、衣装の数も増えて、場数もたくさん踏んだ。だんだんと余裕を持つことが出来るようになって、次第に緊張との付き合い方も覚えていった。
それでもやっぱり、改めて鋸引きのイメージ撮影をするとなると、あの頃の緊張が蘇る。ただ前だけを見てがむしゃらに走っていた、あの頃。
私は鏡越しにこちらを見詰める翡翠色の瞳に、にこりと微笑みかけた。あの日と同じ、大丈夫だよ、頑張れ、という気持ちを精一杯込めて。
鏡の中の3号ちゃんは、それを見て、張り詰めていた口元をふっと緩めた。あの日の彼女は私の笑みを見ても緊張した面持ちを崩さなかったのに。……たとえ緊張したとしてももう、あの頃のままではないらしい。
彼女の柔らかな笑みを受けて、私は自分の中に生まれかけていたあの日の緊張がふっとその形を変えてゆくのを感じた。確かに胸はあの頃のように高鳴っているのだけれど、そこに当時のような不安はない。まるで新しく生まれ変わったようなまっさらな気持ちで、3号ちゃんの艷やかな髪を結っていく。手の震えも、いつの間にか止まっていた。
ヘアゴムの白が、あの日と今日をひとまとめにして、彼女の笑顔のそばで初々しく輝く。きっと今日の撮影もうまくいくだろう。
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