「ミニライブ!」より


イキグサレがまだ無名だった頃、彼女たちはこの小屋で精力的にライブ活動を行っていた。お客さんがほとんどいなくても、ステージの上で無邪気に笑いながら楽しそうに歌っていた彼女たちのことを、私は今でもよく覚えている。それぞれのイメージカラーのバックライトを浴びながら、こんな小さなライブハウスで屈託なく笑うアイドルを、私は他に知らない。
PAブースからたくさんのステージを眺めてきたけれど、この小屋でいちばん輝いていたのは彼女たちだったと、私は自信を持って言える。あの頃はまだ照明の機材もろくになかったこの小屋に、彼女たち以上に輝くものなんてありはしなかったのだ。

だから、彼女らがレーベルと契約してメジャーデビューしたと聞いたとき、私は素直にああそうか、と思った。彼女たちなら、いつそこに行っても不思議はないと思っていた。
だが私は、彼女たちを心から祝福しながら、同時に少しのさみしさを抱えていた。きっと彼女たちはこれからどんどん有名になって、こんな小さなライブハウスにはもう来てくれなくなるのだろうなと、心のどこかでそう決めつけていたのだ。

「ナマエさん、久しぶりー!」

予定の時間よりも少し早く、重たい扉を開けて小屋に飛び込んできたのは1号ちゃんだった。私は今日使うであろうケーブルの仕分けをしていた手を止めて、扉の方に視線をやる。
そこには、あの頃と全く変わらない1号ちゃんの笑顔があった。大きな瞳を無邪気に細めて、私に手を振る彼女。その肩には、個人荷物の入ったリュックサックとは別に、機材の入った黒いナイロンの袋がしっかりとかけられている。
売れっ子になったんだから、そんな雑用なんか誰かに任せてしまえばいいのに。そんなところまであの頃のままなんだな。私は押し寄せてくる旧懐を感じながら、彼女に笑みを返す。

「久しぶり。相変わらず、元気そうね」

へへ、と笑った彼女の後ろで、重たい扉が再び開く。外の明るい日差しを背負って現れたのは、トパーズ色の髪を揺らして「わー懐かしー!」と言いながらライブハウスをぐるりと見渡す3号ちゃんと、「おはようございます」と言ってぺこりとお辞儀をする2号ちゃんだった。
2号ちゃんのぎょろりと飛び出た右目が、彼女の深層心理を体現するかのように右から左へ無遠慮に動いている。それに気付いているのかいないのかはわからないが、とりあえず、彼女は思い通りになる左の目をきゅっと細めて、こう続けた。

「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。狭いとこだけど、よろしく」

私が何の気なしにそう言って笑うと、小屋を見渡していた3号ちゃんが不意に「狭い、かあ」と呟いた。私がそれに反応して3号ちゃんに視線をやると、彼女は形の整ったみっつの瞳でステージを見つめていた。その口元には、薄い笑みが浮かんでいる。かつてそこにいた自分たちを思い出しているかのような、たおやかな笑み。
3号ちゃんにつられるようにステージに視線をやった2号ちゃんは、どきっとするほど優しい声で「今日はいっぱいになるといいね」と言って、3号ちゃんの肩にそっと手を置いた。3号ちゃんはステージを見つめたまま、小さく頷いてそれに応える。

メジャーデビューをして、CDをたくさん出して、ここよりも広いところでたくさん歌ってきたイキグサレが、どうして今更こんな小さなライブハウスで凱旋公演をするのか。私はそれが疑問だった。
一駅先には、大きな公営のコンサートホールがある。バスでもう少し足を延ばせば、よく野外イベントをやっている中央公園だってある。凱旋公演ならば、そういうところでもっとたくさんのお客さんを呼んだ方がいいのではないだろうか。この企画が決まったときから、頭の奥にずっとそんな疑問があった。
でも、彼女たちとって重要なのは、そんなことではなかったのだ。お客さんのいなかったつらい時代を過ごし、それでも少しずつ実力をつけ、応援してくれるファンと一緒に歩み始めたここでライブをすることが、今の彼女たちにとってなによりも大切だったのだ。

ようやくそのことに気付いた私の耳に、1号ちゃんの元気な声が飛び込んできた。

「なるといいねじゃないの。わたしたちが、いっぱいにするの!」

ぴん、と響いたその声は、客席の壁に吸い込まれて消えていく。けれど猛る気持ちはおさまりがつかなかったようで、彼女は表情をきりっと改めると、そのままぱっと駆け出した。

「わたし、リハまでビラ配りしてくる!」

ナマエさんこれもらうね、と言うと同時に、1号ちゃんは受付カウンターに置いてあったビラをつかみ、相変わらずの勢いで扉の外に消えていった。
一瞬ののち、3号ちゃんが「あっ、ずるい待ってよ!」と言い残して1号ちゃんの後を追う。

「ご、5分前には戻ってきてね!?」
「わかってるよ」

走ってゆく背中に慌てて声をかけると、3号ちゃんはキュートなウインクと共にそう言い残して街の中へ消えていった。
残された2号ちゃんは、やれやれというようにため息をつきながら、流れるような動作で二人が置いていった荷物を持ち上げる。

「ナマエさん、楽屋お借りしますね」
「うん。2号ちゃん、ご苦労様」
「もう慣れました」

苦笑交じりの笑みを浮かべて、慣れた足取りで奥へ去ってゆく2号ちゃん。私はその誰よりも優しい背中を見送ってから、ケーブルの仕分けを再開した。

イキグサレは、きっとこれからもどんどん有名になっていくだろう。もっと大きなホールでコンサートをするようになって、もっとたくさんの人を楽しませるようになるだろう。
けれど、彼女たちはきっとまた、なにかのきっかけでここに戻ってくる。こんな小さなライブハウスでも、彼女たちにとってここは、たったひとつの生まれ育った場所なのだ。

仕分け直したケーブルを持って、ゆっくりと立ち上がる。なんとなく決めあぐねていた今日の舞台照明のイメージが頭の中ではっきりと固まっていくのを感じながら、私は脚立を出してそれにのぼった。

少し前に新しく買った小洒落た照明機材もいいけれど、きっと今日の彼女たちを最も美しくみせるのは、あの頃のシンプルな光だろう。赤青緑のパーライトを背負って楽しそうに踊るイキグサレを、ここのお客さんは期待しているはずだ。
それになにより、私がそれを見たい。あの頃と同じ舞台で踊る、あの頃とは違うイキグサレを見て、PAブースでひとり感動に浸りたいのだ。




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