おかしい。この状況は、絶対におかしい。
なんで、こんな、ことに、なったの? 私は状況について行ききらない頭をなんとか稼働させて現状を整理する。
私の目の前には、進くん。それからその後ろで、にこにこと爽やかに笑う桜庭くん。ばくばくと大きな音をたてる私の心臓と、私たちだけを素通りしてゆくうららかな午後の空気。平和に過ぎてゆく筈だったお昼休憩は、もうどこにもない。

「いやでも、告白の練習ってちょっと……」と口ごもった私の目の前で、進くんは「練習をおろそかにしてはいけない」と彼らしい台詞を口にして、胸の前で両腕を組んだ。なるほど、逃げ場なし。

全ての元凶である桜庭くんに視線で助けを求めてみたが、彼はにこにこと笑ったまま、ファイト! と言うようにガッツポーズを作るだけで、私の救難信号は華麗に無視されてしまった。

……桜庭くんに、進くんが好きだとばれなければ。告白はできないなんて言わなければ。そこにタイミングよく進くんが現れなければ。或いは、「苗字さんが告白できなくて困ってるんだって」と言った桜庭の言葉を否定できれば。「なるほど。では練習に付き合おう」と私の前に立ちはだかった進くんにその必要はないときちんと言えていれば。
後悔は尽きないが、とにかく、今はこの状況をどう切り抜けるかが重要だった。漆黒の瞳が、真っ直ぐに私を見詰めている。進くんは『練習』と思っているのかもしれないけれど、これはもう、私にとっては本番以外のなにものでもないのだ。

ぴんと伸びた背筋が、握り締めた両手が、彼を見上げる瞳が、緊張を感じて強張っているのが自分でもわかる。思わず視線を逸らしてしまった私を、進くんは「しっかりしろ、苗字」と容赦なくたしなめる。
私は観念して、進くんに視線を戻した。再び漆黒の瞳に、視線を搦め捕られる。思わず小さく「うぐ」と妙な声を漏らしてしまった私の視線の先で、不意に、進くんの凛々しい双眸が僅かにやわらいだ。ような気がした。

その瞬間、私の心臓を急かす彼の瞳から逃げ出したい気持ちと、このまま時間が止まってしまえばいいのにという気持ちが、鮮やかに交錯した。
きっと進くんは、本当に善意から私の告白の練習を提案してくれたに違いない。つまり進くんにとって私は、告白の練習相手になってもいい存在なのだ。それはきっと少しだけ悲しいことなのだろうけれど、彼に真っ直ぐ見詰められる私の心臓はそんな感情なんて置き去りにして、高く高く鳴動する。

教室の真ん中で見つめ合ったまま動かない私たちを不審に思ったクラスメイト達の注目が、徐々に集まってくる。桜庭くんが彼らにこれが告白の練習であることを簡単に説明すると、これが練習じゃなくて本番だなんて夢にも思わないクラスメイト達は、口々に私を応援してくれた。告白するしかない空気が、急速に出来上がってゆく。ああ。

私は、強張る口を薄く開いて、空気をすうっと吸い込んだ。
なんでこうなったんだろう。という後悔にまみれた思いを、頭の隅っこに追いやる。もうやるしかない。この気持ちだけは、本物なのだ。私は握る両手にぐっと力を込めた。私の変化を感じ取ったギャラリーが、期待に満ちた眼差しで息をのむ。お昼休みのざわめきが消えた教室に、私の緊張した声が響いた。

「し、進くんのことが好きです。付き合ってください!」

わっ、と沸いた歓声は、まるで本当の告白を目の当たりにしたかのような勢いだった。いや、本当の告白だったんだけどさ。視線の先の進くんは、いつも通りの仏頂面で「うむ」と、まるで上司が部下を労うように頷いて、私の肩を一度ぽんっと軽く叩いた。その瞬間、全身を支配していた緊張がふっと消えた。
私は騒がしい教室の中でこくんと頭を垂れて、はあ、と深くため息をつく。緊張から解放された安心と、一世一代の告白があっけなく終わってしまったことを寂しく思う気持ちが複雑に混ざり合っていた。もしかしたら、進くんが顔を赤くしてくれるんじゃないか。もしかしたら練習の告白が本当になるんじゃないか。そんな淡い期待を抱いていた自分がいたことに、今になって気付いた。置き去りになっていた悲しい気持ちが、急に自分を追いかけてくる。私はお腹の底にぎゅっと力を込めて、やるせなさを向こうの方へなんとか追いやった。

その瞬間、ギャラリーの誰かが「ほら、進も返事の練習しろよ!」とふざけて言った。私や進くんが抗議をする間もなく、再び期待に満ちた眼差しが私たちに向けられる。
私はついさっきまで高鳴っていた胸が、これまでとは違うリズムでもって早まってゆくのを感じた。進くんにとってこれは練習なのだ、たとえ色よい返事が貰えたとしても、断られたとしても、私はきっと傷付く。やめて、何も言わないで。縋るような瞳で見詰めた先の進くんは、ごく真剣な顔つきでこう言った。

「返事はできない」

生真面目な進くんらしい言葉だった。真摯な瞳、嘘をつけない唇、私が好きになった進くんが、そこにいた。クラスメイト達は拍子抜けしたようにため息をついたが、私はそれで満足だった。
進くんは私の眼差しを正面から受け止めながら、ゆっくりと口を開く。彼は静かな、しかしどこか張り詰めた調子の声で、こう続けた。

「苗字が相手なら、それは練習ではない」

しん、と水をうったような教室に、私の鼓動だけが響いていた。不意打ちのようにそれだけ言った進くんの唇は、固く閉ざされる。

それは、どういう意味?
私の唇はぽかんとだらしなく開いたまま、その真意を尋ねることができないでいた。だんまりを決め込んだ私たちの代わりに、クラスメイト達が今日何度目かの歓声を上げた。耳の奥で響いていた鼓動をかき消す勢いで盛り上がる教室の真ん中で、私は普段と同じ仏頂面な彼をただただ見詰めていた。

おかしい。この状況は、絶対におかしい。
なんで、こんな、ことに、なったの?
私は状況について行ききらない頭をなんとか稼働させて現状を整理する。私の目の前には、進くん。それからその後ろで、にこにこと爽やかに笑う桜庭くん。過ぎ去っていったうららかな午後の空気は、もうその気配すら残っていない。
私が口を開いて進くんに言葉を返せば、きっともうそこには戻れないだろう。それでも私は、クラスメイトの視線を一身に浴びながら、ゆっくりと喉を震わせた。



「別れを告げる5秒前」
あんみつさまへ / 進がクラスの女の子に無意識に告白して、クラスの子にからかわれる話
(リクエストありがとうございました!)




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