借りていたノートを返しに行った。
インターホンを押すと出てきたのは名前の兄で、「あー名前なら部屋にいるよ、上がりな」と快く招き入れてくれた。

礼を言ってから靴を脱ぎ、すぐ右の階段を上る。
名前の部屋の扉をノックしようとした瞬間、中から「入っていいよー」とやや間延びした声がした。

彼女の声に誘われるまま扉を開けて部屋に入ると、綺麗な部屋と机に向かう彼女の背中。
ノートを差し出しながら「よくわかったな」と言えば、名前は椅子に座ったまま上半身をぐるりと捻って此方に向く。そしてノートを受け取りながら言った、「足音がなんとなく厳っぽかったから」

「足音か」
「うん、足音」

返ってきたノートをパラパラ捲りながら所在無げにそう言う彼女の肩越しに机の上を見ると、数学の課題に並んで何故か仏壇と墓の広告が見えた。

「なんつーもん見てんだ」

彼女の方に三歩近寄って呆れたように言えば、「あーこれ?」と名前は苦笑する。

「うちの父さん、次男だから」

そういうのは長男が考えるもんじゃねえのか、と訊こうとしたけれど、それよりも先に「それに、兄さんにはこういう金銭感覚ないしさー」と言われてしまった。

「しかもしかも、私女だから」
名前はそこで言葉を切って、机に突っ伏す。
「嫁に行ってまた墓の心配しなきゃだよー」

ははは、と乾いた笑いをもらす彼女の老成した悩みは、俺の頭上を通りすぎてゆく。返答を求めるわけでもない、ただの他愛の無い会話。きっと彼女の独り言。

「あ、わざわざ持ってきてくれて、ありがとね」

名前は不意に上体を起こし、ノートを示して思い出したようにそう言った。
言ってから唇の両端を持ち上げて、薄く笑う。

俺はわかりやすい作り笑いを浮かべている名前にすっと近付いた。何事かと驚いている彼女の頭上から手を伸ばし、あの物騒な広告を奪う。
「ちょ、」と口走り広告を取り返そうと立ち上がった名前の目を見て、俺は言った。

「墓なら俺の隣が空いてるぞ」

突然の言葉に目を丸くしている名前と、不適に笑う俺。

しばらく沈黙が流れたが、
それを破ったのは名前だった。

「そうか、それは心強いね」

言って、彼女はにっこりと笑った。今度のそれは作り笑いではない、昔から見慣れた名前の微笑み方だった。


「あ、広告返して」
「ん、もういらねえだろ」
「違う、それ裏紙。数学の計算用紙なの」
「…………」




ALICE+