「ゆーたかくん」

苗字さんに呼ばれて振り向いた俺は、そこにいたお化けに思わず「うひゃっ!!」と猿とスナメリの中間みたいな叫び声をあげてしまった(スナメリがなんだかよくわかっていないけれど、たぶんこれが一番わかりやすい例えだと思う。自信がある)。
長い黒髪を振り乱して立ちすくむそのお化けは、苗字さんの声で「ねえ、びっくりした?」と俺に尋ねかけて、その重たい髪を一気に持ち上げる。その下から現れたのは、満足げな笑みを浮かべている苗字さんだった。

「う、うん。びっくりしすぎて、思わず素で叫んじゃったよ」

長い髪をいつもきちんと結い上げている彼女は、俺の中では真面目な女の子に分類されていたのだけれど……どうやらそうではなかったらしい。「やった」と言って無邪気に笑った苗字さんのその笑みは、B組で俺と笑いの双璧をなす中川有香さんのおちゃめな笑顔に、少し似ていた。

「苗字さん突然どうしたの? なんか……嬉しいことでもあったの?」

俺が少しおどけてそう尋ねると、苗字さんは小さく笑う。それから、長い髪をざっとくくりながら「まあ、そう、かも?」と僅かに首を傾げた。その曖昧な言い方に「いや、どっちだよ!」と華麗に突っ込むと、苗字さんはくすくす笑ってから、「あのね、」とどこか弾むような声でこう教えてくれた。

「今日、ハロウィンなんだって。外国のお祭り」

ハロウィン。そう言えば、なにかで聞いたことがあるかもしれない。どこで聞いたかは忘れたけれど。いや、よく考えたら聞いたことないような気もするけど、まあ今はそんなことはどうでもいい。俺は彼女のその言葉を、「ハロウィン」と反復する。

「うん。なんか、悪戯したりお菓子あげたりするんだって」
「へー。なんかわかんないけど、餅まきみたいな感じなのかな?」

俺がそう言うと、苗字さんは「餅まき……餅まきって」と言いながらお腹を抱えて笑いだした。よくわからないけれど、彼女のツボに入ったらしい。ウケたことで気をよくした俺は、にこにこ笑いながら餅まきのジェスチャーをする。実は餅まきにはかなり昔に一度行ったきりだったので記憶はかなり曖昧だったけれど、そこは想像でなんとかした。
ひとしきり笑い終えた苗字さんは、ふう、と息をついてから俺に向き直る。

「さっきはびっくりさせてごめんね」

そう言って、俺の餅まきのようななにかのジェスチャーを真似しながら、制服のポケットから小さな包みを取り出す。そして、それを俺に向かって差し出した。

「豊くん、ハッピーハロウィーン」

俺の掌の上のころんと転がった飴玉は、秋を集めて結晶にしたような綺麗なオレンジ色をしていた。

これでまた苗字さんを笑わせられるとよかったのだけれど、うまいボケは思いつかなかった(芸人の食リポは、相手に対しても食材に対しても失礼にならないボケで笑わせないといけないから、ちょっと難しいのだ。実力不足もあるけど、そこのところも考慮して、この場は少し大目に見てもらいたい)。ただにっと笑って、月並みなお礼を述べる。

「ありがとう、苗字さん」
「うん、どういたしまして」

面白いことなんて言っていないはずなのに、それでも苗字さんは笑っていた。
透き通ったオレンジ色の飴玉のような、綺麗で明るい笑顔だった。




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