「クリスマス大作戦」より
翼がケーキ屋さんでバイトを始めたと聞いた時は、なるほどなと思った。
毎年のように「今年のクリスマスは絶対に彼女と過ごしてみせる!」と言っていたけれど、今年はそのために行動を起こしたらしい。
確かに、この時期のケーキ屋さんは臨時のアルバイトとしてたくさんの女の子が働いているのをよく見かける。それに、ケーキ屋さんの女の子って不思議とみんな可愛い。翼のお眼鏡にかなう子も必ずいることだろう。
今日からバイトだと意気込む彼の背中を「がんばってね!」と押したのが、数日前のこと。
あの時の生き生きとした笑顔が、今はただ懐かしい。
「……で? なんでこんなことになってんの?」
いよいよクリスマス本番の今日。さて翼はどんな女の子を掴まえたのかちょっと見てみようかな。そんなちょっとした好奇心のまま彼が働いているケーキ屋さんにやって来た私は、目の前に広がるケーキ屋さんらしからぬ光景と、その向こうでがっくりと肩を落とす翼の姿を認めて、やれやれとため息をついたのだった。
「キャー! 店長すてきー!」「こっち向いてー!」「ここのケーキ全部ください!」「店長の笑顔ください!」とかなんとか、黄色い声をあげるお姉様方の間をなんとかかき分けてレジ前に辿り着いた私は、挨拶もそこそこに事の顛末を尋ねてみる。
翼は私を認めて力なく微笑むと、「聞いてくれよ」とその整った唇をそっと開いた。
聞けば、残念ながらこのお店にはバイトの女の子はいなかったのだという。
しかも彼がバイトに入った日から、このお店は閑古鳥が鳴いていたらしい。その理由が店長の容姿と接客にあると思った翼は、どうして客が来ないんだろうと悩む彼のために店長プロデュース作戦を決行した。テーマは『イタリア帰りのカリスマパティシエ』。見た目に合わせて店長の接客が少しでもマシになれば御の字、それをダシに女の子のお客さんとお近づきになれればラッキー、くらいに思っていたのだが。
「プロデュースがうまくいきすぎたんだね……」
私はそう呟いて店内を見回す。もともとがどんな感じだったのかはわからないけれど、どこからどう見てもイケオジの店長さんが、色気のある微笑みをばらまきながらお客さんの相手をしている。ショウケースにはケーキはもうひとつもないが、お客さんが帰る気配はない。ケーキなんてなくても関係ないみたいで、ただただ店長さんの一挙一動に黄色い声をあげ、満足そうな笑みを浮かべている。
「せっかく女の子がいっぱいいるのに、みんな店長に夢中すぎて誰もこっちをみてくれない! こんなはずじゃなかったのに……!」
そう言って、レジカウンターにがっくりとなだれかかる翼。私はお客さんと店長さんの幸せそうな笑顔を見て苦笑めいた笑みを浮かべながら、白い制服に包まれた彼の肩にそっと手を置いた。
「まあ、確かに翼の目標は達成できなかったかもだけど……、そんなにがっかりしなくてもいいんじゃない?
だってほら見てよ、みんなのあの笑顔」
「え?」
私に促されて、翼がおもむろに顔を上げる。ピンクアッシュの髪がさらりと揺れて、前髪の向こうの涼しい色の瞳が私を真っ直ぐに見上げた。
結局今年もひとりのクリスマスを過ごさなければならないことを嘆いているのか、どこか寂しそうな印象の眼差しを、私は正面から受け止める。そして努めて明るく笑って、こう言った。
「翼がいなかったら、お客さんも店長さんも、きっとあんなふうに笑ってなかったよ。
みんなにとっては、翼はサンタなんじゃない?」
「笑顔というプレゼントを届けてくれた、ね」と冗談めかした口調で言って、おまけにウインクをひとつサービスする。
翼はおどける私を胡散臭そうに見遣ってから、促されるまま人混みの方に視線をやる。そこにあるたくさんの笑顔を見て翼がなにを思ったのかは、わからない。ただ、彼の口元に穏やかな笑みが浮かぶのを確かに見て、私は少しだけ胸を撫で下ろした。
「……ま、今回はそういうことにしといてやるか」
いつもの口調に近い軽い声でそう言って、翼は丸めていた背中をぐっと伸ばして立ち上がる。私より低い位置にあった頭は、あっという間に私を追い越していってしまった。私がそれに満足げに頷くと同時に、彼は爽やかな笑みで私を見下ろしてこう続けた。
「さーて、あともうちょっと仕事しますか」
その翼の言葉に、私はここに来たもうひとつの理由をふと思い出す。
翼の彼女を見る、という目的の他に、もうひとつ。もしも翼に彼女ができていなかった時には、私は彼を誘おうと思っていたのだ。みんなも、きっと今頃てっぺーのところに集まっているはず。彼女と過ごせないのは残念だけど、代わりに私たちとのクリスマスはどう?
さっき翼は、誰も自分のことを見てくれないと嘆いていたけれど、そんなことはない。私も、宗介も、大和くんもてっぺーも、みんな翼を待っているよ。
「ねえ、バイトって何時に終わるの?」
私は黄色い声で騒がしい店内でも私の声が届くように、いつもより少しだけ近い距離で彼にそう尋ねる。翼はそれだけで私が何を言わんとしてるのか察してくれたようで、「30分、待っててよ」と私のすぐ耳元で囁くように言った。彼の甘い声は私の耳を震わせて、そのまま心臓へと伝わっていく。
思わず上がりかけた心拍数を、私はからからと笑うことで落ち着ける。今の、狙いすぎな感は多少あったけど、でも結構よかったよ。そんな含みを持たせて、私は笑いながらこう言った。
「来年は、それ彼女にできるといいね!」
「余計なお世話だって」
そう言って彼は、私の頭を軽く小突く。私は彼の手から逃れるように少し距離をとって乱れた髪をちょいっと直すと、「じゃ、ちょっとケーキ買いに行ってくるね」と言って右手をひらひらと振った。本当はここで翼のオススメを買っていこうと思っていたのだけれど、予定外に完売だったので、仕方ない。
「おっけ。じゃ、30分後に」
「30分後に」
ひらひらと手を振り合って、とりあえず翼と別れる。
お店から出ると、どこからか聞こえてくるクリスマスソングと乾いた北風が私の耳元をかすめていった。肩をすぼめて寒さをやり過ごしてから、私は百貨店の方へ歩き出す。
さて。集合は30分後。百貨店の1階でケーキを買って戻ってくるには、充分すぎる時間がある。
「……ナポリタンでも作ろっかな」
そうだ、地下の食品街でパスタと玉ねぎ、それからピーマンを買って行こう。それだけの時間はあるはずだ。それからケーキを買って、翼と落ち合っててっぺーの家に行って、台所を借りて料理をしよう。
百貨店の野菜は少し高いけど、せっかくのクリスマスなんだから贅沢したっていいと思う。
それになにより、翼はサンタとして立派にみんなを笑顔にしたのだ。今度は誰かが翼を笑顔にしてあげるべきだし、私にはそれができる。
私は誇らしい気持ちを感じながら、足取り軽く歩いてゆく。ナポリタンの赤と緑は、クリスマスによく映えるだろう。翼もきっと、喜んでくれる。
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