風が吹くたびにざわざわと、麦穂が触れ合う爽やかな音が響き渡る。
シンオウはこれから短い夏に向かってゆくが、ズイタウンの北部に広がるこの麦畑は毎年、春が終わると夏が始まる前に、少しはやい秋を迎える。
秋と言っても、本当にカレンダーをすっとばして9月がやって来るわけではない。ズイの初夏は、麦秋なのだ。

麦秋、という言葉が、私は好きだった。
麦の実るこの景色を、黄金に頭を垂れる稲穂の美しい秋になぞらえて、麦の秋、麦秋という。この国らしい、本当に美しい言葉だと思う。

夏の気配を含んだ風をすうっと吸い込むと、鼻腔の奥にパンの焼ける香ばしい匂いが微かに蘇った。私の小麦が焼ける匂い。みんなが喜ぶ幸せのかおり。
収穫は今週末にしよう。麦穂の様子を確認しながらそう決めた時、私の背後から女性の声が聞こえてきた。

「綺麗な麦畑ね」

振り返ると、そこには、ズイを吹き抜けてゆく風に、まるで私の手の中にある麦穂のような黄金の髪を遊ばせる、美しい女の人がいた。彼女は広大な麦畑を見渡してから、しとやかで美しい笑みをこちらに向ける。
綺麗だと言ってくれた、その率直な言葉が嬉しくて、私は彼女に笑みを返す。

聞けば彼女は学者さんで、今はズイの遺跡を調査しているのだという。
彼女はいつまでここに滞在するのだろう。今年の小麦粉で最初のパンが焼けるまで、ズイにいてくれるだろうか。
名前も知らない彼女の金の髪を眺めながらそんなことを考える私の背後で、私の麦が風に大きくざわめいた。


麦秋至;むぎのときいたる
麦が熟して畑一面が黄金色になり、収穫をむかえる季節
※麦秋:バクシュウと読みます




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