烏野商店街の中央交差点。私はその脇にあるバス停の青いベンチに腰かけて、図書室で借りた文庫本を読んでいた。
最近急激に日が短くなったせいで、辺りはもう既に夜の闇に覆われている。バス停の脇に設置された街灯が投げかける赤みを帯びた光を頼りに文字を拾っていると、不意に、背後から私の名前を呼ぶ落ち着いた声が聞こえてきた。
「お、苗字?」
私は呼ばれるままに、文字のびっしり詰まったページから顔を上げる。真っ先に視界に飛び込んできたのは、闇の中でなおその存在感を放つ漆黒のジャージだった。烏の名に恥じない黒、それを着たクラスメイトのシルエット。
「澤村くん、部活あがり?」
「おう。苗字は? こんな時間に、珍しいな?」
私はフレンドリーに右手を挙げてこちらに近付いてくる彼を見上げながら、今日はたまたま委員会の仕事で遅くなってしまったことと、時間が時間なので母がこの近くまで迎えに来てくれるのだということを、手短に述べる。
「それで、ここで時間をつぶしてるんです」
「なるほどな」
納得したように小さくあごを引いた澤村くん。彼はそれからたくましい腕を体の前で組んで、さっと辺りを見渡し、最後にもう一度、私の方に向き直る。
「迎えって、もうすぐ来るの?」
「、え?」
どうしてそんなことを聞くのだろう、と心の中で思いつつ、私は反射的に「たぶん、あと10分くらい、かな」と言葉を続けた。
すると澤村くんは、「ふうん、」と独りごちながらもう一度小さくあごを引いて、ながれるような動作で私の隣にすっと腰をおろした。夜の空気が僅かに動いて、しかしすぐに静寂が返ってくる。
ぽかん、とした表情を浮かべている私の視線の先で、彼は愛用のスポーツバッグから一冊の本を取り出し、読みかけていたらしいページを開いた。
「……えっと、澤村くん?」
聞きたいことは山のようにあったけれど、私の口から出てきたのは彼の名前だけだった。
しかし察しのいい彼は、私の足りない言葉から全てを読み取ってくれたらしい。文庫本から視線を上げると、なんでもないことのように、こう言ってのけた。
「女の子ひとりだとさ、なんかあったらいけないだろ」
それはクラスにいる時の彼と同じで、澤村くんらしいごく柔和な声色だった。しかし同時に、その口調のどこかに有無を言わせない迫力、のようなものがあったのだと思う。私は曖昧に笑って「そ、そっか」と言ったきり、うまく言葉を紡げなくなってしまった。
私の肯定を聞いた澤村くんは、「そう」と、またもや小さくあごを引く。そして、田舎でも何かあるかもしれない、とか、用心に越したことはない、とか、まるで小学校の先生の言いそうなことをいくつか付け加えてから、再び文庫本へと視線を戻した。
私は澤村くんの真似をするように、開いていたページに視線を落とす。しかし、ついさっきまで私をとりこにしていた筈の物語は、もう紙の上で完結するばかり。
言葉が全く頭に入ってこないのは、きっと澤村くんのせいだ。街灯の明かりの向こうに薄ぼんやりと見える彼が本のページをめくる微かな音ばかりが、私の心を揺らしている。
虹蔵不見;にじかくれてみえず
日差しの力が弱まって、虹を見なくなる季節
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