昨日見せてもらったテレビのおかげで、レシーバーのことや、アメフトの雰囲気を何となく理解することが出来た。
その感覚をもとに作ったチラシのデザインを朝練後の蛭魔くんに見せると、彼は満足げににやりと笑ってくれた。自分のつくったものを評価されるというのはやっぱり緊張する。どうやら私の作品は彼の眼鏡に叶ったようで、私はほっと胸を撫で下ろした。
「あとは印刷だな」
蛭魔くんはチラシのデザインを持ったままそう言って、ポケットから携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけて手短に話をまとめていく。あっという間に電話を切った彼は、私のチラシを持ったまま踵を返して歩きだした。
私はほとんど反射的にその後を追う。やや小走りになりながら「どこ行くの?」と問えば、彼は歩調を緩める事なく視線だけをこちらに寄越して「印刷所」とだけさらりと言った。その視線もすぐに正面に戻されてしまって、私はあっという間に彼の視界から消えてしまう。
「い、今から行くの?」
授業始まっちゃうよ? というニュアンスを込めて尋ねたのだが、蛭魔くんには学校の枠組みなんて別段気になるものではないのか、再び非常にあっさりとした調子で「そうだ」とだけ口にして、裏門に向かって歩き続けた。今度は私の方を見向きもしなかった。
その歩調が、こちらに向かない視線が、なんだかちょっと、嫌だった。
私からチラシのデザインを受け取って、もうお前は用済みだと言わんばかりのその態度が、何故か無性に悔しかったのだ。
どうして蛭魔くんのその態度にこんなに過敏に反応してしまったのか、自分でもよくわからない。
思い返してみれば、私と彼の間にあるのは支配被支配の関係で、そもそも私に命じられていた仕事は宣伝チラシをデザインすることだけで。だからそれに従って判断すれば、彼のこの態度はごく自然なものなのだ。頭ではそう理解していても、胸に湧き上がってくるこの不思議な衝動を止めることはできなかった。
「わたしも行く!」
突然私が上げた大声に、蛭魔くんの足が止まる。
やや緩慢な動作でこちらを振り向いた彼は、その三白眼をしっかり開いて拍子抜けしたような表情を作っていた。やや遅れてその口から飛び出して来たのは、「は?」という彼にしては間の抜けた声。
私は訝しげな視線をこちらに注ぐ蛭魔くんに負けじと口を開いた。
「チラシは私の仕事だから」
ズボンのポケットに手を突っ込んだままの蛭魔くんが、裏門の方に向いていた爪先をくるりと反転させてこちらに近付いてくる。
私よりも20センチ近く背の高い彼を見上げながら、私は両の掌をぐっと握り締めた。相手を威嚇するようにセットされた頭、尖んがった耳を飾るたくさんのピアス、また彼を取り巻く種々様々な逸話、そういったものに隠れてしまっているものを昨日の私は確かに垣間見たじゃない、大丈夫。そう自分に言い聞かせるように、一度深く呼吸する。
「最後までちゃんと確認させて」
真っ直ぐ見つめる先の蛭魔くんは、そう言った私を黙ったまま見下ろしていたのだが、
不意に、その口を耳まで裂いて不敵に笑った。
「遅刻もしたことねぇ真面目ちゃんのくせに、授業サボるってか」
彼のその言葉に、今度は私が目を丸くする。いくら彼の情報網と記憶力が人並み外れているからといって、私なんかの出欠状況まで把握しているものなのだろうか。
「…そんなことまで知ってるの?」とやや呆然としながら尋ねると、彼はにやりと笑って当然のことのようにこう言ってのけた。
「昨日学校のコンピュータに忍び込んで調べた」
それって犯罪なんじゃ、という非難なんて彼の前では全く無意味だということを既に理解していた私は、彼のその告白に対し絶句することしかできなかった。
目を真ん丸に見開く私に、彼は更に追い打ちをかけるように口を開く。
「テメーの情けない成績も筒抜けだぞ」
目をかっと見開いて、口角を耳まで持ち上げる悪魔の笑みが、そこにあった。
私は成績を見られたことに対する羞恥から顔に熱が集まるのを感じながら、余裕の笑みを浮かべる蛭魔くんに抗議を申し入れる。
「な、情けなくないよ、普通だよ」
蛭魔くんはケケケと笑っただけで、私の抗議を受け入れる事もはねつける事もしなかった。
「ほんとだよ?」
「へいへい」
私の駄目押しに気だるげに頷いた彼は、くるりと踵を返して私に背中を向ける。
そしてそのまま私を残して歩きだす、その瞬間、
「行くぞ」
ぽん、とこちらに投げ掛けられたその言葉。
耳を疑ったのは刹那、蛭魔くんが首を微かに捻ってこちらにちらりと視線を送ったのを合図に、私は地面を蹴って緑色のブレザーを着こなす背中を追った。
裏門を抜けて駅前へ向かう道を歩いてゆく私たちを始業のチャイムが追いかけてきたが、そんなものでは私の足を止めることはできなかった。
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