「こういうのは、信仰の問題だから」
そう言ってしまえば、なにか言いたいことがあったとしても、難しい話の嫌いな彼は黙り込んでしまうことを私は知っていた。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、むすっとした表情で私の後をついてきているのだろう。雪を踏む二人分の足音が、木々の間に鈍く響く。
足元にも、そして樹上にも雪の残る隠れ泉への道は、ぞっとするような寒さだった。完全防寒の私と違い、慌ててネイビーのダウンジャケットを引っ掛けただけの彼は、聞いているこちらが寒くなるようなため息をついては、無言で私を責める。
勝手について来たのはオーバじゃない。私もそんな含みを持たせて、小さくため息をついてみせた。私の口からふわりともれた白い吐息は、冬のシンオウの空気に凍てついて消える。
消えてしまったものは、どこへゆくのか。
そういうのは、本当に、信仰の問題でしかない。
送りの泉に辿り着いた私は、携行していた鞄から小さな箱を取り出す。
底が見える程透き通った湖に張り出した、小さな桟橋。私はそれを、静かに渡ってゆく。
オーバはもうため息をついてはいなかった。ここは、本当に静かだ。私が木の橋を踏む音も、降り積もった雪があっという間に吸い込んで消してしまう。
私はその橋の突端にしゃがみ込む。そして、昔おばあちゃんから伝え聞いた通りのお祈りの言葉をあげて、箱の中身をそっと湖へ還した。
どこまでも透明な湖に、ゆっくりと沈んでゆく白い骨。湖底が見えているにも関わらず、私はそれを最後まで見届けることは出来なかった。まるで水に溶けるように、それは滲んで消えたのだ。いや、それだけではない、きらめく湖面も、そこに浸された私の腕も、泉の周りに茂る緑もなにもかもが、滲んでいる。
そっ、と優しく私の肩に乗せられた手。私は堪え切れずに涙を零す。
消えてしまったものは、どこにもいかない。どこにもいけず、また、決して戻ってくることもない。科学の時代を生きる私は、そのことをよくわかっている。
けれど今は、今だけは、古い信仰にすがりたかった。骨を流せば、やがて肉をつけて帰ってくる。そんなおとぎ話を本当だと思いたかった。
「帰ろうぜ」
私はオーバの言葉に小さく頷いた。その拍子に零れた涙が、頬を伝って湖へと落ちる。私がここに残していけるのは、祈りと少しの涙だけだ。
立ち上がった私は、涙を拭い、来た道をゆっくりと帰ってゆく。私が迷ってしまわないように先を歩く赤い頭。響く二人分のくぐもった足音。
――さようなら。最後まで私にたくさんのことを教えてくれたあの子に、私はもう一度、胸の中で瞑目した。
鮭魚群;さけのうおむらがる
鮭が生まれた川に戻るため、群をなして遡上する季節
※「鮭」は旧字がweb表示できなかったため、新字を充てています。
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