いつもは何気なく交わしているおはよう、という挨拶をすることが、なんとなく躊躇われた。
私は、先に駅のプラットホームについていた青根に、軽く右手を挙げて挨拶をする。青根は少し荒れた唇から白い息を吐き出しながら、氷のように白い頭を少し下げてそれに答えた。

そのまま彼の隣に並んで、電車を待つ。いつもは当たり前のように出て来る他愛もない雑談が、今日は喉の奥でつっかえてしまって、出てこない。
青根も青根で、いつもならば私が無言でいると、私を気遣うようにこちらの様子をうかがってくれるのだが、今日の彼は意志の強い瞳で真っ直ぐ前を見詰めたまま、微動だにしない。

今日に限って、プラットホームは無人だった。
いつも高い声で中身のない会話をしている女子校の一団も、安っぽいヘッドフォンを音漏れさせている大学生風の男も、タブレット端末をたたっと叩きながらニュースをチェックしているサラリーマンも、いない。駅向こうのフェンスからこちらをうかがう野良猫も、我が物顔で空を駆けるカラスの群も、とにかく生きているものの気配というものが、一切感じられなかった。私たちの間を駆け抜けてゆく風の音すら凍ってしまうような、そんな静かな宮城の朝。

――東京のオレンジコートでは、今頃、

そんな思いが頭をよぎる。私はぐっと息を殺して、頭をもたげかけた感情を飲み込んだ。
駅のホームの開けた視界の先に見えるのは、まだまだ雪を吐き出し足りない様子の、冷たい灰色の空ばかり。

しん、と耳に痛い沈黙を共有する私と青根の考えていることは、同じかもしれない。けれど、私は絶対に、青根の悔しさの全部を理解することはできないだろう。
来年こそ、なんて簡単に言うことが出来なくて、私はただ、ぎゅっと拳を握りしめる。ちら、と見遣った彼の左手は、張りつめんばかりの力で握り固められて真っ白になっていた。


水泉動;しみずあたたかをふくむ
厚い氷の張った泉の下で、泉の水が溶けて動きはじめる季節




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