今から部室に来い、
という簡潔なメールが蛭魔くんから届いたのは、帰宅するために正門を出て駅への道を半分ほど過ぎた時だった。
私は苦笑を浮かべながら蛭魔くんに、わかりました、と短い返事を送って、今来た道を早足で引き返す。あんまりもたもたしていると怒られそうだな、という思いも勿論あるけれど、それよりも、どんな仕事を任されるのだろう、という期待の方が強かった。
早歩きだった歩調はいつの間にか小走りになり、そのストライドも次第に大きくなってゆく。今まで学校の体育でしか運動してこなかった私が学校まで駆け戻るなんて無謀でしかない。そう自分で分かっていても、走り出すのを止められなかった。
裏門をくぐり抜け、荒い息で部室に駆け込むと、姉崎さんの大きな声が私を迎えてくれた。
「名前ちゃん! どうしたの?」
彼女は水の入ったコップをさっと用意して、心配そうな表情とともにこちらにそれを差し出してくれた。私は「あ、ありがと」と礼を述べて、それを一気に喉に流し込む。ほてった体に冷たい水が染み渡る、何とも言えない気持ち良さが全身に広がってゆく。毎日グランドを走り回る彼らもこんな気持ちで水分を補給するのだろうか。そんなことを頭の隅でぞんざいに思いながら、コップから口を離してはあ、と息をつく。すると、部室の奥でパソコンをいじっていた蛭魔くんに「走ってきたのか?」と問われたので、反射的にこくりと頷くと、「バカだな」と笑われた。
「もう、そんな言い方しなくたっていいでしょ」
私の代わりに姉崎さんが蛭魔くんに抗議をしたが、それは案の定聞き入れられる事はなかった。
蛭魔くんは彼女の言葉を右から左に華麗に受け流してノートパソコンをぱちりと閉じ、私に鋭い視線を寄越す。
「今週の土曜に試合をやる」
蛭魔くんの三白眼の奥に、闘志と幸甚の入り混じった複雑な炎が燃えていた。
私は黙って頷いて、彼の言葉の続きを視線で促す。
「そこでテメーの出番だ」
びしっ、と綺麗な長い指を私を向けた蛭魔くんは、私に次々と仕事を指示した。
校内に貼る宣伝用のポスター、生徒玄関の上にかける巨大な垂れ幕、当日お客さんに配るための解説パンフレット。
滞りなく口を動かす蛭魔くんの人使いの荒さに、思わず苦笑が漏れた。姉崎さんが「ちょっと、そんなにたくさん……」と彼を非難めいた口調で制そうとしたが、私が彼女に、大丈夫だよ、と視線で訴えかけると、姉崎さんは一瞬なにか言いたそうに表情を歪めたが、すぐに私の意思を汲んで口を閉ざしてくれた。
私は蛭魔くんに向き直る。
仕事はきっと大変だけど、にやりと挑発的な笑みを浮かべて「やれるな?」と尋ねた蛭魔くんに対する私の返答は決まっていた。
「まかせて」
自信たっぷりに頷くと、蛭魔くんの表情が愉快そうに歪んでいく。
私の見たかった表情を惜し気もなく披露してくれた蛭魔くんにつられて私も笑った。仕事は山積みだけれど、そんなのは気にならないくらい、今の私はとても幸せな気持ちでいっぱいだった。
さあ、この笑顔を崩さないように仕事を全うしなければ。蛭魔くんの笑顔を見ながら、そう思った。
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