「名前ちゃん、嫌なことははっきり言わなきゃ!」

私の肩に手を置いて小さな子に諭すようにそう言った彼女に、私は曖昧な笑みを返す。私と姉崎さんは同い年の筈なのに、身長も顔立ちもなにもかも幼い私は、セナくんと同じく彼女に庇護対象として認識されているらしい。

「大丈夫だよ、私、好きでやってるから」

私がそう言うと、姉崎さんは綺麗なブルーの瞳に私を映したまま、「ならいいんだけど……」と眉尻を下げて頷いた。私の真っ黒なそれと違って栗色のさらさらした髪の毛がふわりと揺れる。
姉崎さんは、アメリカ人のクォーターなのだという(まさかこんな身近にまで国際化の波が押し寄せていたなんて)。平凡な日本人の遺伝子しか持っていない私は、彼女の魅力がそれによるものだけではないということがわかっていながら、それを羨ましく感じずにはいられなくなる時が、たまにある。

「おう、順調か?」

派手な音をたてて部室の扉を蹴り開け現れた金色の頭。
――そう、例えば、このすらりと背の高い男と姉崎さんが並んでいる時なんか、特に、私にもアメリカ人の血が流れていたらな、と思ってしまうのだ。

「うん。名前ちゃん、とても覚えがいいし」
「へぇ、あの成績でな」
「成績?」

土曜日の試合に向けてお客さんに配るパンフレットを作るために姉崎さんにアメフトのルールを教えて貰っていた私は、二人が言葉を交わす様子を見つめながら思わず目を眇めてしまった。なんとなく、二人が眩しかった。
つらつらと交わされる会話はとても自然で、私はどうしてもその様子と自分が蛭魔くんと会話をする時の様子を比べてしまう。彼の笑顔が見たくて精一杯背伸びをしている自分が、少しだけ滑稽に感じられた。

「もうすぐ朝練あがるぞ。ポスターノルマ、一人20枚だ」
「わかった」

蛭魔くんの言葉を受けて、姉崎さんが立ち上がる。マネージャーとして、グランドの片付けを手伝いに行くのだろう。

「続きはお昼でいい?」

蛭魔くんの後を追いながら私を振り返った姉崎さんに、私はこくりと頷いた。
彼女は私に笑顔を返してから、すぐに部室を出て行った。今はスロットに興じる生徒もいない。派手な内装の部室に、ひとり、取り残される。

私はわざと大きな音をたてて立ち上がってから、今朝印刷してきたばかりのポスターが入っている段ボール箱を持ち上げて、机の上に広げたままになっていたアメフトのルールブックの隣にそれを置いた。
印刷工場の社長さんがとめてくれたガムテープを剥がしながら、つい先程の蛭魔くんの言葉を思い出す。ポスターノルマ、ひとり20枚。私は出来上がったばかりのポスターを箱から取り出して、いち、に、さん、し、と数えてゆく。20枚をカウントしたところで、その束をくるりと巻いて、輪ゴムで縛る。そしてまた、いち、に、さん、し、と数えてゆく。
静かな部室に響くのは、私が紙をめくってゆく場違いに軽やかな音だけ。単純な反復作業にも慣れてきた頃、静寂を破ったのはあの扉を蹴り開ける派手な音だった。突然の轟音にびっくりして振り返ると、両肩に銃器の入った黒い鞄をかけている蛭魔くんと目が合った。朝練上がりで疲れているのか、少しけだるげな表情で私を見下ろす。
無言の圧力とは正にこのことだ。鋭い三白眼にじろりとねめつけられた私は、おずおずと口を開く。

「お、お疲れ様」

私が紡げた言葉はたったのこれだけ。気の利いたことのひとつでも言えればいいのだけれど、蛭魔くんの視線に真っ直ぐ射抜かれた私の頭はうまく動いてくれなくて。

無言で私を見下ろしていた彼は、私の短い言葉に、更に短く「おう」とだけ返して、私の後ろを通って部室の奥へ進んで行った。
私に背中を向けたまま銃器の入った鞄を下ろし、なにやらごそごそと中をいじりはじめる。

私と彼の間に完全な沈黙が満ちたのを感じて、私はやっぱり姉崎さんのようにはいかないな、と思った。
赤いユニフォーム姿の蛭魔くんから視線を剥がして、私は再びポスターを数えはじめた。いち、に、さん、し。作業を始めてしまえば、この沈黙もさして気にならなくなった。蛭魔くんをちらりと見遣れば、今朝の練習で使ったのか、派手な銃器を解体して整備しているようだった。私が紙をめくる音に、銃器のパーツが触れ合う無機質な金属音が重なる。不恰好なデュエットは、不思議と耳に心地好かった。
……私は姉崎さんのようにはいかないけれど、それもまあ、悪くはないかな。

グランドの片付けが終わってセナくんたちが部室に戻って来るまで、あとどれだけあるだろう。
残り少ないこの沈黙を名残惜しく感じながら、私は手を動かし続けた。




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