ことの始まりは、去年の7月3日だった。

その日、私は補助監督たちのつめている事務室で、出張先で買った菓子を配り歩いていた。
呪術師に案件を渡す前の事前調査のため昨日まで甲信越の片田舎に派遣されていた私は、そこで調査として現地の方と話す中で、ふと地元の人しか知らない小さな和菓子屋さんの話を耳にしたのだ。
事前調査部門に籍を置く私が地方出張のたびにお土産を買っていては、私のあんまり厚くない財布はあっという間に空になってしまう。だから、その和菓子屋さんで同僚のお土産を買って帰ったのはただの気まぐれだった。
調査が7月2日に終わり、翌日の3日にそれをみんなに配ったのも、その時に七海1級術師が補助監督の事務室を訪ねてきて次の現場の担当補助監督にいくつかの確認をしていたのも、ただの偶然に過ぎなかった。

7月3日に現れた七海1級術師は、事務仕事をしていた補助監督たちから口々に誕生日を祝われていた。
そうして初めて今日が七海1級術師の誕生日であることを知った私は、特になにも考えることなく、みんなに配り歩いていた和菓子を彼にも渡したのだった。

「お誕生日おめでとうございます。七海1級術師も、よかったら、いかがですか? 出張のお土産なんですが……地元の方のおすすめの和菓子屋さんなので、たぶん間違いないと思います」

そう言ってもなかを差し出すと、七海1級術師はわりとあっさり受け取ってくれた。
甘いもの、実は結構好きなのかな。それとも、社会人経験もあるようだし社交辞令かもしれないな。そんなことを少し考えて、……まあでも自分は現場担当じゃないから七海1級術師と関わることもないし。この小さな疑問の答えを知ることはないのだろうなと、その時は思っていたのだが。

あれは、それからおよそ一週間後のことだった。
七海1級術師がまたも補助監督の事務室を訪ねてきて、私を呼び出したのだ。

なんで私? と思いながら恐る恐る七海1級術師の前に立った私の疑問の答えを、彼はすぐに与えてくれた。

「私の担当になった案件の事前調査をされたのが、苗字さんと伺いました。二、三確認事項があるのですが、調査をされた方に聞くのが早いと思いまして」

聞けば、私が先日調査に行った甲信越の案件は、七海1級術師の担当になったらしい。
七海1級術師が気にしていたのは、調査報告書には記載する欄がないため省かれてしまった現場の足場状況や湿度温度など、そこに行った者にしか答えられない肌感についてだった。確か、七海1級術師は十劃呪法の使い手で、近接戦闘の大立ち回りをする呪術師だったか。なるほど、地面の状況は動きやすさに直結するだろうし、温度湿度も服装選びに重要な気がした。私は七海1級術師の判断が正しいものになるよう、努めて客観的に情報を伝えた。
数回の簡素なやりとりの後、最後に七海1級術師が口にしたのはこんな質問だった。

「最後に一点……お昼はどこでとられましたか? おすすめなどあれば、ぜひ」
「ああ、お昼ですね。私は3日ほど滞在しましたので……って、え?」

お昼? お昼って、お昼ごはんの話? 今、おすすめのお店を聞かれた?
私の中で七海1級術師は、よく言えば真面目な、悪く言えば堅物な呪術師というイメージだった。だから、そんな彼からお昼ごはんの話が飛び出してきたのが意外で、私は思わずきょとんと彼を見上げてしまったのだ。

「すみません、お昼って、お昼ごはんの話で合ってますか?」
「……はい。先日いただいたお土産がとてもおいしかったもので。あなたのすすめるお店なら間違いないと思ったんですが……」

そこで言葉を切った七海1級術師は、私のことを真っ直ぐに見ながら少しだけ首の角度を傾けて「ご迷惑でしたか?」と言った。その声色はいつも通りの落ち着いた調子であったが、その首の角度と困惑したように僅かに垂れた眉尻は、不思議と印象深く私の記憶に刻まれた。

補助監督は、幅広く呪術師のサポートをすることが仕事だ。だから迷惑だとか、そういう私情は私たちにはありえない。
私は一度、やや鋭く呼吸をして思考を整理してから、七海1級術師の望む通りの回答を口にした。先日渡したお土産と同じくその土地の方がすすめてくれたお店をいくつか紹介し、地元の味に興味があれば現場近くの定食屋が、落ち着いた時間を過ごしたければ県道沿いの農家カフェがおすすめだと伝えた。七海1級術師は私の言った店名をさらさらと書き付けると、短く礼を述べて事務室を後にした。

それからというもの、七海1級術師は時折私のことを呼び出すようになった。
どうやら、行き先が遠方で、彼の手元に渡った資料に『現場調査担当:苗字名前』の記載があると、私を訪ねてくるようだった。
はじめは現場の仔細な状況とおすすめのお店を尋ねて短く礼を述べるだけであったが、次第に私たちの会話に前回のお店の感想やちょっとした雑談が混ざるようになっていったのは、七海1級術師の人柄を考えれば自然なことだったのかもしれない。

彼と話せば話すほど、その性格が繊細であることがよくわかった。七海1級術師は、基本的に気配りの人なのだ。彼は私がすすめたお店の感想を伝える時に、少しだけ自分の好みを織り交ぜて話す。彼は1級術師で私は補助監督なのだから、正面から好みを言えばいいのにな、と思わなくもないが、彼はそういう尊大な物言いはしないのだ。そんな人と話していて悪い気はしない。結果として、私はなるべく彼の嗜好を聞き逃さないようにし、遠方へ調査に行くときはその案件が七海1級術師の担当になるかもわからないのに彼の好みに合った店をそれとなく探すようになってしまった。
もちろん、七海1級術師に妙な気を使わせてはいけないので、それについては悟られることのないように細心の注意を払った。

七海1級術師の態度が時に素っ気ないように見えるのも、私たち補助監督に必要以上に気を使わせないためのものだと気付いてからはさして気にならなくなった。
いつの間にか、私にとって七海1級術師と話すことは仕事の合間のちょっとした息抜きになっていたのだと思う。彼の話は簡潔で、思いやりがあって、時々やや鋭い冗談も差し挟まれる。聞いていて飽きない。私はいつも補助監督として客観的な情報を彼に伝えようと心に決めていたのだが、油断すると仕事と関係のない話がぽろぽろこぼれるようになっていた。

私の誕生日の話や、好きな果物の話も、そうしてこぼれた小さな情報のひとつだったはずなのだが、七海1級術師はさすが気配りの人と言うべきなのだろう、それらの情報をきちんと拾い上げ、私の誕生日にちょっとお高そうないちごを贈ってくれた。
「日頃のお礼です」と私が恐縮しないように添えられた一言。木の箱に入った大粒のいちご。それらは私の判断力を鈍らせた。『なるべく客観的な情報を呪術師に届ける』というモットーを置き去りに、私は嬉々としてそれを受け取ってしまったのだった。

「ありがとうございます! もう帰ったらすぐに食べます!」
「……気に入ってもらえたようで、よかったです」

帰ってからいちごを一粒口にして、私はふと重大なことに気が付いた。あれ? これ、私、次の七海1級術師の誕生日にそれなりの品を贈らないといけないやつ?
半年前、なにも考えずにお土産を渡してへらへら笑っていた時とは違う。私は七海1級術師の喜ぶものを考えて、それを買い、さりげなく渡さなければならなくなってしまっていた。あの七海1級術師を満足させられるものを用意できるだろうか。しかも、補助監督の私の給料で。あまりのハードルの高さに頭がくらくらした。自分を落ち着けるために食べたいちごは、こんな状況でもおいしかった。

ちゃっかりいちごを完食した私は、それから半年かけて七海1級術師の好みをそれとなくリサーチしながら過ごした。
意外にも、七海1級術師は私の質問に細やかに答えてくれた。好きな食べ物はパンらしい。けれどパンは日持ちもしないし、職場で知人へ贈る誕生日プレゼントとして適切ではないと結論付けた。お酒も嗜むらしいが、舌の肥えた七海1級術師も唸るようなお酒を選べる自信はなかった。わりと自炊をすると聞いた時は、小洒落たキッチン用品なんかいいのではと思ったが、七海1級術師は道具は自分で揃えたい派のような気がして、その線も立ち消えた。

私は人に何かを贈るとき、こんなにあれこれ考え込むような人間ではなかった気がする。友達に贈り物をする時も、ざっくばらんに欲しいものを聞いて、予算内でそれに近いものを渡してきた。
なのに七海1級術師にそれができないのは、たぶん、彼にしてもらったことをそのまま返してみたいと漠然と思っているからだ。日常のなんでもないかけらを拾い集めて、特別な贈り物に変えてしまう、あの魔法のような手腕。あれを、私もやってみたい。
私はそんな遠大な目標を隠しながら、なるべく普段通りに七海1級術師に接した。お互いの仕事柄、私と彼が話す機会はそこまで多くない。なので注意を欠かなければそれを隠すのは難しいことではなかった。が、肝心の品物は決められないまま、季節は冬から春、そして夏へと足早に過ぎていった。

結局私は、6月終わりに訪れた山形の土産物店で、それなりの値のワインを買った。
これまで七海1級術師にお昼のお店の情報や、ちょっとしたお土産を渡すとき、いつも地の人の意見を参考にしてきた。でも、今度の誕生日プレゼントだけは自分で選びたかった私は、あれこれ考えて二周三周した末に、酒を嗜む人に渡すプレゼントとして当たり障りない選択肢に落ち着いたのであった。
ベストではないが、悪くないはず。私はそう結論付けて、ワインの入った袋を持って出社したのだが。

7月3日、七海1級術師は私の前に現れなかった。
そりゃそうか、と思った。私は補助監督。向こうは1級術師様。私の都合よく7月3日に彼が私を呼び出すなんて、あるわけがなかったのだ。
幸い、贈り物は酒だ。足も早くないので、また次に七海1級術師が来た時に渡せればそれでいい。そう思った私は紙袋を自分のロッカーに隠すようにしまった。

それから一週間経っても、二週間経っても、七海1級術師は現れなかった。
今までもこのくらいの間が空くのは、私たちにとって普通だった。だからこの時も、私は焦らずに彼を待つべきだったのかもしれない。

気付いたら私は補助監督の権限を乱用して、七海1級術師の予定を調べてしまっていた。罪悪感はあった。しかも、結構はっきりと。でもそれ以上に大きな焦りが私の胸で育っていた。今の私は、去年の7月3日に渡した小さなもなかのお礼にお高いいちごを貰っておきながら、お返しをしないまま誕生日を二週間ほったらかす職場の知人に成り下がってしまっていた。いくら優しい七海1級術師が相手でも、これはちょっと、あんまり、よろしくない。

七海1級術師は、祓除任務の後に高専へ戻り、18時に退勤予定となっていた。私は明日の朝から岩手へ事前調査に行くことになっている。
今日の退勤前しかない。そう結論付けた私は、初めて自分から七海1級術師に会いに行った。18時になる5分前、呪術師たちがつめている控室で七海1級術師を呼んだ。

七海1級術師はいつもと同じ調子で私に声をかけてくれた。よかった、誕生日をほったらかす残念な知人に格下げはされていないようだ。
私は内心でほっと胸を撫で下ろしながら、用意していた言葉をすらすらと紡ぐ。

「七海1級術師、先日岩手の方に行かれてましたよね? 私、明日から岩手なので、もしよかったらおいしかったお店、教えていただけませんか? 七海1級術師のおすすめなら間違いないと思うんです」

「そうですね……」と言って顎に手を当てた彼は、そのままおすすめのお店を教えてくれた。その端々に「苗字さんの好みなら、」とか「調査の合間に急ぐのであれば、」とか、私のためのお店選びであることを隠さない言葉が散りばめられていた。
私は店名を手帳に書き付けてから、時間を確認する。七海1級術師の定時まであと2分。

「そうだ、あと、これ。遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。いちごのお礼と……いつも本当にお世話になってるので、そのお礼も込めて。私の地元のお酒なんですが、よかったら貰ってください」

七海1級術師のようにスマートにはいかなかったけれど、それでも、用意してきたことは言えたと思う。
彼は少し間を置いてから、私のプレゼントを丁寧な手付きで受け取ってくれた。

「わざわざ地元のお酒を。それはありがとうございます。これも、どなたか地元の方のおすすめですか?」

私は七海1級術師に飲食店を紹介するとき、いつもその土地の方にすすめてもらった店だということを明言してきた。だからこの時も、七海1級術師はこれが私の地元の知人のおすすめだと思ったのだろう。
私はそれを適当に肯定してもよかったのだと思う。「そうなんですよ」と言って笑って、「信頼できる友達のおすすめなので、たぶん間違いないです」といつものように言えばよかった。
でもこの時の私は、つい本当のことを言ってしまったのだった。

「いや、それは、私の好きな銘柄で……」

言ってしまったら、止まらなかった。

「私は甘いのが好きなんですが、七海1級術師は辛口の方がいいかなと思って。あとこれから夏なので、すっきりしたものを選んでみました」

お口に合うといいんですけど。そう締めくくった私の視線の先で、彼は袋の中の瓶を見遣って、その眦をふっと和らげた。

「……そうですか。ありがとうございます。大切にいただきますね」

それは、笑顔というにはあまりに素朴な、しかしとても大きな優しさの滲む目元であった。

……仲良くなったら絶対に惹かれるってわかってたのになあ。私、どうして自分から会いにきてしまったんだろう。

自分の行動に後悔がないと言ったら嘘になる。しかし、湧き上がってくる気持ちは悔しいくらい、どこまでも晴れやかだった。

私は定時を迎えた七海1級術師に挨拶をして、踵を返して歩きだした。
きっと私はこれからも一生懸命仕事をして、その合間に七海1級術師のことを考えながらお昼を食べたり、お土産を選んだりするのだろう。
自分のあまりの健気さに思わず笑みがこぼれた。私ってこんなキャラだったっけ? と思わないでもなかったが、不思議と悪い気はしない。抑えきれなかった笑い声は、どこまでも愉快そうな響きをたたえていた。その明るい声が、また私の気持ちを軽くしていく。私の少し浮かれた足音は、定時を迎えた高専の廊下に小さく響いて消えていった。




ALICE+