坂ノ下商店の入り口前で、自動販売機の明かりを受けて屹立する俺と同じ黒いジャージを着た見知った男たちが、中華まんを食べていた。
「あ、旭さーん!」
真っ先に俺に気付いた西谷の大きな声が響く。「え? 旭?」とこちらを振り向く部員たちの間から飛び出してきた西谷に、いっしょに歩いていたクラスメイトたちの注目が集まる。「東峰の後輩?」「バレー部の?」「うわーちっさいねー!」最後の、感心したような女子生徒の声にややむっとしたような表情を浮かべた西谷をたしなめていると、「お、苗字じゃん」というスガの声が向こうから聞こえてきた。
「あ、菅原ー」
「部活お疲れ様」「苗字も作業お疲れ」そんななんでもない会話をごく自然に交わす二人の声が聞こえてくる。俺は交互に響く彼らの声を聞きながら、なんだか複雑な気持ちが湧き上って来るのを感じていた。つい先日、部室でスガと彼女の話をしたときにも感じた、羨ましいような、ねたましいような、じれったい気持ちが背中の辺りでわだかまる。
俺が黙ったままスガと苗字さんを凝視していたせいか、「旭さん? どうしたんスか?」と西谷が俺に声をかけた。俺に喝を入れるときよりもいくらか高い調子のその声は、俺の様子を心配してくれているのだとすぐにわかった。でも俺はそんな後輩に「悪い」とだけ返し、おそらく俺に真っ直ぐ向けられているであろう瞳を見ることもしないで、歩き出す。
何て声をかければいいだろう。こんなことして彼女を嫌な気持ちにさせはしないだろうか。スガはなんて思うだろう。明日、西谷や大地にからかわれたりするんだろうか。そんな感じのことも、少しは考えたけれど、どうしてだか、普段なら俺の足をすくませるその不安は、今の俺を立ち止まらせることは出来なかった。彼女に坂ノ下に行こうと誘われてから感じている不思議な高揚に支配されて、体が動く。
俺が近くに立ったことによって、スガと苗字さんの顔にぬっと影が差す。影に気付いた二人はすぐにこちらを振り返り、それぞれ違った反応をした。すぐに俺の内心を見抜いて白けたような表情をつくるスガと、俺をまん丸な瞳で見上げて驚いたような顔をする苗字さん。スガはやれやれ、とでも言うように溜息をつく。その余裕をわけて欲しいくらい緊張している俺は、なるべく平静を装いながら、「苗字さん、」と彼女の名前を呼んだ。
「え、はい」
どうしてだかやや改まった調子でそう言った彼女に、俺は短く「行こう」とだけ言って、坂ノ下の扉へ向き直る。正確には、そう言うだけで精いっぱいだった、といった方が正しい。いつの間にか、俺たちよりも先に店の中に入っていたクラスメイトたちの声が、ガラス越しに聞こえてくる。
その楽しげな声に、先程のスガと苗字さんの様子が重なった。
それをきっかけに、俺ははたと我に返った。俺じゃ、ああはいかない。俺と苗字さんの会話はいつも、もっと、不恰好で。苗字さんがにこにこと屈託なく笑ってくれるから、そのことを忘れてしまうけれど。
彼女は俺と話すよりもスガや、他のクラスメイトたちと話す方が楽しいのではないだろうか。そう思ってしまった途端、高揚していた気持ちが急速に沈んでゆく。無意識に丸くなる背中。その向こうから、苗字さんの「あ、東峰?」という少し不安そうな声が聞こえてきて、俺は自己嫌悪にとどめを刺された。俺の名前を呼んだ彼女の声が、少し震えていた。彼女をこんな気持ちにさせてしまった後悔が、重くのしかかってくる。
「あー苗字さん、ほんとごめん」
俺は彼女の顔を見ないままそう言い残して、逃げるようにこの場を去った。以前、お化け役をやるやらないで揉めて、彼女の前から逃げ出そうとした時のことが頭の中に蘇る。あの時は彼女が俺のことを追ってきてくれて、少し話ができて、なんだか、これからうまくやっていけるような気になっていた。けれど、どうだ。俺はあの時からなんにも変わっていない。
苗字さんに坂ノ下に一緒に行こうと言われて舞い上がってついて行った自分に、それは違うぞと教えてやりたかった。そうすれば、これ以上苗字さんに嫌われることもなかったのだ。
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