衣装係の女の子が作ってくれた白い着物のような衣装を着て、自分の持ち場で待機する。周囲には無駄に出来のいい暗闇があるばかり。心臓はばくばくやかましいし、暗闇は恐ろしい。けれど、苗字さんに任せろと言ってしまった手前、音を上げることなんて出来るはずもなくて。俺は「頑張ってね!」と言って俺の背中を叩いた苗字さんの声を思い出しながら、耐えた。
なんとかリハーサルをこなした俺は、終了の合図が聞こえると同時に一目散に扉を目指した。
「あずまねー、お疲れ! どう? いけそう?」
俺が外に出るなり駆け寄ってきた苗字さんは労いの言葉もそこそこに、衣装に不備はないか、隠れる場所は十分か、お客さんとの距離や足元の安全性、流れていたBGMの雰囲気はどうかなど、重箱の隅をつつく様な質問を次々と投げかけてくる。
俺はその勢いに押されてしまって、「うっ、うん、全部、大丈夫でした」と答えることしかできなかった。実際、自分のことにいっぱいいっぱいで周囲の状況に気を配ることなんて出来ていなかったのだ。
苗字さんは「そっか、よかったー」と言いながらそれをノートに書き留めて、それから別の人の所に駆けてゆく。同じような質問を繰り返す彼女はどうやら、明日の本番に備えて手直しの必要な個所を割り出そうとしているらしい。その忙しそうな様子をのんびりと見守っていると、不意に背後から「旭、」と俺を呼ぶスガの声が聞こえてきた。
振り返ると、制服の袖をまくったスガが片手を上げて立っていた。その背後には大地の姿も見える。俺が「おう、大地、スガ」と言ってそちらに歩み寄ると、二人はぎょっとした様な表情を浮かべて俺を見上げた。二人の表情に驚いてしまった俺は、思わず足を止めて「な、なんだよ」と警戒する様に言いながら、二人の様子を窺う。
「お前、その格好……」
「もしかして旭、お化けやんの?」
信じられないものを見るような目つきを俺に向ける二人に、おずおずと頷く。するとスガは「お前、暗いのだめだろ? 大丈夫なのかー?」と言って、まるで親が子供を心配するような表情を浮かべた。俺がスガの質問に苦笑いしながら頷くと、それを疑っているらしい大地が訝しげな顔で口を開く。
「……ま、とにかく迷惑だけはかけんなよ」
「お、おう」
なんでこんなに信用がないんだろう、と思いながらも頷くと、そんな俺を見たスガがはは、と声を上げて笑った。
「ほんとだよー苗字さんのために頑張んないとな!」
「え? なに、苗字さんって誰?」
スガの口から唐突に飛び出た彼女の名前に、大地が反応する。「あ、3組の実行委員なんだけどさあ、」と彼女の説明をしようとするスガを、俺は慌てて遮った。俺に対する大地の眼差しは、時々妙に厳しい。スガのようににこにこ笑ってがんばれよーなんて、きっと大地は絶対に言ってくれない。
「す、スガあ……大地には言うなよ」
「おいなんで俺には秘密なんだよへなちょこ」
大地の容赦ないパンチが俺の二の腕にヒットする。俺が「いって」と声を上げると同時に、スガが破顔した。右手で痛む左腕を抑えながら、その爽やかな笑顔をじとりと見遣る。お前が苗字さんの名前を出したからこうなったんじゃないのか、とスガを責めるように見つめたが、スガはそれを華麗にかわして「しっかりしろーへなちょこ」と大地の陰に隠れながら揶揄するようにそう言った。
「なんなんだよお前ら……」
がっくりと肩を落としてそう言った俺の背後から、「東峰、」と俺を呼ぶ苗字さんの声が聞こえた。胸の前にノートを抱えながらこちらに近付いて来た彼女は、俺の向こうにいたスガに軽く挨拶してから「明日のローテーションの打ち合わせするんだけど……いいかな?」と言って、俺と二人を交互に見た。
俺が彼女に「おう、わかった」と言っている背後で、スガが大地に「あれ、苗字さん」とこっそり耳打ちをする。大地は「ふーん」とこぼしながら、意味ありげな視線を俺と彼女に投げかける。大地からの圧力を背中いっぱいに感じながら、首をぎぎぎっと捻って二人の方を振り返って、言った。
「じゃあ、俺、行くから……!」
苗字さんは二人に「ごめんね」と軽く謝罪をしてから、そのまま教室に戻ってゆく。彼女を追おうとした俺の背中に、もう一度、大地の拳がぶつけられた。
「もう、ほんとなんなんだよ!」
にこにこ笑うスガとプレッシャーを放っている大地に、少し上ずった声でそう訴えかける。
大地は悪びれることなく「いや、なんとなく」と言ってから、「俺たちも戻るか」と踵を返した。スガも、「じゃあな」と、ごく軽い足取りでそれに続く。
4組に戻ってゆく二つの背中を、腑に落ちない気持ちで眺めていると、「東峰、どうかした?」と俺を急かす苗字さんの声が聞こえてきた。俺は「え? あ、いや、なんでも」と続けざまに言ってから、苗字さんの待つ教室に早足で駆け戻った。
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