(07:13)

昨晩はあんなことがあったせいで、眠りは浅く、寝覚めはあまりいいとは言えなかった。寝間着のまま階段を下り、とりあえず顔を洗うために洗面所に向かう。

冷たい床に顔をしかめながら、蛇口をひねる。勢いよく流れ出てくるのは、氷のように冷たい冷水だ。屋外に設置されている給湯器が目を覚ますまで、少し時間を潰さなければならない。
足元から上がってくる冷気をやり過ごすため、右足の甲の上に左足を乗せて、肩をすぼめる。ふと持ち上げた視線の先には、曇りひとつない鏡があった。年末の大掃除で綺麗に磨かれたらしいそれに、寝起きの野暮ったい顔をした自分の姿が映っている。

思わずため息がもれそうになるのを飲み込んで、東峰は蛇口から流れてくる水に右手を差し入れる。まずまずの温度になっていることを確認し、洗面台に顔を近付けてぬるま湯で顔を洗った。日課になっている髭の手入れも手早く終わらせて、そのままの足で台所に向かう。なにか飲み物を求めて冷蔵庫を開いた東峰の背中に、母親から声がかけられた。ごく簡単に新年のあいさつを済ませた母親は、居間のこたつ机の上を示してこう言った。

「年賀状、旭のぶん、分けてあるからね」

野暮ったい自分とは違って朝から快活な母親は、そのまま台所の調理台に向き直り、朝食の支度に戻る。東峰は母親の背中に礼を述べると、そそくさとこたつに入り、仕分けられた年賀状に手を伸ばした。
高校生である東峰の知人のほとんどは、若者らしく新年のあいさつなどはメールで簡単に済ませてしまう。そのため、わざわざはがきを送ってくる人物は、だいたい予想がついていた。

年賀状送ります! と豪語していた西谷、昔からずっと年賀状をくれる小学校時代の担任、それから、幾人かの友人と、名前だ。

年賀状をめくる手が、彼女のところではたと止まる。名前は毎年、手書きの年賀状を東峰に送っていた。独特のタッチで描かれた、決してうまいとは言えない蛇の絵と、対照的に達筆な賀正の文字。

それを見た東峰の胸の中に、昨晩感じた途方もない欲望がよみがえる。メールがしたい、声が聞きたい、顔が見たい、と、際限なく膨らんでゆく煩悩。
彼女は今頃、新しい職場に向かっているのだろうか。それとももう、お客さんを相手にしているのかもしれない。

彼女が元気に働いていることを願っていたいのに、考えてしまうのは今夜彼女に会う時のことばかりだ。
少しでもいいから会えたら嬉しい、と、はにかむように言っていた彼女。それはやっぱり、今日が自分の誕生日だからなのだろうか。……どうしても、期待してしまう。期待するなという方が、無理な話だ。

そうこうしているうちに、朝食が出来たらしい、母親が自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
お正月の朝に相応しい雑煮のにおいを鼻腔の奥に感じながら、東峰はゆっくりと立ち上がって台所に向かった。




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