(10:36)
電車で仙台駅まで出て、そこで市営バスに乗り換える。市街を抜け、住宅地の先に突然現れた、広大な森。その中央に、澤村の選んだ八幡神社は建っていた。
澤村曰く、この神社は仙台から見て北西、つまり乾の方向に位置しているため、干支の戌亥の守り本尊とされているらしい。澤村と菅原は戌年、年明けて今日が誕生日の東峰は亥年の生まれだ。自分の守り本尊の祀られている神社にお参りをするというこの地域独特の習わし。それに則ってみるのもいいかな、と思ってさ。そんなことを言いながら隙のない笑みを浮かべた主将の思慮深さに、東峰はただただ圧倒された。
いつも自宅近くの小さな神社で手を合わせるだけの初詣を毎年繰り返していた東峰。大きな石の鳥居や、表参道を歩く人の多さ、社殿を飾る金や赤、緑の装飾など、その活気は今までに経験したことのないもので、それをどこか不思議な気持ちで眺めながら参拝をした。
初詣を終え、参道を戻る途中で、朱塗りの木枠にかけられたたくさんの絵馬が風に揺られているのが人垣の向こうにちらりと見えた。
東峰がそれに視線を奪われたのは、ほんの一瞬。しかし、バレー部で最も気配りの出来る男は、そんな東峰の一瞬の挙動を見逃さなかった。
「絵馬かー。な、ちょっとみんなで書いてかない?」
菅原の声をきっかけに、三人は絵馬を書くことにした。境内の中に設置された長机に向かい、ペンを握る。
何を書こうか、と迷う東峰の隣で、菅原は鼻歌まじりにさらさらとペンを走らせている。その向こうの澤村も、難しそうな顔をしていたのは一瞬のことで、すぐにペンを動かし始めた。
ふたりが滞りなくペンを動かすのを見て、東峰は僅かに慌てながら絵馬に向き直る。
書きたいな、と思うことは、ひとつ、はっきりと決まっていた。しかし、東峰の手は動かない。それを神様にお願いたことを澤村に知られると、また小言のひとつでも頂いてしまうような気がして、なんだか筆が重くなってしまっていたのだ。
「旭、まだ悩んでんの?」
あっけらかんとした菅原の声につられて、そちらを振り返る。絵馬を書き終わったらしい菅原と澤村が、苦笑交じりに自分のことを見つめていた。
「あ、すまん……」
「あんまり慎重すぎると、神様に呆れられるぞー?」
からかうような口調でそう言った菅原に曖昧な笑みを返しつつ、東峰は視線をこっそりと彼らの手元に向ける。ふたりは何を書いたのだろう、と参考までに絵馬を盗み見ようとしたのだ。しかし、彼らがこちらに向けていたのは、馬の絵が描かれた表面だった。ふたりともなんでもないような表情をしていながら、なんと抜け目のないことだろう。東峰は曖昧な笑みを浮かべたまま、為す術もなく固まってしまう。
そんな相変わらずの優柔不断っぷりに、澤村は小さくないため息をついた。部員にとっては頼れる主将の澤村だが、東峰にだけは妙にあたりの厳しい彼。しびれを切らした澤村から今年いちばんの「さっさとしろ、へなちょこ!」が飛び出してきそうな気配を敏感に感じ取った東峰は、覚悟を決めて絵馬に向き直ることにした。
最初から決めていた文言を、できるだけ丁寧に、しかし急いで書き記す。どうか、この願いが叶いますように、と一心に思いながら書き上げたそれを、感慨深く見つめていると。
「へー、旭は『春高で優勝できますように』かあ」
背後から、高らかにそう独りごちる菅原の声が聞こえてきた。
「っ!!」
見られた!! と思いながら、慌てて背後を振り返る。にこにこと爽やかに笑う菅原は、「俺も!」と言いながら、隠すように持っていた絵馬をぱっとひっくり返す。
そこには、菅原らしい几帳面な文字で『絶対優勝!!』と、春高への意気込みが大きく記されていた。
「え、スガたちも?」
次いで、少し間の抜けたような声でそう言った澤村の絵馬には、やや角ばった『烏野高校排球部 全国制覇』の文字がぎちっと詰まっている。
俺やスガはともかく、大地まで神頼みをしている。そのことに衝撃を受けた東峰は、双眸を大きく開いて澤村を見つめた。
澤村は、何とも言えない表情を自分に向ける東峰に気付き、顔を僅かに歪める。なんとなく、東峰の言わんとしていることは理解出来た。みんなを初詣に誘う、だとか、絵馬で優勝を祈願する、だとか、そういうのは烏野のロマンチスト代表・東峰のやりそうなことだ。それをさんざん揶揄してきた自分が、今、こんなことをしているなんて。
「……言っとくけど、あれだぞ。出来ることはなんでもしときたいだけだからな」
神頼み常習犯のお前と一緒にするなよ、と言うように、鋭い視線で東峰に釘を刺した。「わ、わかってるって」と口にして視線を足元に逸らした東峰を、菅原がすかさずフォローする。
「みんなで神様にもお願いしたし、、あとは旭が変な緊張しないことを祈るだけかなー」
「だ、大丈夫だって!」
「わかってるよ。ジョーダン」
澤村と東峰の間の空気を取り持って、にっと笑った菅原。それにつられるように笑った東峰を見て、澤村もその表情を和らげた。
「優勝するぞ」
澤村のその声に、ふたりは大きく頷いた。それから彼らは、朱塗りの絵馬掛所にみっつの絵馬をなかよく並べて奉納する。三者三様の書き口で、全く同じことを祈っているそれ。ずっと同じ目標に向かって一緒にやって来たけれど、こうしてそれを目に見える形にするのは、これが最初で最後かもしれない。
東峰たちは口を噤んだまま、そのまま絵馬に向かって静かに手を合わせた。冷たい風が吹き抜けて絵馬をからからと揺らしたが、彼らは寒さに肩をすぼめることなく背筋を伸ばしたまま、その軽快な音にしばし耳を傾けた。
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