(15:49)
遅めの昼食をとり終わった東峰は、自室に下がって机に向かっていた。
今日は誕生日だし、春高も間近に迫っていて、なんだか浮かれそうになってしまうが、しかし。それ以前に彼は高校生である。高校生である以上避けては通れないのが、勉強だ。
夕食までの時間を冬休みの課題に充てることにして、問題集を開く。なんとなく後回しにしてしまっていた数学の課題だ。難解な数式たちが無表情で彼を迎える。東峰は問題集を閉じたい衝動をなんとか抑え込んで、シャーペンを握る。
東京に出発するまでに課題を片付けるように、という指令が、冬休み開始時に澤村から全部員に通達された。いざ春高がはじまってしまったら、あとはひたすら駆け抜けるだけで、三学期が始まるまで息をつく間もないだろう。澤村の言い分はもっともだ。
問題集を見つめる東峰の頭の片隅に、澤村の向こうでその言葉にこくこくと頷いていた武田先生と、主将の言葉に表情を曇らせる西谷たちを気の毒そうな眼差しで見つめていた烏養コーチの表情が、ぼんやりと蘇る。課題が終わっていなくて澤村にどやされるのはもちろん避けたいが、それ以上に、今まで自分たちを指導してくれた先生方に最後の最後で迷惑をかけるなんて、あまりに、情けない。
そう思った東峰は、覚悟を決めて、問題文に目を通し始めた。
正弦定理だとか、三角比だとか、そんな公式を教科書から引用しながら、それっぽい数字を並べてゆく。
いまいち実態の見えないサインやコサイン、それからルートを駆使して問題を解いていく様子はさながら、パズルのようだ。当てはまるピースを探している間はやきもきするが、ピースがかみ合い問題が解けた時には、ささやかだが達成感がある。
何問目かの問題を解き終わった時、東峰は不意に、名前のことを思い出した。
まさに今、彼が解いたその問題は、以前テスト前に彼女とふたりで頭を悩ませながら理解をした余弦定理の応用問題だったのだ。
そのことを思い出した東峰は、懐かしい記憶に思わずペンを止める。
放課後の教室で、机を突き合わせてテスト勉強をした夏の日。余弦定理の解説とにらめっこをする彼女と、その机に置かれていた、すっかりぬるくなってしまったサイダー。そんな静かな風景の中、開け放した窓から入ってくる風が淡いベージュのカーテンを揺らしていたことを、妙にはっきりと覚えている。
……そういえば名前は、特に三角関数が苦手だったなあ。
正月から会社の研修に駆り出されている彼女は、無事に宿題を進めているだろうか。
いままで無表情に見えていた数学のパズルから、あの夏のにおいがしてくる。
もうすっかり遠い昔のような気がする夏の記憶、その中ではためくカーテンの音を耳の奥でかすかに聞きながら、東峰は止めていた右手を再び動かした。
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