(20:04)

静かな夜のバス停に、黄色いヘッドライトの鋭い光が差したのは、それからすぐのことだった。低いエンジン音とともにやって来た見慣れた配色の路線バス。白っぽい蛍光灯の光が満ちる窓の向こうに、待ちわびた彼女の姿が見えた。

東峰を認めた名前の顔が、笑みに染まる。彼女の笑顔は、無機質な光でいっぱいの車内をぱっと華やがせた。いや、実際には車内の照明に変化などはなかったのだけれど、少なくとも、東峰には、そのように見えた。
そんな錯覚を覚え、軽く眩暈を感じた東峰。昨晩からずっとこの瞬間を待ち望んでいたせいなのだろうか、いつも教室で言葉を交わすときよりもずっと、今日の彼女は綺麗に見える。
……重症だ、と思いつつも、胸の内側にうまれたその感覚を無視することはできそうにない。

前側の扉が開く。運転手に料金を支払い、短く礼を述べた名前が、バスのステップをかつんと鳴らして降りて来る。

その高らかな音を聞いた瞬間、東峰は彼女がいつもよりも美しく見える理由を、即座に理解した。

いつも明るい色のスニーカーを履いて登校していた彼女が、今日はヒール付きの黒いパンプスに足を収めていたのだ。エナメル独特の光沢を足元にまとい、軽やかにバスを降りた名前。よく見れば、笑みに染まったその顔にも、うっすらとではあったが化粧が施されていた。
至極幸せそうに細められた瞳、美しい弧を描く唇。それはよく見知った彼女のものに間違いはない。しかし、どこか大人びたその佇まいに、東峰は戸惑いを隠せなかった。ときめきからか、緊張からか、心臓が大きく鼓動する。

何も言えないまま見つめた先の彼女が、またもヒールを鳴らして、東峰の方に近付いてくる。その軽快な調べは、東峰からどんどん余裕を奪っていった。あんなに会いたいと思っていた女の子が目の前にいる。それだけで東峰の意識はパンク寸前だ。しかも、今日のその子は大人びていて、いつも以上に綺麗ときている。
なんだか今日はきれいだね。そんなありきたりなことすら言えないまま、東峰はその場に立ち尽くす。

そんな彼を見た名前は、くすりと笑ってから、深々と頭を下げた。

「明けまして、おめでとうございます」

彼女のその穏やかな声と、たおやかな一礼は、パンク寸前だった東峰の心をわずかに落ち着けたようで。彼は自身の制御を離れていた意識をはたと取り戻すと、慌てたように頭を下げ返した。

「え……あ! あ、明けましておめでとうございます!」

彼女と同じだけ、深くおじぎをする。……今年最初の挨拶なのに、なんだか少し、変な感じになってしまったなあ。そう後悔まじりに思いながら、おずおずと顔を上げた。
視線の先の名前は、情けなく眉尻を下げる東峰に向かって一際鮮やかに笑いかけると、「それから、誕生日おめでとう!」と声を弾ませた。

「去年はメールだけだったけど……、やっぱり、直接言えるの、うれしいね」

はにかんだように笑う名前を見た東峰。その胸の奥から、なんとも言えない感情がせり上がってくる。彼はそれを感じながら「そうか、」と柔らかな調子で言って、それから、ちょっと笑った。嬉しいような、じれったいような、甘いような、苦いような。複雑で、でも心地よいその感情を、ゆっくりと飲み下す。

「俺も……その、今日会えてさ、よかった」
「本当? 私もさ、今日いちにち、ずっと待ち遠しかったよ」

飲み下したその思いが、再び腹の底で暴れ出すのをはっきりと感じた東峰は、それを落ち着けるように深く息を吸い込んだ。肺に、冷たく静かな冬の空気が満ちてゆく。
どうやら、今年も彼女には敵いそうにない。




ALICE+