昼食を終えて、私とイーブイの使った食器を洗っていると、不意にイーブイの興奮したような声が聞こえてきた。
いつもはおとなしい彼がしきりに鳴くなんて、なにかあったに違いない。そう思った私は水道の蛇口を捻って手を軽く拭くと、急いでイーブイの元へ向かった。

どこか痛くて泣いているのだろうか。それとも、泥棒のような不審者がいるとか……?
焦りと恐怖の両方を感じながら、私はイーブイのいるリビングを覗き込む。

結果から言うと、そこには不審者の影はなかったし、イーブイも健康そのものだった。
私は胸を撫で下ろしながらイーブイの方に近付いてゆく。

いつも食後のお昼寝をするソファの上で四肢を突っ張るようにして立ち、しきりに鳴き声をあげる彼。
私はいつものイーブイらしくないその様子に首を傾げていたのだが、ふと彼の視線の先に目をやった瞬間、全てを理解した。

彼が見ていたのは、私が消し忘れたテレビだった。お昼下がりの情報番組、そのワンコーナーである旅行情報の生放送リポート。ジョウト地方の名所、エンジュシティの風雅な町並みを背景にしてテレビに大映しになっていたのは、綺麗な舞妓さんと、彼女らの手持ちであるブースターたちだった。

流れるように異動してゆくカメラは、ブースターをはじめ、サンダース、シャワーズ、ブラッキーと、舞妓さんのポケモンを画面に次々と映し出す。
エーフィ、リーフィア、グレイシアにニンフィア。画面にずらりと勢揃いした自分の進化形を見て、イーブイはしきりに鳴いていたのだ。

「イーブイ、」

私が呼ぶと、そうして初めて私がいたことに気付いたらしく、イーブイは長い耳をぴんっと立ててこちらを振り向いた。
それから私と、自分の進化形を映すテレビとを交互に見てから、私に向かってなにか言いたげに一声鳴いてみせる。

焦れたような声と、いつになく輝いているマルーンの瞳。私はそんなイーブイと、その進化形を映すテレビを見遣り、ひとつしか考えられない原因を頭に思い浮かべながらゆっくりとソファに座る。
そして彼の瞳を真っ直ぐに見つめながら、こう尋ねた。

「……もしかして、進化がしたいの?」

イーブイは瞳を輝かせながら大きく一度頷いた。それから、勢いよく私の膝に飛び乗ると、鼻先でテレビの方を示して「見てよ!」と言うように高らかに鳴く。

イーブイに従ってテレビへ視線を移すと、レポーターの女性がよく通る声で「ではこのブイズちゃんたちに、得意技を披露していただきましょう!」と言ったところだった。
その合図をきっかけに、ブースターたちが動き出す。彼女らは舞妓さんの手持ちらしい優雅な身のこなしでそれぞれの得意技をカメラに向かって披露した。

ブースターの炎のうずが美しい軌跡を描いて広がってゆく。
その中央から不意に現れたシャワーズは、オーロラビームを発射した。シャワーズの向こうに見えるエンジュの街が虹に包まれる。
その虹に向かってサンダースが放電を繰り出すと、まばゆい光と虹がぶつかり、弾け、虹のかけらがはらはらと舞い踊った。

イーブイはその様子を食い入るように見つめていた。彼の瞳にテレビの光が反射して、虹色に揺らめく。

私はそんな彼を、後ろからそっと抱きしめた。イーブイが歓声をあげるたびに、ふわふわのしっぽが私と彼の体の間でもぞもぞと動く。くすぐったいけれど気持ちがいい独特の感触。
――名残惜しいけれど、このしっぽとももうすぐお別れだなあ。

最後にニンフィアがムーンフォースを放ち、その柔らかい光で彼女らのパフォーマンスが静かに幕を閉じる。
レポーターの女性が舞妓さんとブースターたちに礼を述べると、画面はエンジュシティからテレビコトブキのスタジオに切り替わった。

先程のパフォーマンスを口々に褒めるコメンテーターには興味がないらしいイーブイは、私の腕の中で器用に体を動かしてこちらを向くと、まだ興奮が色濃く残る眼差しで私を見上げ、喉の奥の方で鳴く。調子を押さえてはいるが、どうしても押さえきれない衝動がにじむ彼の声。

返事は、決まっていた。
おとなしいキミがこんなに高揚して何かをねだることなんて、きっと他にない。

「イーブイ、どのタイプに進化したいかは決まってる?」

私の問い掛けに、彼は勢いよく頷いた。それから、つい先程見た進化形のうちの誰かのパフォーマンスを真似るように、身震いしながら技を放つふりをする。
体の動きに合わせて、長い耳とふさふさのしっぽが愛らしく揺れる。そのかわいらしさに、私は思わず彼をぎゅうっと抱きしめた。

小さな頃から、どんなポケモンよりもイーブイが好きだった。
今でも、世界でいちばんかわいいポケモンはイーブイだと思っている。

でも。

私は彼の胸の豊かな飾り毛に頬を埋めながら「わかった」と言った。
イーブイが進化を望むなら、私はそれを叶えよう。ふさふさのしっぽ。襟まわりの柔らかい飾り毛。それに、私を見つめる大きな茶色の瞳。どれもなくなってしまうのは、やっぱり少しだけ寂しいけれど。でも。
彼の体から頬を離し、大きな瞳を真っ直ぐ見つめる。この瞳の輝きは、きっとイーブイがどんな姿になっても変わらない。キミがこうして私を見つめてくれるなら、どんな姿のキミとでもずっと笑っていられると思うから。

「食器の片付けが終わったら、一緒にミオ図書館に行こう?
そこでイーブイのなりたい進化形と、進化の方法を調べよう!」

私が笑顔でそう言うと、彼は満面の笑みで鳴いて、私に頬をすり寄せた。ありがとうと繰り返すように頬や額を私にこすりつけるイーブイ。
そのかわいらしさに今したばかりの決意が揺らぎかける。だ、だめだ、私、イーブイのお願いを叶えるって決めたばっかりじゃない。理性を総動員して、なんとか弱い気持ちをはね退けることに成功した。

それから私はイーブイの愛らしい姿をしっかりと瞳に焼き付けて、彼の頭をくしゃりと撫でた。

「ほら、どいてくれないと食器が片付けられない」

このままじゃ図書館に行けないよ? と苦笑まじりに言うと、彼は私の膝の上からぴょんと飛び降りて、お行儀よくお座りをした。

「すぐ済ませるから、待っててね」

私がそう言うと、イーブイはぱっと顔を輝かせて頷いた。それにつられるように、私の顔も明るい笑みに変わる。

きっと大丈夫。
なにがあっても、なにかが大きく変わってしまっても、私たちはこんなふうに変わらない毎日を続けていける。

私は最後にもう一度イーブイの頭を撫でると、テレビを消して立ち上がった。
さあ、早く食器を洗ってしまおう。イーブイが待ってる。




ALICE+