「ねえねえ、それ重くないの!?」
ぎょっ、とした表情で日向を振り返った名前は、やや掠れたハスキーボイスで「お、重くないけど」と返した。それ、というのは、彼女の背負っているエレキギターのことだった。黒いギターケースに入っているので色の比重から重そうに見えるのかもしれないが、見た目程ではない。
背中の重みよりも、教室に入るなり自分に話しかけてきたオレンジ色の髪をした少年の存在の方が、今の名前にとっては重要だった。彼は「へーそうなんだ!」と相槌を打ったかと思うと、「おれ、日向翔陽!」と自己紹介をし、きらきらと輝く瞳で彼女を見た。言外の圧力を感じ取った名前は、ややおずおずと口を開く。
「……苗字、名前、です、」
自分と同じくらいの身長であるこの男は、どうやらクラスメイトであるらしい。朝練を終えて教室に上がって来た生徒達が皆、目の前の日向に「おっす」とか「はよー」とか声をかけてゆく。新生活が始まって三週間が過ぎたが、名前はごく一部の友達以外の顔はあやふやなままだった。次々と挨拶をされる日向の笑顔がこちらに向けられるのがなんとなく憚られて、名前は彼への挨拶ラッシュに乗じてこの場をこっそり去ろうとした。
「あ、ねえ苗字さん!」
出来なかった。
せっかく背中を向けたのに、と悔しく思いながら、呼ばれるままに振り返る。それから、相手を警戒するように一歩下がって距離を取った。私はあなたと話したくないんですよ、そう伝えるつもりで、ごく素っ気なく「なに」と言った。
しかし、日向が名前のそんな予防線に気付くはずもなく。彼は名前の作った物理的な隔たりを、あっという間に埋めてしまう。だん、と大きく一歩踏み込んで、きらきらの瞳で、「おれ、苗字さんがそれ弾くとこ見たい!」と大きな声で言った。
え、と名前の口から狼狽したような声が漏れた。訝しむように眉間に皺を刻み、日向に「な、なんで?」と問いかける。
返ってきた返事は、日向にしてはどこかはっきりしないものだった。
「な、なんとなくだよ」
今までの明瞭快活な男のものとは思えない不透明な返事に疑問を感じた名前が眉間の皺はそのままに首を傾げると、日向は「見たいから見たいの!」と、やや頬を上気させながら、まるで駄々をこねるように声を荒げた。瞳に宿る強い光が名前を射る。肯定以外の返事を許さない、そんな強い光だった。
日向の大声にクラスメイトの視線が集まっていることに気付いた名前は、小さく顔をしかめた。クラスで目立つことをよしとしない彼女は、なんとか日向とのやり取りを終わらせようと、慌てて「見たいならライブに来い」と吐き捨てるように言って彼に背を向け、今度は完全に相手を断ち切るように自分の席へ向かってずんずん歩き始めた。
もうこれで終わりだろう、と安堵した名前の背中を日向の「ねえ、ライブいつー?」という間延びした声が追ってくる。
しつこい! 嫌悪を通り超して苛立ちを感じた名前は振り向きながら声を荒げた。
「金曜!」
「どこでー?」
「多目的ホール!」
日向を威嚇するように睨んだ名前は、しかし視線の先の日向がごく鮮やかに笑っていたのを見て、毒気を抜かれたように口を噤んだ。オレンジの頭が、楽しそうに揺れる。
「わかった! 絶対行く!」
名前はやや困惑しながら、日向に漠然と頷き返すしかなかった。
どうして日向はこんなにぐいぐいくるのか。自分が怒っても全く気にせず笑っているのか。そして、その笑みを見た自分の中から何故怒気が消えてゆくのか。その全てが、今の彼女には理解不能だった。
悶々とする名前の視線の先で、日向は軽やかな足取りで自分の席についた。
と同時にチャイムが鳴った。慌てて自分の席に向かった名前は、背中に負ったエレキギターをはじめて重いと感じた。
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