06

額に置いた手に青い光を纏わせるとマルコは目を瞑って集中した。レイムの身に何が起きたのか探る。

「た、い長……」

暗く低い声音が微かに聞こえたマルコは、目を開けて視線を向けると見覚えのある男がいた。

「お前は……、確か5番隊の……」
「……見え…る……?」
「あァ、はっきりと見えるよい」

およそ一年前程前に襲撃を受けて深手を負って死亡した隊員だ。主船医のナキムが処置する横で再生の炎を翳しながら手伝った記憶がある。何とか一命を取り留めたはずが結局は死亡してしまった。それがどうも奇妙で、どうして死んだのか、とナキムと再々検証したものだ。だからこそよく覚えている。確かクリオンって名前だったな、と思い出しながらマルコは視線をレイムに戻した。

「で、お前さんはここにずっといたのか」
「……」

顔を俯けただけでクリオンは答えない。レイムをじっと見つめる様子に、マルコは経験から大凡の推測を立てた。
意識を無くして気付けばこの大部屋にいたのだろう。死んだ直後は死体となったクリオンを囲って船員達が泣きながら惜別の言葉を送ってくれているのを側で聞いていたはずだ。それから暫くの間はクリオンが使っていたクローゼットや寝具等は空席のままだった。それが一年経った頃に自分が使っていたベッドや棚を新人であるレイムが使うことになった。ただ、明確に本人の口から聞いてはいないがレイムは『見える』人間だ。それによりクリオンと何らかの接触があったに違いない。

「お前の存在に気付いたこいつが怖いか?」
「……」

マルコの問いにクリオンは視線をレイムからマルコに移した。

「おれは、従った。――くれないから、あいつが」
「あいつ?」
「はなして――。この――どうなっても――か。もう――れた。ここ――たくない、――のに」

クリオンの声は時折ノイズが掛かるようにして言葉が明確に聞き取れなかった。霊気による透視をしても見えるのは暗い闇だけだ。それはレイムに対しても同じだ。このようなケースは異世界では無かった。

『お前さんの世界には”また別の理の上に成り立っておる”じゃろうから――』

空幻の言葉は間違いじゃなかった。死んだ霊魂の存在は同じだが、異世界にいた妖怪らしき存在は全く感じられない。生死を問わずに人に影響を齎す存在とは、この世界にはこの世界の、妖怪とは全く異なる別の何かが存在しているのかもしれない。

「くそ、あのジジイ……、そうならもうちょっと分かり易く言えってんだ」

眉間に皺を寄せてクリオンから視線を外したマルコはポツリとぼやいた。自分で探さなければならないのか。面倒だ。妖怪だったらどれだけ楽だったか――とも。すると、クリオンの表情が僅かに変わった。

「――けて」

無表情で反応も薄かったクリオンが徐々に懸命さを滲ませて訴え始めた。

「――くれない。女が――知ったこと、つか――。にい――、従った――」

やはり所々にノイズが掛かる。だがクリオンはその中で明確にはっきりとした言葉を口にした。

――助けて――

「!」

クリオンは必死な思いでそれを言うとマルコの左手に自らの手を重ねた。その瞬間にマルコの脳裏に映し出されたのは数分前の出来事だ。レイムの首を絞めて殺そうとしているクリオン。だがそこから時間を遡ってクリオンの意識がはっきりと現れ始めた。

〜*〜*〜

おれは死んだのだと直ぐに理解した。だけど何故この大部屋に留まっているのか不思議で、大部屋から出ようとしたが見えない壁に阻まれて外に出ることができなかった。
死んだら天国行きか地獄行きか。おれは海賊だからきっと地獄に行くんだろうぜ、なんて笑って話したこともあったが、実際はどうだろう。天国でも地獄でも無い。ただただ死んだこの場所に留まっていることしかできないではないか。

周りは相変わらずいつもどおりの生活をしていく。それをただ傍観するだけ。最初こそ彼らの会話の中におれの名前が出ることはあったが直ぐにそれは無くなった。まるで始めからおれの存在が無かったかのように感じて、酷く寂しい気持ちになった。

大部屋の一角だけ空席のままだったそこに新人が入った。とうとうおれの、クリオンが在った場所でさえも消えてしまった。何も知らないでおれが使っていたクローゼットに荷物を収めてベッドに腰を下ろした新人が酷く憎くて恨めしい気持ちになって睨み付けた。すると、新人が振り向いて目を丸くした。まるでおれが見えているかのような、そんな反応だ。首元に手を移してシルバーチェーンのネックレスをギュッと握り締めて敵意を向けて来る。いや、これは敵意というよりも防衛的なものだ。あなたを見なかったことにするから何もして来ないで、とそう訴えていることが手に取るようにわかった。おれのような存在に干渉されることを酷く嫌っているようだった。

それから暫くの間、おれは新人と同室の者達の様子を静かに傍観していた。敵方から寝返ったらしい新人は、常に周りの者達から嫌煙される存在として扱われていた。でも新人は慣れているとでも言うかのように平然としていて全く堪えている様子は無かった。
おれが驚いたのは新人が女だというのに周りの者達が誰一人としてそれに気付いていないことだ。同室で着替えているのに見向きもしない。サラシをきつく巻いて胸を圧し潰しているとはいえ、ちゃんと膨らみはあるし肌だって女特有の柔肌だ。あァ、全く見えていないんだなァ、とこの時は暢気に笑ったものだ。

しかし、この新人が入ってから間も無くしておれの周りで異変が起こり始めた。ある時、暗闇に包まれる真夜中にそれは突然姿を現した。牛のような頭を模した頭部に黒い靄がかったような胴体で三叉の槍を手にする大きな――影だ。
それは新人の側に立つと三又の槍を新人の胸に突き刺そうとした。でも、新人の周りに幕のようなものが生じてそれを弾いた。首に掛けられているネックレスが発光しているように見えて、それが新人を守っているのだとわかった。
新人は深く眠っていて気付いていなかった。大きな影はゆらりと動いた。うっすらと黄色に光るそれがおれに向けられた。あれは目だ。そう思った時に、暗い通路から聞き覚えの無い声が聞こえた。

「おい、逃げろ!」
「え?」
「連れて行かれるぞ!」

大きな影は声のした方へ振り向いた。その隙を突いて咄嗟に逃げようとした。けど、この部屋からおれは出られないことを思い出して出入口の手前で立ち止まった。

「おい、どうした!」
「出れないんだ……」
「あァ、そうか。日中は生者の刻だからだ。夜は死者の刻だから自由に動けるぞ」
「!」
「逃げるぞ!」
「あ、あァ!」

おれは促されるまま大きな影から逃げて身を潜めた。おれに声を掛けてくれた男は見知らぬ顔で、着ている服は刃物で切り刻んだようにボロボロで、薄汚れた格好をしていた。

「な、なあ、あれは何なんだ?」
「……」

おれの質問に男は答えてくれなかった。その代わりに、あれに捕まった奴はどこかに連れて行かれるらしい、ということを教えてくれた。場合によっては手足として働けば見逃してくれる上に、条件を満たせば縛りから解放してくれるらしい――とも。

「縛り?」
「死んでもどこにも行けずにいるおれやお前は、現世に縛られたまんまで動けねェんだ」
「なんで?」
「碌な死に方をしてねェからだ」
「碌な死に方って……」

男はそう言ってニヤリと悪い顔を浮かべた。

「おれは条件を満たしたぞ」
「え?」
「致死量の毒を塗り込んだ剣で背後から突き刺せば、どんなに名医がいたとしても絶対に死ぬと思ってなァ」
「え……、それって……」
「お前、あいつに目を付けられたんだ。いつかこの船に特異な人間が来ることを見越してな」
「な、何だよそれ!」
「あいつはずっと探していたらしいぜ。そいつを得る為にお前は殺されたんだ。おれという手足を使ってあいつになァ!」

男はそう言っておれをドンッと突き飛ばして声を上げた。

「さあ、条件を満たした。おれを解放してくれ!」

大きな影がどこからともなく姿を現して男の前に立つと、うっすらと黄色に光る目と思しきそれが孤を描いた。
三又の槍を上にして持ち手の棒で地面をコンコンと叩いた。男の足元に黒い渦が現れ、そこから鎖のようなものが飛び出して来た。

「ハハ! これで縛りが解ける!」

大きな影が三又の槍を振るい鎖を破壊した。そうして男は足元に広がる黒い渦に包まれながら「やっと解放される! これで自由だ!」と声高らかに叫んで間も無く姿を消した。

それを見ていたおれは尻餅をついたまま動けずにいて、大きな影が側に近寄って来た。三又の槍先をおれに突き付けて顎先をグイッと上げられた。うっすらと黄色に光る目――穴のようにも思える――を間近にして低く地の這う様な声が頭の中に響いた。

 アノ女ヲコノ世界へ連レテ来イ
 
「ッ…、そ、そんな、この世界って、どうやって……」

大きな影は何も言わずにスッと消えた。この世界とはどういうことなのか、その時はわからなかった。でも、時を経て行くと次第にわかってきた。
日中は生者の刻。夜は死者の刻。夜になると死した者達が活発に動き始める理由がそれだ。また死者の刻は生者の世界と死者の世界の境が曖昧になることも知った。現世に縛られたままどこにも行けない者は、自由に動ける生者をいつしか羨み、干渉し、弱らせ、そうして自分達と同じ暗い世界に引き摺り込もうとする輩が多い。そして、生者に憑り付くことで日中であろうとも自由に動けることを知った。

「……おれは、あの女が……恨めしい……」

おれの在った場所が奪われた。おれがいるはずだった場所を、あの新人の為に、おれは! おれが!

 ――手足となる為に殺された――

だからおれは何度も襲った。でもなかなか手強くて何度も失敗した。新人は同じ目に何度もあって来たのだろう。自分を守る術を熟知しているようだった。あのネックレスはとても厄介だった。小さな十字架の割には死者を弾く効力がとても強くて、下手をすれば魂そのものすら掻き消す程の防御壁を作ることもあって、どうすることもできなくて途方に暮れた。しかし、ふと思った。周りの者を使えば良いじゃないか――と。
その考えに至ったのは、奇しくもマルコ隊長が偵察に出て行ったきり行方不明となった日だった。でも、おれには最早関係の無いこと。おれにとって大事なのは新人を如何にして引き摺り込むか、ただそれだけだった。
まずはネックレスを外す機会を探した。どんな時でも常に身に付けているようだったが、身体を洗う時だけ唯一外していることがわかった。マルコ隊長を捜索する日々が続いて1番隊の者達がピリピリしているのはわかっていた。
下働きで汚れた身体を洗う為にネックレスを外してリュックの中に入れてシャワー室に向かったのを見届けたおれは、1番隊のジルって奴に憑り付いて動かした。

「おい! 新人! 捜索に行くぞ!」
「え!? あ、あの、少しだけ待っ」
「あァ!? んなもんそこに置いとけ! 行くぞ!」

汚れた衣服をシャワー室の籠に置いたまま腕を掴んで引っ張って行く。新人は何度か部屋に戻らせてくれと訴えたが、ジルを始め1番隊の隊員達は新人を嫌っている節があるから絶対に良しとは言わないから、強引に連れ出しても違和感は全く無い。
捜索を終えて船に戻る隊員と擦れ違う時、ジルから離れてそいつに憑り付いて船内へと入る。あの大部屋に戻る為に人から人へと移っている時、ことあるごとに新人をいびってストレスを発散させていた2番隊の奴らを見つけた。
おれが憑り付いて動かさなくても彼らなら思う様に動いてくれる。そう踏んで新人の持ち物を漁りネックレスを盗むよう意識を刷り込んだ。すると案の定、彼らは誰もいない大部屋に入って新人の荷物を漁り、リュックの中からネックレスを見つけて盗んで行った。

そして――

「大事なお守りを奪われちまったなぁ。これでお前は丸腰ってわけだ」
「ッ……、くそ、あれが無くても一人で何とかやって来たんだ! お前の思い通りになんて」
「本当にそう思うか?」
「――ッ……」

やっとだ、やっと……。
これでおれも現世から解放されて今世とおさらばできるんだ。

新人の首を思いっきり絞めて、新人の意識が落ちた時――おれの意識がプツリと消えた。

「な……んで……?」

どうしてまだ大部屋にいるのかわからなかった。言われた通りにしたのに、あいつは姿を現してくれない。新人はどうなった? そう思った時、新人が大部屋の前の通路を通り過ぎて行くのが見えた。

「死んで無い…のか?」

しかし、周りは暗くて夜を迎えている。死者の世界が表に現れて来る頃だ。おれは気になって新人の後を追おうとした。その時、リーン……と鈴の音が後ろから聞こえて振り向いた。

「あ!」

大きな影がそこにいた。言われたことをやった。条件を満たしたんだ。おれを解放してくれ、とおれは言った。だが大きな影はおれに言った。

 オンナノアトハ オマエモ ツレテイク

「え……?」

 オマエハ ワレラノテアシ――永遠に離すことは無い

血の底から這うような声に囚われてか、おれは動くことも話すこともできなくなった。これからおれはこの大きな影の手足となって、人を、仲間を、家族を、手に掛けることになるのか。

どうして、どうしておれなんだ。なんで……。

問い掛けたくても声が出ない。涙がじわりと浮かぶ。うっすらと黄色に光る目が孤を描くと、大きな影は暗闇へと姿を消した。

「おれは、従った。――くれないから、あいつが」
「この――どうなっても――か。もう――れた。ここ――たくない、――のに」
「はなして――女が――知ったこと、つか――。にい――、従った――」

 おれを 離して くれない

〜*〜*〜

クリオンは涙を浮かべて嗚咽を漏らし始めた。マルコは何も言わずにクリオンの頭に触れてクシャリと撫でた。

「ッ……!? な、んで」
「触れるのかって?」
「――……」

クリオンは言葉が出ない代わりにコクコクと頷いた。微笑したマルコは「話すと長ェんだ」と言って「おれも色々あんだよい」と答えた。そして、視線をレイムに向けた。

「大体わかった。と言っても、おれも時間が無ェから直ぐに対処できねェんだが……」
「……」
「仕方が無ェ、とりあえずおれの部屋に連れて行くか」
「え!?」

驚くクリオンを尻目にマルコはレイムを抱き上げた。

「お前のことも同時に対処することになるだろうから、まァ、もう少しだけ我慢してくれよい」
「あ……、」

マルコはそう言うと足早に大部屋を出て自室へ向かった。擦れ違う隊員達はぐったりしているレイムを抱えて行くマルコに驚き、隊長格の部屋が連なる区画へと向かうのを呆然と見送った。一方、大部屋に残されたクリオンは壁に背中を預けてズルズルと腰を下ろして座り込んだ。

マルコ隊長はとても厳しくて怖い人だと思ってたのに、とても優しくて凄く温かい人だったんだな。あァ、そう言えば……、最後の最後までおれの命を何とかしようと必死になってくれたのは、船医としてのマルコ隊長だったな――とクリオンは思い出していた。そして、不思議と安心感に満たされる心に笑みを浮かべて目を瞑る。
大丈夫だ。あの人ならきっと何とかしてくれる。そう思って――。

クリオン

〆栞
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