昨日の夜うっかり夜更かししてしまった。

またいつナマエが外に行くか分からないから、あの日から寝る前は少し起きてるようにしているけれど。昨日は時間つぶしに本を読んだら思いのほか集中してしまい、そのせいで気付けば明け方だった。



「おはよう…メイおばさん…」

「おはよう、…あら、あなたすごい隈よ?大丈夫?」

「大丈夫だよ、」



ふぁ、と欠伸をしてから席に着く。焼きたての目玉焼きとウインナー。そこにいま焼きあがったばかりのトーストが乗せられた。

もそもそ食べながら、今日は確か学校が午後少しで終わる日だから帰ってきたら一眠りしよう、それからパトロールに行って、なんて考えていたら「おはようございます」ってナマエの声が聞こえた。



「おはよう、ナマエ…」

「ピーターおはよう。目元の隈すごいよ?大丈夫?」

「それ、いまさっきメイおばさんに……っ…!」



メイおばさんにも同じこと言われたよ、と言おうとして顔を上げて固まる。食べようとしてたウインナーがポロリと落ちた。感じてた眠気が吹き飛んだ気がした。

ナマエが、スーツを着てる。

タイトめなスカートにヒール。メイクもいつもと違くてすごくキラキラして華やかだ。いや、ナマエはいつも華やかだし、キラキラしてるけど……って何考えてるんだ僕。



「ナマエ、え、どうしたの、そのカッコ…」

「どうしたのって、今日から初出勤なの。言わなかった?」

「き、聞いてない…」



ナマエはオレンジジュースを三人分用意すると一つは僕のところに置いて、もう一つはメイおばさんの席において、それから自分の席に着いた。



「ピーター、どうかした?私何かついてる?」

「いや、別に何も、」

「ふふ、この子ってばナマエに見とれてるのよ」

「なっ、ちょっとメイおばさん!!」



手に持ったトーストが、グシャと音を立てて潰れる。メイおばさんが変なこというから勢い余って潰してしまった。

大体、ナマエに見とれるなんて、そんな事してないっていうか、ちょっと見てただけだし、初めて見る姿だったから驚いただけっていうか。

ともかく見とれてたなんて、そんな事ない、たぶん。



「初出勤だし、気合い入れていこうと思って!」

「いいことよ、特にナマエは顔立ちも綺麗だしスタイルもいい、タイトスカートがとっても魅力的よ。ね?ピーター」



そのタイミングで僕に話を振らないで。

もしゃもしゃと誤魔化すように少し潰れたトーストをかじる。

心のどこかで、気合いなんて入れなくていいと思ってる自分がいるんだ。何でか分からないけど、そう思う。キラキラしたラメなんてつけなくても、そんなタイトなスカート履かなくても、ナマエの魅力はそんな所じゃない。

これは、嫉妬?何に対してなのか分からずモヤモヤする。



「ピーター?」



チラリと視線をあげると、どこか心配そうな顔をしたナマエと目が合う。

きっと黙ったままじゃ伝わらない。目を合わせても分かってもらえない。なんでだろう、違うのに、そんな顔させたくないのに。



「……綺麗、だよ」



そんなにオシャレしないでよ、なんて。

本当の気持ちが言えない。きっと困らせるから。僕の言葉にメイおばさんは満足そうに笑っている。恥ずかしくて、隠すようにオレンジジュースを飲み、チラリとナマエを見た。



「ふふっ、ありがと」



嬉しそうに。照れ臭そうに。微笑むから。オシャレしないで、って本当の気持ちは当分心の奥にしまっておく事にした。

僕は大概ナマエの笑顔に弱いんだ。



・・・



「ねえ、ナマエ本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ、乗り換えもないし」

「何かあったら連絡してね、絶対に」

「ふふ、ピーターは心配性ね」

「当たり前だよ。ナマエはまだこの街に来て数日だし、分からないことだって多いのに」

「ありがとう心配してくれて。でもピーターは学校に集中して?私は大丈夫だから」

「でも、ナマエ」

「あ!ほら、もうバス来てるよ!ピーター急がなきゃ!」



「ほらほら」と言いながら軽く僕の背中を押すナマエ。本当に心配してるのに分かってるのかな。ナマエの方を振り返ろうとしたら「友達もいるだろうし私はあまり近づかない方がいいよね」と言って、肩をポンと叩かれた。

そんなこと、気を遣わなくたって、って思ったけどフラッシュがいたらそれはそれで厄介だ。



「いってらっしゃい、ピーター」

「うん、いってきます」

「がんばってね」

「ナマエも、頑張ってね、…いってらっしゃい」



そう言うとナマエはいつものように、にこっと笑って僕に手を振ると腕時計を確認してから駅の方へ早足で歩いて行ってしまう。

彼女の履いてるヒールがコツコツと音を立てる。たくさんの人がいるのに、ナマエの音だけはよく耳に響いた。



「いってらっしゃい、ナマエ」



小さくなっていく彼女の背に向けてもう一度呟く。

いってらっしゃい。
いってきます。
なんて、当たり前の言葉を交わしただけなのに妙に顔が緩くなってしまうのは気のせいじゃない。遠ざかっていくナマエに寂しさは感じるけど、帰ったら会える。

あー、でも今日からはナマエの帰りを僕が待つ事になるのか。

なんとなく寂しさを感じた時、プップー!とスクールバスのクラクションが鳴り、慌てて走り出した。





「で?」

「で、って…ネッドなんだよ、いきなり」



時間は過ぎて放課後。

さて帰ろう。ナマエが帰宅するまで僕は親愛なる隣人だ、と意気揚々と学校を出て帰ろうとしていた僕を捕まえたのはネッドだった。

ジト目で見られつい目をそらした。



「ピーター!お前やっぱりなにか隠してるだろ!」

「隠すってなに!なにも隠してないよ僕は!」

「じゃあ同居人の人はどうなったのか言ってみろよ」

「なっ」



突然の質問に「いや、あの、つまり、」と言葉を探していたら「ほらな!」とネッドは声を上げる。



「なんだよ、お前!あんなに反対してたくせに休み明けから妙に上の空だからおかしいなと思ったら!」

「そんな事ないってば!」

「じゃあどんな人なのか教えろよ!」



これは珍しく引き下がらないなと察すると、あー…と頭をかいた後、ポツリポツリとナマエのことを話した。



「彼女はナマエ、日本の人だよ」

「おい、もう呼び捨てかよ…!」

「そんなんじゃないよ、呼び捨ての方がこれから一緒に住むし都合が良かったんだ」



そんな風に否定しつつも、顔がにやけているのは仕方がない。



「僕らよりは少し年上で、近くの会社で働いてる」

「年上で女の人って、そんなのやばいだろ…」

「……正直言うとかなりやばい」



ここ数日、ナマエと出会った日からのことを思い出すと顔がにやけるような、熱くなるような。心臓はばくばくしてうるさいし。それもこれも全部僕がナマエというか女性に不慣れだからっていうのもあるけど。

とにかくナマエはやばいんだ。



「日本人特有なのかな?可愛らしい顔立ちで、でも大人びてて」

「へぇー」

「よく笑うし明るいし優しいし料理もうまくて」

「おいベタ褒めだな」

「褒めるところしかないんだ!可愛い見た目なんだけど仕草が綺麗で」



一度言い始めたらどんどん出てくる。止まらない。



「今日から仕事なんだけど、タイトスカート履いててさ。それがまた似合ってて、キラキラしてて」

「ほお…」

「それから暗めの髪色と瞳がすごく魅力的で」

「…それってピーター、あんな感じか?」



あんな感じ、とネッドが指差す方を見ると何やらこちらに向かって手を振る女性の姿。ヒールとタイトスカートがよく似合ってて、サラサラ揺れる髪が綺麗だ。

瞳も黒くて綺麗で、



「そう、あんな感じですごく……すご、く……」



よくよく見て、目を見開いた。



「ナマエッッ!?!?」

「ピーター!」



僕の名前を呼んで嬉しそうに手を振るのは。

紛れもなく、彼女だった。