「ふふっ、会えると思った」

「僕も今夜は会える気がしたんだ」

「こんばんは、スパイディ」

「こんばんは、ナマエ」



軽く挨拶を交わすとナマエは前と同じようにベンチに腰掛け、僕もその隣へと腰を下ろした。

っていうか、変声機を使ったこの声だから「今夜は会える気がしたんだ」なんてカッコつけてみたけど、ナマエが出て行く姿が窓から見えただけだなんて絶対に言えない。絶対言わない。



「今日も過ごしやすい夜ね」

「え!ああ、うんそうだね」

「この前の夜はありがとう。とても楽しかったわ」

「こちらこそ、楽しかったよ」



スパイダーマンとして初めてナマエに会った夜のことを思い出す。あの日も今夜くらい月が綺麗な夜だったなあ。



「スパイディは最近どんなことしてたの?」

「うーん、普通だよいつも通りパトロールしたり、人助けしたり、泥棒捕まえたり」



これでもちゃんとしてヒーロー活動はしてる。ナマエにはバレないように、学校終わりからナマエの帰宅まで、とか。たまに夜に抜け出すこともある。



「泥棒?それって危なくないの?」

「今回は自転車泥棒だったから全然!何もないよ!」

「そう…よかった」



ほっ、と安堵したように息を吐いたナマエ。

もしかしてそんなに心配してくれていたのだろうか。もしそうだったら嬉しい。もちろん心配かけたくないっていうのが本音ではあるんだけど。



「ナマエは最近どんな事があったの?」

「私?私は、そうね。最近仕事が始まったの」

「へー!そうなんだ、新しい職場はどう?楽しい?」

「楽しいって感じるにはまだまだ時間がかかりそう。いまは覚える事がいっぱいで、さすがスタークインダストリーズ、って感じかしら」

「えっ、待って。スタークさんの会社なの?」

「そうよ、会社と言っても本社じゃなくて支社っていえばいいのかな?立派な事には変わり無いけどね」

「知らなかった…」

「ふふ、だってスパイディと会うの二度目よ?言ってないわ」



そう言ってナマエは笑うけど。

知らなかったのはピーターの方の僕だ。職場の最寄り駅とか、そういうことは聞いてたけど、まさかスタークさんの会社の支社だなんて思わなかった。

いや、でもそもそも考えてみたらスタークさんはナマエの支援者でその紹介で僕やメイおばさんと同居することになったんだ。

逆に言ったらなんで気付かなかったんだ、僕…。



「どうかしたの?」

「…ううん、なんでもないよ……スタークさんの会社ってことは、ナマエはすごい学者なんだね」

「ううん、全然そんなんじゃないわ」

「えっ、違うの?」

「スタークさんとは縁があって知り合えただけで、…私の頭が特別いいとかそういう事じゃないのよ……そう、ただ、縁があっただけ」



そう言ってナマエは困ったように笑うと僕から視線を外し、ぼんやりと月を見上げた。

また、この顔だ。

そう思うようになったのは最近のこと。ナマエは時々、ここじゃなくどこか遠くを見るんだ。何を思ってるのか、何を見つめているのか、僕には到底分からない顔をする。

公園に行くナマエを初めて尾行した夜も、彼女はこんな顔をしていた。

なんだか、いなくなってしまいそうな、そんな顔をするから胸の中をモヤモヤとした不安が広がる。



「しょ、職場の人は!?優しくしてくれる?」



だから誤魔化すように声を上げた。ナマエが月から視線を外し僕を見る。それでようやく安心した。

ナマエがここにいると実感できた。



「職場の人は優しいわよ、とても」

「そっか」

「素敵なところで働かせてもらってる」

「楽しそうで良かった」

「あっ、楽しいといえば、そう!見てほしいものがあるの!」

「え?」



ごそごそとポケットを漁ると、ナマエ「じゃん!」という可愛らしい掛け声とともに僕の目の前にマスコットをぶら下げて見せた。

このマスコットは間違いなく、この前が僕が取った…。



「僕のマスコットだ」

「そう!見つけた時すごく嬉しくなって!」



そう言ってニコニコするナマエは本当に嬉しそうで、僕の顔までにやける。取ってよかったな。



「取ってもらったのよ!スパイディに会ったら絶対見せたくて持ち歩いてたの」

「へ、へえ!そうなんだ!」

「私の宝物」



ナマエがそう言った時、僕の胸のうちがザワザワと音を立てた。



「それは…」

「うん?」

「それは、そのマスコットが僕だから?それとも誰かに取ってもらった物だから?」



う…うわー!何言ってるんだ、僕は!

何を聞いてるんだ、本当に。胸のうちがザワザワして考える間も無く口にしてしまった言葉に後悔する。

あーもう!マスコットも、それを取ったのも、どちらも僕じゃないか。



「うーん、そうね…」



悩むナマエに心臓がバクバク音を立てる。余計なこと聞くんじゃなかった。変な汗かきそう。

適当に誤魔化してしまおうかな、と思った時。



「どっちも、って答えたら…ずるいかしら?」



悪戯っ子みたいな笑顔でナマエが呟いた。言葉を失ってしまう。そんなの、そんな笑顔も言葉も、全部。

そんなのずるいに決まってる。



・・・



この前みたいにナマエを送ったあと、僕は部屋には入らずアパートの屋上にいた。

握りしめていたスマホでスタークさんの番号を映し出す。どうしようか迷ったが発信のボタンを押した。



『メッセージをどうぞ』



数回のコール音のあと案の定留守番電話につながってしまった。スタークさんは忙しいし、いつものことだけど。



「スタークさん、こんばんは僕です、ピーターです」



普段なら一日の内の起きたこととか、ヒーローの活動報告をしてるけど、今日は違うことが話したかった。



「あの、ナマエのことで…ずっとスタークさんと話せていなかったので電話しました。」



思えば僕はナマエとの同居が決まった日からスタークさんとは連絡が取れていなかった。元々連絡が取りにくい人ではある。

きっとメイおばさんはナマエの事についてスタークさんか、ハッピーと話しをしてるんだと思うけど。



「今更なんですけど、ナマエが貴方の会社で働いていることを知りました。その、なんて言うか、僕全然知らなくて…」



知らないから、何なんだろう。

だからスタークさんに電話して、ナマエの事を教えてもらおうと思ったのだろうか。

ナマエは日本出身で、料理が得意で、家族に料理を作っていたことや学生の時はゲームセンターで遊んでたことも聞いた。

明るくて優しい、大人っぽいのに可愛い面もあって。それからいつも僕を動揺させるような、不意打ちな言動が多い。


そして、スタークさんと面識がある。


僕が引っかかるのは、そこだ。どうしてスタークさんは学者でもないナマエを連れてきたんだろう。更にはカレンにナマエの情報をプログラミングまでさせていたし。

まるで、大切な人、傷つけたくない人のように。



「僕は、」



スタークさんに質問したら答えがもらえるかもしれない。ナマエとの関係も、ここに彼女がやって来た理由も、全部。

でも。



「僕、もっとナマエと話しをしてみようと思います。もっと理解できるように、…信頼してもらえるように」



それだけです、失礼します。

そう言って電話を切った。まったくなんの電話だかわからなくなってしまった。

でもすこし気持ちは落ち着いた。

屋上の縁に腰掛けて月を見上げた。ナマエがそうしていたように。ナマエはどんな気持ちで月を見ていたんだろう。



「分かんないなあ」



今の僕じゃまだ。彼女を理解するには足りないのかもしれない。

案外僕が思うような隠し事なんて何も無いのかもしれない。そんな風に色々な可能性を考えてみる。



「…あっ、そうだ。明日ナマエに会社のこと聞かなきゃ」



スパイダーマンの僕が知ってる事と本来の僕が知ってる事に差が出ないように。矛盾が起きないように。

なんて聞こうかな…そういえばナマエどこで働いてるの?…こんな感じかな。唐突過ぎないかな?バレたらどうしよう。



「あー、もう…ほんとに」



困ったな、最近の僕はナマエのことばかりだ。