『僕、もっとナマエと話しをしてみようと思います。もっと理解できるように、…信頼してもらえるように』
メッセージを聞いてトニー・スタークは大きくため息をついた。
チェアに寄りかかり眉を寄せる。ピーターからのメッセージは頭を悩ませるに十分だった。手にしていた携帯を適当に放り投げると片手で額を覆い再び溜息をついた。
ピーターとナマエの仲は順調だという事はわかった。名前を呼び捨てにしているくらいだ。自分が心配なんてしなくても、二人はそれなりに仲良くなっているのだろう。
「問題はそこじゃないが、まいったな」
彼が聞こうとしていたことは分かる。
気になり始めたのだろう。ナマエの事が。だからこそ自分に電話をしてきたのだ。
「フライデー、ナマエのデータを出してくれ」
『かしこまりました』
スッと片手を宙にあげ、ナマエのデータをそこに映し出した。
彼女が働き始めた自分の支社からの評価は上々。日本人特有と言っても良いくらいの細やかな気遣いと謙虚さ、それから丁寧で真面目な性格のおかげか業務の覚えも早く、もう戦力になっていると聞いた。
そもそも彼女自身が申し分ない人柄だ。初対面の人間でも、彼女に対しては好感を抱くだろう。取引先への対応も良く、先方から褒めの言葉が届いたとも。
僕、もっとナマエと話しをしてみようと思います
ピーターがそう言うのならば。自分にできる事、やるべき事は彼女の情報をピーターに伝える事ではない。
「お膳立てをしてあげようじゃないか、坊や」
先ほど放り投げた携帯を拾い上げハッピーの番号にかける。
『はい、ハッピーです。社長どうされました』
「ああハッピー、急だが慈善事業の一環として未来ある若者たちにスタークインダストリーズの社内見学をさせようと思う」
『は?しゃ、社内見学ですか?また突然』
「今年の学力コンテストで優勝したのはどこの学校だったかな」
『えーと、ミッドタウン高校、ピーターの在学する学校ですが…』
「ならそこにしよう!場所は、そうだなミッドタウン高校の近くに我が社の支社があっただろう、そこにしようじゃないか」
『それは構いませんが何故急に、そんな』
「では後の手続きは任せたぞ」
『それより社長、先日の取り引きの事ですが』
何か言いかけていたハッピーの言葉を最後まで聞かずに通話を切った。何とも言えない達成感すら感じる。映し出したナマエのデータを眺めた。彼は彼女にどこまで近付けるのか。ピーターに賭けたと言ってもいい。そうだ、これは賭けなんだ。
情報を伝えることは誰にだってできる。だがピーターにはそれを一つずつ拾って、ナマエに近づいていってもらいたいのだ。
傲慢で、勝手な賭け。そうだと分かっていても。
「上手くやれ、ピーター」
まだ幼いあの少年に、期待してしまう。
・・・
「聞いてくれみんな!!」
飛び込んできたのは学力コンテストの顧問教師であるロジャー・ハリントンだった。コンテスト形式で練習中だったメンバーは僅かに眉を寄せ、練習をストップさせた。
そのメンバーの中にはピーターとネッドもいた。今日はどうしても練習に出て欲しいというメンバーからの指示もあり来ていたのだ。
「先生?なんですか急に」
「みんな、落ち着いて、聞いてくれ」
「私たちは落ち着いてます」
「ミシェルそうだね、そうだ、確かにみんな落ち着いている」
荒い呼吸を調え、わたわたと一人で忙しない先生の様子にMJは目を細め眉を寄せた。「んんっ」と咳払いと深呼吸を数回繰り返すとロジャーはわざとらしいくらいゆっくりとした口調で話し始めた。
「さっきスタークインダストリーズの方から連絡があったんだ。この前の学力コンテストで優秀な成績を残したこのメンバーを、会社に招いて見学したらどうか、と…そう、君達の事だ!」
「うっそ!まじかよ!」
「本当だとも、フラッシュ!詳しく話しを聞いたら、訪問は来週に決まったんだがみんな予定は空けておいてくれ。場所はこの学校の近くにある会社の支社だからそう遠い所じゃない」
「えっ!!嘘でしょ!」
ロジャーの言葉にガタンと音を立てて立ち上がったのはフラッシュではなく、黙って聞いていたピーターだった。スタークさんの会社の見学なんて、アイアンマンである彼と一緒に戦った経験を持つ自分には別に珍しい事ではない。そんな風に高を括った気持ちで聞いていたピーターに『学校の近くの支社』という単語は相当の威力を持っていた。
メンバー全員の視線がピーターに向く。そんな視線が気にならないほどピーターは驚いていた。
「先生、それって近くの駅から乗り換えなしで、一本でいける…?」
「何だ、随分詳しいじゃないか」
ハリントン先生の返答にピーターは「よしっ」とガッツポーズをする。フラッシュが「なんだアイツ」と悪態をついているが、そんな声は聞こえもしない。
立ち上がったままどこか興奮した様子のピーターを引っ張り、イスに座らせたのはネッドだった。
「おいピーターどうしたんだよ一体」
「聞いてくれネッド!いま先生が言ったスタークインダストリーズの支社っていうのは、ナマエが働いてるところなんだ!」
「ナマエさんの?へえ…でもそんなに喜ぶことか?」
「そうだよ!だって!絶対無理だと思ってたけど、働いてるナマエを見に行くことができるんだ!」
こんなに嬉しいことはない、と言わんばかりのピーターの様子にネッドは呆気にとられた。
ナマエの事を話すときのピーターはいつも楽しそうだが、こんなに嬉しそうにしてるのは初めて見たと言ってもいい。
「ピーターお前もしかして」
「ネッド、僕はナマエに連絡してくる!」
そう言って部屋を出てしまったピーター。
「ちょっと、どこ行くの?」というMJの声も聞こえていなかったようだ。ジロリとMJに視線を向けられネッドは僅かに怯んだが、肩をすくめてやり過ごした。
ネッドは薄々感じていた。ピーターの反応は、最初はナマエという新しい存在に対しての興味だと思っていた。大人で、優しく、明るい彼女への単純な興味だと。
けれど、ピーターのあの反応はまるで。
「ネッド、ピーターを連れ戻してくれないかな?見学の日の事をちゃんと決めよう」
「わ、わかりました」
先生に言われ立ち上がると、どこ行ったんだアイツ、と愚痴りながらネッドはピーターの後を追うように部屋を出た。
連絡をしてくるという事は近くで電話でもしてるのだろう。人が少ない放課後だ、耳をすませばきっと
「そう!そうなんだよ!さっき先生が教えてくれて!」
いた。
電話をしているピーターを見つけ、ネッドは大きな溜息を吐く。「おい、ピーター」と彼に近づき名前を呼ぼうとした。
だが、足が止まってしまった。声も出すことができなかった。
「うん、また詳しい事はこれから決めるんだけど、嬉しくてさ。ナマエに話したくなって」
横顔でも分かるほど嬉しそうに微笑みながらナマエと通話するピーターは、これまで見たことないほど表情が緩んでいる。転校したリズにだってこんな顔をした事はなかったのに。
「あはは、そうなの?こっちもみんな喜んでてすごく楽しみなんだ。…え、僕?僕は、そうだな…楽しみだよ。スタークさんの会社を見れるのはもちろんだけど……ナマエの働いてるところが見れるし、…うわっ!今の忘れて!僕変な事言った!!」
ロッカーの死角に隠れていたネッドはピーターの声を聞いて、また溜息をつく。見てるこっちが恥ずかしくなってくるような、そんなやり取りだ。
「いきなり電話してごめん、仕事中だよね。うん、うん、わかった。僕もそろそろ戻らなきゃ。また後で家で。仕事がんばってね」
そう言って通話を終えると、ピーターは「よしっ」と大きくガッツポーズをした。それから足取りも軽やかに、駆け出すとメンバーのいる教室へと戻って行く。
結局声をかけられなかったネッドは走り去って行くピーターの背中を見ながらポツリと呟いた。
「…何だよ、ピーターのやつ。あんな顔、あんなのまるで」
恋でもしてるみたいじゃないか。