なんだかナマエが上の空だ。

夕飯の時、ぼんやりとした表情で一粒一粒グリンピースを食べる彼女。時々コロリと転がってフォークに刺さっていないのだが、それにも気付いていないのか、なにも刺さってないフォークを口に運んでいる。

そんなナマエの様子をピーターとメイは黙って見ていた。お互いに目を合わせるが、アイコンタクトをするだけで、なにも言うことが出来ない。いまもメイが表情で「何かあったのか聞きなさい」と訴えてきている。



「、…」



ナマエの顔をチラリと見たら今度はディナーロールをアリよりも小さくちぎり、モソモソ食べている。

なんだか可愛いな。一瞬浮かんだ考えを頭を振って飛ばすとピーターは思い切って「ナマエッ」と強く彼女の名前を呼んだ。



「ん?なにピーター」

「あの、さ…何かあった?」

「…え?」



ピーターの質問にキョトンと瞬きする彼女。

つい最近まではピーター達、学力クラブのメンバーが会社見学に来るのを喜んでいたというのに、日が近づくにつれてぼんやりとしていくナマエ。心配になるのは当たり前だ。



「えっと、私、変だったかな?」

「いや、変っていうか、その…」

「ここの所ぼんやりしているから、私もピーターも心配してたのよ」



メイの最高のアシストにコクコクと何度も首を振って頷くピーター。

二人に見つめられナマエは「あの、そんなことは」ともごもご歯切れ悪い言葉を漏らしたが、すぐにパッと笑顔を浮かべた。



「少し忙しくて、残業にならないようにもっと仕事頑張らなきゃって思って!」



にこにこ、と有無を言わせない笑みにピーターもメイも何も言えず押し黙ってしまった。



「そうだ、明日会議があって!資料の整理したいので、これ部屋でいただきますね!」

「ええ、もちろん、それは良いけれど…」



メイの言葉に「ありがとうございます!お皿は後で片付けておきますね!」と元気に答えるとディナーロールのお皿とメインディッシュのお皿を二枚持ち部屋へと戻って行ってしまったナマエ。

パタン、と扉が閉まった瞬間「やっぱりおかしいわね」とメイが呟いた。



「ナマエどうしたんだろ…僕らにも話せない事なのかな」

「そうね…ちょっと心配だわ。抱え込まなければ良いけれど」



こういう時、ピーターは自分の立場を嫌でも意識する。

ナマエともっと近い距離だったら彼女は不安を打ち明けてくれたのだろうか。あんな風に分かりやすい誤魔化し方なんてせず、悩みを打ち明けてくれたのだろうか。そんな風に考えてしまう。もしも、自分が彼女と本当に家族だったら、姉弟だったら。

ナマエと恋人だったなら。



「い、今の無しッ!!」

「何いきなり、大きな声出して」

「なんでもない!」



恋人なんて、一体何を考えてるんだ。

誤魔化すようにディナーロールを大きくちぎり口へと放り込んだ。頭の中で恋人という単語がグルグル回るが、それに負けないくらい勢いをつけて、もぐもぐとパンを咀嚼した。



「ピーター、あなた今夜聞いてきなさい」

「無理だよ、あの様子じゃ。おばさんも見てたでしょ、きっと僕が相手でも話してくれない」



さっきだって話してくれなかったんだから。話してくれないことが、こんなにモヤモヤするとは思わなかった。心配しているのに、何かあるなら助けたいと思っているのに、自分の気持ちは少しもナマエに届いていないような気がしてしまう。

本人が大丈夫と言うならそれでいい、放っておけばいい、と言う人もいるかもしれないが。ピーターはどうしても納得することができなかった。でも肝心のナマエ本人は話してくれず。

溜息をつきたくなる気持ちを誤魔化さんばかりにメインの魚の料理を口に入れもごもご口を動かしてから水を含んだ。



「あなたには話してくれなくても、赤いスーツのヒーローには違うんじゃないかしら?」

「んぐっ!?…ごほ、…げほ……メ、メイおばさん、いつから気付いて…」

「正体隠して会ってる相手なら、ナマエも気を許すんじゃない」



含み笑いをして食事を進めるメイ。

いつからピーターがスパイダーマンとしてナマエと会ってる事を知っていたのか非常に気になる所だが。

確かに、あっちの僕になら話してくれるかもしれない、と思ってしまったのだった。



・・・



コンコン


ノックの音が聞こえてナマエは顔を上げた。怪訝な顔をしたのはそのノックの音がドアではなく、窓だったからだ。

恐る恐る窓に近づいてカーテンを開ける。その瞬間、窓の向こうに見えた人物にナマエの怪訝な顔はみるみるうちに消え、パッと明るい笑顔になった。



「スパイディ!」

「やあ、こんばんはナマエ」



逆さまにぶら下がったまま手を振る赤いマスク。

ガチャと鍵を外して窓を開けると、まるで身を乗り出すように顔を出したナマエ。



「どうしたの!すごい!私の部屋がわかったのね!」

「あー、えっと、いつも送ってたから家は分かってたし、パトロールしてたらたまたまナマエの姿が見えて」



まさか最初から部屋を知ってるとは言えないし、そもそもパトロールなんてしていない。メイに言われたことをそのまま実行に移し、スーツを着てナマエに会いにきただけだ。



「ふふ、カーテン越しでも私だってわかるのね?」

「え!あ、そう!レースのカーテンだし!僕すごく目がいいから!」



必死に弁明すると、ナマエは可笑しそうにクスクス笑った。

その顔を見て複雑になったのはピーターだ。さっきの食事の時とは全然違う、素直な笑顔を浮かべている。相手は自分であることは変わりないが。

少しだけ、悲しい。



「あー、ほら、最近どう?元気?」

「最近って、ついこの間私と会ったばかりじゃない」

「そうだっけ?そうだとしたらおかしいな。最近会った時のナマエはもっと元気そうにしてたけど…今のナマエは元気が無いように見える」

「え…?」



我ながら、この聞き出し方は良かったんじゃないだろうか。

自画自賛しながら逆さまの身体をくるりと反転させ、足を窓枠にかけるとピーターは窓のヘリに腰掛けた。

ナマエは何か悩むように自分の頬に触れ、眉を寄せている。ここからが勝負だ、ナマエが話してくれなかったら、誤魔化そうとしたらどうしようか。しつこく聞いてもいいのだろうか。

いや、しつこくしてでも聞き出さないとこうして会いに来た意味がないし、そもそも何も解決はしない。



「もしかして何かあった?」

「…私そんなに顔に出てるかしら?」

「すっごくね。僕でよかったら聞くよ」



そう言った瞬間、ナマエの顔が目に見えて明るくなったのがわかった。



「スパイディ、ほんとにっ…!?」



タン、と足を踏み込んできたせいでナマエとの距離が急激に近くなる。

マスク越しだけれど、まるで覗き込むように近づいてきたナマエに、 ピーターは危うく落下しそうになったが何とか耐えた。だが心臓の音が凄まじく上昇してる。



「も、もちろん。放って置けないから」

「ありがとう、嬉しい…!誰かに話したいなと思ってたんだけど…あっ、そうだ、ねえスパイディ少ししたら、あの公園に行くからそこで待ち合わせできない?」

「あ、ああ、いつもの所ね、いいよ待ってる」



ピーターがそう答えるとナマエは嬉しそうに微笑みそっと離れた。



「ありがとう、スパイディ」

「どういたしまして。じゃあ僕は先に行って待ってようかな」

「ええ、みんなが寝静まったらすぐ行くから」

「じゃあまた後で」



そう言ってウェブを上に飛ばしパイプに絡ませると、窓枠に足かけ身体を上昇させた。同じ家に住んでいるのに他人のフリをして待ち合わせるなんておかしな気もするが、これは仕方ない。



『ピーター心拍数が上昇してます』

「…カレン、頼むから今は余計なこと言わないで」



変声機能を切るとピーターはアパートの屋上の縁に腰掛けた。自分はもう寝たことになっているし、あとはナマエが家から出てくるのを待つだけだ。

ピーター相手に話してくれなかったことも、スパイダーマン相手になら話す気になったんだろう。「話しを聞く」と言ったときあんなに嬉しそうに笑っていたし。

それにしても、あんなに顔を近付けるなんて。



『体温が上がっているようです。ピーター少し深呼吸されては?』

「わかってる、わかってるよ、カレン」

『ナマエ様はどうやら、マスクを付けた貴方との距離感がわかっていないようですね』

「そうなんだよ…ほんとに…」



「ああぁ…!!」と呻くように声を絞り出す。



「あんなの、もう反則だよ…」



スパイディ、ほんとにっ…!?



そう言って嬉しそうに笑い距離を詰めてきたナマエを思い出す。あの時は仰け反らなかったものの、視界いっぱいに映る彼女を忘れることなんて出来ない。ピーターの時の自分とは一度も無い距離感だった。



『ピーター貴方は、ナマエ様を好いていますか?』

「なっ!!何言ってんのカレン!?」

『違いますか?』

「全然っ!ちがう、よ…うん、違う、そんなんじゃない」



否定しながらそのまま黙ってしまう。

そういうのじゃない。ナマエに対して、自分はそういう事じゃない。



「ナマエの事は、もちろん好きだよ…でもそれは家族みたいな、…僕はそう思ってる」

『本当に?』

「…」



カレンの質問に何も返すことが出来ず俯いてしまった。どれだけそうして過ごしていたのか分からないが『ナマエ様が出てきました』というカレンの声でようやく頭をあげると、ピーターは慌てて公園へと向かったのだった。