「んー!おいしー!」


ハグっと一口かじり、数回咀嚼した後、ナマエは嬉しそうに笑みを浮かべた。

その様子をしばらく見つめたあと、ピーターもサンドイッチを頬張る。クイーンズで一番のサンドイッチは今日もいつも通り絶品だ。



「ほんとにサンドイッチで良かったんですか?」

「はい、ピーター君たち地元の人が美味しいと感じるものが一番美味しいんですよ。あ、それとももしかして、なにか別のお店を探してくれてました?」

「えっ!いや、どうだったかな…」



バッチリ準備してました。なんて言えず、うまく誤魔化すことも出来ず、歯切れの悪いピーターにナマエは彼がなにか予定を考えていてくれた事を察した。

昨日、急に決まった事だと言うのに、高校生のピーターがお店を調べていてくれた。それだけでピーターがどれほど気遣いが出来る人間か察したのだ。



「次に出かける時はそこに行きませんか?」

「…え?」

「ピーター君が探してくれていたお店、私すごく気になります」



そう言ってにこっと微笑むナマエ。ピーターは咄嗟に視線をサンドイッチへと落とした。「そうですね、また…機会があれば」とまたしても歯切れ悪く答えた。

乗り気にも思えない、否定もしない。他人行儀なその返答は、いまスパイダースーツを着ていたらカレンに注意されそうなほど酷いものだった。

そのまま黙ってしまうと二人は無言のまま、サンドイッチを一口かじる。公園で遊んでいる子供や、親の世間話がBGMのようだ。

ピーターの手元にあったサンドイッチが半分になったころ、ナマエが不意に呟いた。



「ごめんなさい」



突然の彼女からの謝罪にピーターは「えっ」と顔を上げた。

ナマエはピーターを見ることなく、眉を下げ少し困ったように笑い。それから視線を足元に落としてしまった。



「突然同居なんて、ピーター君のことを困らせてしまったみたいで。それに今日もせっかくのお休みに街を案内させて」

「ちがっ、そんなんじゃ…」

「私やっぱりちゃんと言います、スタークさんに。その方がきっと良いんです」



そう言ってピーターに振り向いたナマエの顔は、先ほどの困った顔ではなく、いつもの笑顔。少しの曇りもない表情を見るとどこか苦しくなる。ピーターは胸の内がキュッと掴まれたような感覚がした。

昨日出会ったばかりだ。それも突然同居を告げられて、ピーターが了承する時間もなく彼女はやってきた。どんな人なのか、家族構成どころか、本人のことすらまだ知らないというのに。



「ピーター君や、メイさんの日常を壊したくないです」



どうして彼女の笑顔を見ると、こんなに胸がざわつくんだろう。

ピーターは目を閉じ、一度深呼吸した。
うまくいかないのは当たり前だ。ナマエとはまだ会ったばかりで、まだまだ人生経験が少ない自分と比べ彼女は豊富だ。最初から仲良くなれる人間なんて早々いない。ましてや男女である。いくらなんでも意識はしてしまう。

もっと、フランクに接するには、ナマエとの距離を縮めるには。



「やり直そう、もう一度。僕と、ここで」

「え?」



やり直そう、という言葉にナマエはキョトンと瞬きをした。ピーターは少しだけ笑みを浮かべると、手の中のサンドイッチを一度紙の中に戻し「ふう」と身体の力を抜いた。



「僕は正直同居を反対してた。なんで突然、どんな人かも分からないのに一緒に暮らすなんてありえないよ、って」

「…」

「でも、会ったら全然違くて…本当はもっと居心地が悪くて、窮屈になるものだと思ってたんだ」



窮屈とは違う、むず痒い感覚。ナマエに対して嫌な感覚なんて少しもなかった。

今日一緒に出かけて上手くいかなかったのは、話しが弾ませられなかったのはきっと、いや間違いなく照れてしまっていたんだ、彼女に。大人で、でも笑うと少し幼くて、そんなナマエにどう接したら良いのか分からず、照れていたんだ。



「出て行く、なんて思わないで」

「でも、…」

「僕のせいでそう思わせたのなら謝るよ、何度も」

「あ、謝るなんて!ピーター君は悪いことしてないです!」



ナマエの言葉にピーターはある事に気づいた。きっとこれも二人の距離や関係をうまく築けない原因の一つでもあるんだろう。

ナマエに提案するのは少し勇気がいる。今から言おうとしてることを女性にいうのは初めてだ。改めてピーターは「よし」と気合いを入れた。



「あの、さ」

「はい…?」

「その言葉遣い、やめません?っていうか、やめない?」



ピーターの指摘にナマエはハッと目を見開かせた。

ずっとお互いに敬語だったんだ。ナマエさん、ピーター君、と呼び合うだけならまだしも。どこか距離感のある話し方をしていた。そんな事をしていたら態度にだって出てしまう。距離だって出来てしまう。



「僕も、気をつける。これから一緒に暮らすんだから、こういう事から始めないとって思うんだ」

「…」

「さっき僕やメイおばさんの日常を壊したくない、って言ってくれたけど…でも、これからは一緒にいるのが日常になる。それだけの事だよ」

「ピーターくん…」

「ピーターでいいよ」



そう言ってピーターが笑うとナマエは少し考えるように視線を彷徨わせる。数秒そうして迷ったあと、チラチラとピーターを見て、恐る恐ると言った感じで口を開いた。



「…ピーター…?」

「っ……なに、…ナマエ」



呼び捨てでいいと言ったのは自分なのに、いざ呼ばれると身体が跳ね上がる。自分から彼女の名前を呼び捨てにすれば、心臓がバクバクと音を立てるほど高鳴った。

しばらく見つめ合うと、ナマエは緩やかに口元に笑みを浮かべた。



「ありがとう、ピーター」

「僕はなにもしてないよ。…あ、そうだこのサンドイッチ食べ終わったら少し歩いて街を見よう。その後に甘いものとかどうかな?」

「賛成、アイスとか食べたいかな」

「僕もさっき同じこと考えてた。ジェラートでも一緒に買いに行こ」



ぎこちなく。けれどしっかりと。
少しずつ言葉を交わすうちに段々と笑みがこぼれ、お互いの間に漂う空気が親しい友人と接している時のような、何気ない普通のものになっていく。

メイとは違う。学校の女の子たちとも違う。ナマエとの時間。ピーターが話せばナマエは頷き、ナマエが話せばピーターは笑う。

さっきまで緊張して、言葉すらマトモに紡げずにいたのが嘘のようだ。



「あ、そうだった!はい、アセロラ。半分こって約束したもんね」

「あ、あー、うん、ありがとう」



ただ、やっぱり。

ナマエの不意打ちには胸が忙しなくなってしまうのだ。