ナマエが来てから数日。
仕事から早く帰ってきたメイは、ナマエと談笑しつつ、彼女が淹れてくれたコーヒーを飲んでいた。
ナマエの仕事が始まるのはそろそろ。それまでは部屋の片付けをすると言っていたが、それももう済んでしまったのか、家の片付けや掃除をしたり。時々外に出て街に慣れるように努力もしているらしい。
お金は大丈夫なのか確認したところ、日本で働いていたお金をそのまま持ってきたようで、今のところ不自由はないらしい。何より彼女の支援者はあのトニー・スタークである。不自由することはまずないだろう。
「今日の夕飯はどうしようかしらね」
「私でよければ作りましょうか?」
「あら、ほんと?」
「はい、簡単なものですが、ビーフシチューかチリスープ…あとはサラダとか。メイさん仕事で疲れてますし、私は元気ですから」
「じゃあ甘えちゃおうかしらね」
そう言うとナマエは「はい」と微笑む。家の空気が随分と変わったように思う。まだ数日ではあるが、彼女が来てから人が増えたのもあり賑やかさと華やかさが加わった。
そして何より変わったのは
「ナマエ!ただいま!あ、メイおばさん!今日は早かったんだね、ただいま」
メイの甥のピーターだ。
同居の話を持ちかけた時は大騒ぎしてあれほど嫌がったというのに。数日もするとすっかり慣れてしまっている。慣れたどころか懐いたに近い。それならあの大騒ぎの意味は何だったのかと聞きたくなるほど。
学校から帰ってくるのも心なしか早い。ナマエが家にいると分かっているから寄り道せずに一目散に帰ったきたんだろう。
もちろん時間を見つけて親愛なる隣人としても活動しているのだろうが。
「おかえりなさい、ピーター。…ふふ、息切れしてる。走ってきたの?」
「えっ!あー、まあね!そろそろスポーツのテストあるからさ」
「そうなの?マラソン、とか?」
「そんなところ!」
嘘に決まってる。
笑いそうになるのをコーヒーカップで誤魔化した。ピーターはとても分かりやすい。
二人の距離が縮まったのはこの前出かけたことがキッカケだと分かっているが。ここまで一気に心を開くとは思わなかった。
ナマエはもともと笑顔を絶やさないタイプだし、相性は悪くなかったのだろう。一体二人に何があったのやら。と考えつつメイは笑みをこぼした。
「あ!ねえピーター、今日の夕飯なんだけどチリスープとビーフシチューならどっちがいい?」
「うーん、そうだなぁ…サッパリしたいからチリスープかな?」
「わかった。メイさん私少し買い物行ってきます」
「あら?なにか足りないものでもあった?」
「カットトマトの缶が欲しくて」
「え!今日の夕飯ナマエが作るの!?」
ピクッ!と反応すると、まるで子犬がシッポを振るように笑顔を見せるピーター。彼女の料理は今夜が初めてだ。朝はトーストやヨーグルトなど用意してくれるが、いずれも調理の必要がないもの。
ナマエが作る初めての料理、それだけでピーターはワクワクと胸を弾ませていた。
「はぁ…私の料理でもそういう反応してくれれば嬉しいんだけど」
「も、もちろんメイおばさんのご飯も美味しいよ…!!」
「ハイハイ、ありがとう」
「ふふ、私すぐ買いに行ってくるので二人とも待っててください」
そう言ってハンドバッグを持つナマエをどこかそわそわした様子で見つめるピーター。
きっと一緒に行きたいのだろう、と察するとメイは「ナマエ」と支度をする彼女を呼び止めた。
「はい?」
「ピーターも連れてってあげて、荷物持ちもしてくれるわよ」
「でもメイさん、ピーターはいま帰ってきたばかりできっと疲れて、」
「大丈夫!行く!疲れてない!」
ナマエが言い切る前に割って入ると、ピーターは背負っていたバックパックを部屋へと放り投げる。ぽかん、とその様子みていたナマエだが次の瞬間「ふふっ」と吹き出すと楽しそうに笑ってみせた。
「ピーターってば、やる気いっぱいだね、あはは」
「そ、そうかな?でもほらメイおばさんの言う通り、荷物持ちは必要でしょ?」
「それが缶詰一つでも?」
「それが缶詰一つでも!」
そう言うとピーターも「ぷっ」と吹き出して笑う。
「行こう、ナマエ」
「うん。メイさん行ってきます」
「気をつけてね」
パタン、と扉が閉まるとメイは微笑み混じりのため息をつく。
ピーターとナマエ。二人がこんなにも仲良くなると思っていなかった。たった数日で二人で笑い合って出かけていくほど親しくなった。ナマエが家族のようになるのもそう遠くはない。それどころか、もう既にほとんど家族のようにすら思えている。
きっといつかは姉と弟のような関係に、
そこまで考えてメイは思考を止めた。手のひらでマグカップ揺らすと窓の外から「ナマエ早く行こ!」と、声が聞こえてくる。
「姉と弟……ねえ」
あるいは、それよりも、もっと深く。二人の距離が縮まる可能性も、無くはない。その可能性は特にピーターに対して思っている。どちらが先に想うかとしたら間違いないだろう。
「もしかしたりするのかしら」
誰も聞いていないメイの独り言。未来を想像して、少し楽しくなった。
・・・
「ナマエ、缶詰あったよ!」
「ありがとうピーター」
カートに入れ、さあ次と言って二人で歩き出す。夕食の時間だからだろうか、人がおおいスーパーをナマエと並んで歩くのはピーターにとって少しくすぐったいものだった。
ふと、見回せば夫婦で来ている人も少なくない。「今日はなにがいい?」「魚の気分かな」「あなたがさばいてよ?」なんて言葉を交わす夫婦をぼんやりと見ていた。
「ピーターに来てもらって正解だったかも」
「えっ!なに!」
突然声をかけられ、ピーターは視線を夫婦からナマエへと移した。妙に胸がドキドキと音を立てている。カートを押すナマエがピーターを見てニコリと微笑む。
「考えてみたらここのスーパー来るの初めてでね。ピーターが来てくれなかったら缶詰がどこにあるのかも分からなかったかな、って」
「あー、そっかそうだよね、付いてきてよかった」
「ありがとうね」
「お礼なんて別に、ナマエの為だし……あっ、今のは別に変な意味じゃなくて…!」
何を言ってるんだ、と慌てて弁解するピーターを見てナマエは微笑むばかり。本当にいつも、どんな些細なことでも笑ってくれる。穏やかなその笑顔を見てると胸の内がざわざわして、妙な感覚に陥るのだ。
「ナマエは、料理とかよくするの?」
「え?」
「買い物に慣れてるし。日本で、家族とかに作るのかなー、って思って」
誤魔化すように絞り出した質問。
ナマエを見ると、まるで時が止まったようにピーターを見つめていた。
「ナマエ…?」
変なことを聞いてしまったのかと僅かに焦り名前を呼ぶ。するとナマエは一拍置いたのち、はっ、と目を見開かせ、そしてまたいつものように微笑んでる見せた。
「ナマエ?大丈夫?」
「うん、ごめんね。ちょっと考えごとしちゃって」
「考えごと?」
「日本でのこと少し思い出してたの」
懐かしむように呟いて、それから目の前の棚に置いてあったローズマリーの瓶を取るとカゴに入れた。
「料理は得意ってわけじゃないんだけど、作るのは好きでね。自分が食べるより、誰かに食べてもらう方が好きかな」
「そうなんだ、何だかナマエらしいね」
「そうかな?」
「そうだよ、自分の為より人の為って感じがする」
「美味しいって言ってもらえるのが嬉しいんだ……ピーターは言ってくれるかな?」
まるで悪戯をする子供のような笑みを浮かべるナマエに、ドキリと心臓が跳ねた。心なしか顔も熱い。
「ふふ」といつもの笑顔に戻ると「行こっ」と言って歩き出すナマエの後をピーターは慌てて追う。
「っ、言うよ!絶対!」
彼女が作るものは美味しいんだ、って食べなくても分かる。たった一言、言葉にするだけで喜んでくれるというなら、何度でも伝えたい。
ピーターの言葉にナマエは「かんばらなきゃ」と言って笑って見せた。
やっぱりナマエが笑うと不思議な感覚がしてどうにも落ち着かない。