その事に気付いたのは寝る間際のこと。
ナマエの作ってくれたチリスープは絶品だった。毎日食べたいな、と思うほど美味しかった。デザートにゼリーを食べ、それぞれ部屋に戻ったりテレビを見たりシャワーを浴びたりと、自由な時間を過ごした。
最初にメイおばさんが「もう寝るわね」といって寝室に行き、僕とナマエもそろそろ寝ようかとお互いの部屋に戻った。
明日の支度を簡単に済ませ、ベッドに身を潜りこませ、うとうと瞼が下がり始めた頃。
−−−バタンッ
誰かが家を出た音が聞こえた。
誰だろうなんて考える必要はない。メイおばさんがこんな時間に黙って出かけたことなんて一度もなかった。ナマエだ、とすぐに気付くと身体を跳ね上げるように起き上がらせて窓から外を見た。
部屋着のロングスカートに、薄手のカーディガンを羽織ったナマエが歩いていく。背中しか見えず、表情は分からない。
「こんな時間に、何で」
危なすぎる。ナマエは女の人だし、まだこの街に慣れてない。夜は比較的静かだが、だからと言って安全な訳ではない。夜だからこそ危ない。それにナマエは綺麗だ。何かあってもおかしくない。
どうしよう、どうしよう、と考えているうちに彼女の背中はどんどん小さくなっていく。
何かあってからじゃ遅い。そう腹をくくるとクローゼットに手を伸ばした。
・・・
『こんばんは、ピーター』
「やあ、カレン」
『こんな時間に外出とは珍しいですね』
まあね、と適当に濁しつつ糸を飛ばしアパートの上からナマエの姿を探した。
あのまま追いかけて見失ったりしたらそれこそ大変だからと、スパイダースーツを着て飛び出した。夜の街は静かで昼の景色とは違う。隅から隅まで目を凝らすと、ナマエの姿はすぐに見つけられた。
「見つけた、よかった…!」
『ナマエ様をお探しだったんですね』
「そう、こんな時間に一人で出るなんて心配で……って、なんで様付け?」
『彼女に危険がないように、とスターク様が情報をプログラミングされました』
「スタークさん……なんというか、過保護だね」
そういえばナマエとスタークさんの関係を僕は知らない。このスーツにプログラミングを施したと言うことは、そうまでしてでも守りたい対象のようにも感じた。
「ねえ二人ってどんな関係なの?」
『ピーター、ナマエ様が離れていきます』
「うわ、まずいっ!追いかけなきゃ!」
質問を切り上げアパートの屋上から隣のアパートへ。慌てて飛び移り再びナマエの姿を探す。どこにもいないと慌てる僕にカレンが『ナマエ様を見つけました』と言った。
カレンの指示する方を見るとそこは公園。僕とナマエが初めて出かけた日にサンドイッチを食べたあの公園だった。その時二人で腰掛けたベンチにナマエの姿を見つけた。
そっと木の上に登ると、草陰からナマエを見た。自分がすごく気持ち悪い、まるでストーカーみたいな気もしたが、決してこれは悪い事ではないと言い聞かせた。
「ナマエ…」
ぼんやりと夜空を見上げてる彼女。
よく笑うのが印象的だったからだろうか。無表情のナマエはすごく新鮮で、少し胸が締め付けられた。
『体温の上昇、心拍数の増加を感知しました』
「ちょっとカレン、今はそんなの感知しないでよ…!」
『ピーター、あなたはリズを乗り越えたのですね』
「ちが、!…いやちゃんと乗り越えたけど、ナマエに対してはそういうことじゃなくて…!」
リズとは色々あったし、カレンに相談したこともあった。結果としてはまあ上手くいかなかったわけだが。だからと言ってすぐナマエにいったとか、そういう訳ではない。
これは心配してるからだ、純粋に。そう、すごく純粋な気持ちだ。
『話しかけなくてよろしいのですか?』
「僕だってバレないかな?」
『マルチボイスチェンジャーをお使いになりますか?』
「えっ、何それ」
『変声機能です』
「あー、なるほど、そんな機能もあるんだ。じゃあそれ、使ってくれる」
『声のタイプをお選びください』
「タイプ!?」
何のことか分からずうっかり声を上げてしまう。あわててナマエを見たがどうやら気付いていないようで安心する。
変声機能はとりあえず無難に青年モードをチョイス。カレンには『完璧な変装のためには渋い声がいいかと』と勧められたが、あまりに野太い声すぎて却下した。
「すごい僕じゃないみたいな、カッコいい声してる」
『正確にはピーターの声ではありません』
「…わかってるよ」
冷静なカレンに溜息をつきつつ木から降りた。
ナマエは未だに空を見上げていて僕には気付いてない。そっと近付くと意を決して声をかけた。
「やあ、こんばんは。こんな時間に一人で散歩?」
「っ、きゃあぁ!?」
「あっ、ご、ごめん!」
「なに!?だれ…!!」
「お、驚かせた!?ごめんね!?」
身体をビクリと揺らして悲鳴を上げたナマエに慌てて謝る。
相当驚かせてしまったのか、こちらを振り返り、目を大きく開かせたまま固まってしまったナマエ。目尻に少し涙も浮かんでいて、ものすごい罪悪感を感じた。
「……あの、ごめんなさい…スパイダーマンです」
せっかくカッコイイ声なのに、なんとも情けない始まりになってしまった。