「ナマエって言うんだ!僕はスパイダーマン、よろしくね」
「よ、よろしく」
知っている名前を初めて聞いたかのようにするのって案外難しい。
スッと握手を求めればナマエはたどたどしく僕の手を握り返す。ピーターの時の僕と出会った時の彼女からは想像も出来ない顔をしてる。僕に対しての態度じゃないけど、ちょっと切ない。
「あなたは、その…えっと」
「スパイダーマンでいいよ。親愛なる隣人!ヒーロー!」
「し、親愛なる…」
「あ、僕のことスパイディって呼ぶ人もいるかな」
「じゃ、じゃあスパイディ、でしょうか?」
「うんいいよ!あ、丁寧な言葉はしなくていいからね!」
戸惑ったように「わかり、わ、わかったわ」と呟いてから、「スパイディ」と呼んでくれるナマエ。必死に今の状況を理解しようとしてるのか「スパイディ、うん、スパイディ」と自分を納得させるように繰り返し呟く。
こんな顔初めて見るなぁと眺めていたらナマエがチラリと僕を見上げた。
「ね、ねえ…スパイディ?」
「なに?」
「そのカッコ、息は出来るの?」
「ぶはっ」
流石に想像してなかった質問に思わず吹き出した。
息出来るの、ってそりゃ出来るけど。出来てなかったら今頃僕はとっくに死んでる。
「できるよ!大丈夫だよ!」
「そうなんだ、不思議……、ねえ、もし嫌じゃなければ、触ってもいい?」
「ど、…どうぞ?」
承諾するとナマエは「ありがとう」と一言呟いてグッと近付いた。不思議そうに僕の頬に触れてくる。
きっと僕が顔を隠しているから距離感をわかっていないんだ。マスク越しだけど、僕の目には至近距離にナマエの顔がある。「すごい」と言って頬やら腕やら触るナマエ。
…うわぁやばい、なにこれ、すごいドキドキする。いま絶対変な顔してる。マスクしててよかった。
「ふふっ、マスクしてるのに少しだけ表情がわかるのね」
「えっ、変な顔してた!?」
「違うわ、あなたの動く目のことよ。表情はマスクしてるから私にはわからないわ、ふふ」
おかしそうに笑ってから「ありがとう」と言い僕から離れたナマエ。
マスク越しに顔に触れられてドキドキしたけど、それよりも、ようやくナマエが笑ってくれた事に心底安堵した。さっき突然声かけた時のような驚いて涙目のナマエを思い出すとどうしても罪悪感を覚えてしまうけど。
「ねえナマエはどこからきたの?」
「日本から最近来たばかり」
「クイーンズはどう?快適に過ごせてる?」
「最初はどうなるかなって思ってたんだけど、一緒に住む人たちがすごくいい人でね、おかげでなんとかやっていけそう」
ナマエの言葉にドキリとした。
すごくいい人。それは勿論僕だけじゃなくメイおばさんも含めてのことだけど。それでもナマエが僕たちのことをよく思ってくれてるならこんなに嬉しいことはなかった。
「いい人たちなんだね」
「そう。あのね男の子がいるんだけどね」
「えっ!」
これは間違いなく僕のことだ。どうしよう、聞きたいでも聞きたくない。ナマエがこれから話す内容を一瞬で色々想像してしまう。耳元で『ピーター落ち着いて』とカレンの小声が聞こえるけど、全然落ち着かない。
「その男の子、私が来たことでかなり困ったと思うの」
「…」
「最初は目を合わせてくれない事もあって」
「嘘!!?」
そんなことしたっけ!?
自分の行動が思い出せず声を上げてしまった僕にナマエは「え?」と聞き返してくる。「な、なんでもないよ、目を合わせないなんて!まったくとんでもない少年だな」なんて言って誤魔化す。
「でもね、初めて会った時からきっとこの子は優しいんだな、って感じてたの」
「…それは、何で?」
聞き返しておきながら、ドキドキしてる。ナマエが僕のことをどう思ってるかなんて、聞けると思わなかったから。
「荷物を一緒に運んでくれたから」
「そっか………え、それだけ?」
「うん、それだけ」
それだけなの!?って声を上げそうになるけど、クスクス微笑むナマエはなんだかすごく可愛く見えて、言葉が出なくなってしまった。
「でもバランス崩した私を支えてくれたり…優しいなって思った」
「そう、なんだ」
「結構ね、頼りにしてるの。その子のこと」
ナマエが柔らかく微笑む。横顔しか見えないけど、その笑顔と言葉にどうしようもなく心臓が音を立てた。
頼りにしてる。ナマエが、僕を。
ナマエは年上で大人で、たまに力強く手を引いてくれる太陽みたいな人で。不意打ちが多いから僕はいつもドキドキさせられてばかりなのに。
「年下なのにね、ふふ、おかしいでしょ」
そんな彼女の笑顔を見てると安心するような、不思議な気持ちになる。なんだろう、すごくむず痒くて、変な感覚だ。
「おかしくなんてないよ、きっと……その子も頼って欲しいと思ってる」
「…そうだといいな」
「一番に、ナマエの力になりたいって思ってるよ」
本当に、そう思う。
少しお互いに沈黙をしたあとナマエはホウと溜息を吐き「たくさん話しちゃった」と言ってまた微笑んだ。
「今度はスパイディの話を聞いてもいい?」
「どうぞ!あ、でも答えられる範囲でね」
「うん、気になってたんだけど、………スパイディは、アベンジャーズ ?」
「僕?僕は、違うよ」
誘われた事もあったけど、あれはスタークさんが僕を試していただけで正式なものじゃ無かったし。それに僕は親愛なる隣人。アベンジャーズやアイアンマンへの憧れは今でもあるけど、手に届く所を確実に守るヒーローだ。
「…違うの?」
「うん。あ、もしかして、残念に思ってる?」
「全然!違うなら違うで良いの!」
この時、何故だろうナマエの顔がすごく安堵したように見えたんだ。
僕がアベンジャーズ じゃなくて安心した、そんな顔だった。聞いて良いのか分からず言葉を詰まらせた僕に気付いているのか、気付いていないのか、ナマエは「あのね」と言葉を続けた。
「私の国にはアベンジャーズみたいなヒーローいないの」
「え、そうなの?」
「もしかしたらいるのかも知れないけど、話題になったことはないかな」
「平和な国なの」と言うとナマエは微笑む。確かにアベンジャーズには色んな人がいるけど、日本とかアジアの人はいなかったなぁ。ナマエの言う通り平和な国なんだろう、うん彼女にぴったりだ。
うんうん、と頷いているとナマエがまじまじと僕の顔を見ていることに気づいた。
「僕の顔になにか付いてる??」
「ううん、違うの。あなた、声は大人っぽいけど、喋り方は幼いなぁって思って」
「え!!」
「普段は何をしてるの?社会人?それとも、」
「あーー!気付いたらこんなに遅い!そろそろ帰った方がいい!そうしよう!」
「でもあなたの話をまだ」
「僕の話はまた今度!」
さあさあ帰ろう、送るから!と言ってナマエに手を伸ばす。
ナマエは少し膨れて、でも微笑んで「ずるいなあ」と言うと僕の手を取る。引っ張るようにイスから立たせるとお互い手を繋いだまま。離すタイミングを失った僕にナマエは「ふふ」と可笑しそうに笑った。
「また会えるかな?」
「も、もちろん!ナマエとはまた会えそうな気がしてる!」
朝起きたら、いや家に帰ったら会える、とは口が裂けても言えないが。
「私も、またあなたに会いたい」
正直いまドキッとした。
正体隠して会って、更には色んな話を聞き出すなんて狡いことしてると思ってたけど。ピーターじゃない人と接しているナマエは新鮮で。
ナマエから見た僕の印象も聞くことが出来てしまったから、これはこれで良かったのかなって思えてきた。ずるいけど。
「ありがとう…、そうだ家まで送るよ」
「大丈夫よ、すぐ帰るから」
「すぐ帰ってもそれまでに何かあったら僕が困るから、だから送る」
そう言うとナマエは「じゃあ送ってもらおうかな」と微笑んだ。ナマエを抱えて飛んでしまっても良かったんだけど、それだとあっという間に終わってしまうから歩いて帰った。
スーツを着たままのんびり歩いていたからだろうか。ナマエが「ふふ、目立つわね」なんて言って笑ってて。
街灯に照らされた笑顔が、なんだかとても、可愛かったんだ。