踊らされる


 いつもの店に足を運んだ根付であったが虚しくも彼は今日ここには来ないらしい。彼が雇用しているバーテンダーから受け取った言伝はどうやら住所のようで、お礼の意を込めてカクテルを一つ注文した。ゆっくりと味わう暇もなかったことを申し訳なく思いつつも、根付は店を出てタクシーに乗り込んだ。運転手に住所を伝え、街中を走ること数分。到着したのは有名な高級ホテルだった。仕事上、ボーダーの外でもスーツを着ることを習慣づけておいてよかったと今日ほど思ったことはないだろう。
 言伝にあった番号を頼りに指定された部屋を目指すと驚いたことに最上階ではないか。大企業の社長になったと聞いただけでも現実味のないことだと衝撃を受けたのに、と頭痛を覚えた。しかし思わず額を抑えながら部屋のチャイムを鳴らす根付をさらに驚かせたのは、ドアが開いてから見えた彼の姿だった。

「なっ……!」
「何その反応。寒いから早く入って」

 出迎えてくれた彼はなんと下着しか身につけていなかった。しっとりとした肌に濡れた髪、申し訳程度に肩にかかったタオル。どうやらシャワーを浴びた後のようだ。さすがに彼のこんな姿を誰かに見られたら堪ったものではないと根付はすぐに部屋へと入りドアを閉めた。吐き出しそうになった溜め息をぐっと抑えてゆっくりと振り返る。髪を拭きながら部屋の奥へと向かう彼の後ろ姿、とくに腰から下へと無意識に視線が向かってしまう。高身長でスラリとした脚は健康的で無駄な肉はついておらず、少し色白寄りの素肌はシャワーを浴びたおかげでほんのりと色づいている。
 その時脳裏に思い浮かべてしまったのは初めて彼を抱いた夜のこと。あれ以来、ともにベッドで夜を過ごしたことはない。彼曰く一度寝た相手とは二度寝ない主義だそうだ。ただ、自分を好きにならなければ抱いてもいいと言われた根付だったが、それは無理な話だと誘惑から目を背けたばかりなのだ。現状はただただ生殺しである。
 根付がよく利用するビジネスホテルとはまったく違うリッチなホテルの一室は、無駄に思えてしまうほどの広さがあった。ベッドのサイズにしたって一人で使用するにはあまりあるほどだ。そのベッドの上に、シャツを羽織っただけの彼が柔らかそうなクッションを背に座っている。先ほどから目を奪われている脚は未だ無防備に晒されたままだ。

「苗字くん、いい加減ちゃんと服を着たらどうだい」
「ここには俺とあんたしかいないんだ。楽な格好くらいさせてよ」
「ッ私がいるんだ。まったく目のやり場に……困るだろう」

 何を口走っているんだと恥ずかしくなって口元を抑えながら目を逸らすも、チラリとシーツにシワを作る足元にまた視線を向けてしまう。もちろんそんな根付の仕草を彼が見逃すはずがなかった。

「なぁ、上着脱いでこっち来て」
「は、ぁ!? 君、私の話聞いていたかい?」
「いいから。早く」

 彼に好意を抱いている以上、セックスはしない。それは解っている。解ってはいるがどこかでなにかを期待してしまっている根付は、言われた通りに上着を脱いで上質なソファの背もたれにそれをかけるとベッドの上へと乗り上げた。なぜか正座をする根付を前に脚を抱えた彼は膝に顎を乗せながら試すような視線を寄越した。

「脚、好きなんだ」

 疑問系ではないその問いかけに無言の肯定を返すことしかできない。彼に隠すのは難しい上に、否定しようものならたちまち論破されてしまうだろう。仕事で鍛えた詭弁論弁も、感の鋭さなのか彼に通用したのは数える程度だ。情けないことに出会った時から手に負えない相手だった。
 話を戻そう。根付はあまり自覚していなかったが綺麗な脚を好んでいる。とくに普段は見ることのできない人の脚だとつい目がいってしまう。スカートやショートパンツスタイルの人の脚への関心はどうやら薄いらしい。隠されていたものが暴かれる、そこに興奮を覚えているのだろう。と、こんな状況になってしまった今ようやく理解に至った。
 冷や汗をかく根付になにを思ったのか、彼は抱えていた脚の片方をすっと正座している太ももへと乗せた。そのまま足の裏で太ももを撫でるように、脚の付け根のほうへと滑らせていく。その行為に根付はごくりと唾を飲み込んだ。

「ふーん……いいよ、触っても」
「大人を、揶揄うものじゃないよ」
「俺だってもう大人だけど?」

 その甘い罠に誘われてはいけないと頭では理解できていたのに、根付の手は躊躇いながらも彼の脚に触れた。力の入っていない脹脛の筋肉は柔らかく、揉んでいるうちに緊張で冷たかった指先も次第に彼の体温で温められていく。他人の脚なんてまじまじと触る機会なんて今までなかった。だからどう触れていいのかが解らない。彼はただじっとこちらを観察するように見つめているだけで何も言わず、恥ずかしさから根付は視線を下げた。
 気付いたことが一つある。それはあの夜には気付かなかったことだ。おそらく、いや確実に、初めて彼を抱いた時は必死すぎて見えていなかった。綺麗に見えた彼の脚にはいくつか傷跡があったのだ。下腿にある傷跡を上から順に指でなぞっていき、辿り着いたつま先は爪が綺麗に整えられている。足首を持ち上げると彼はクッションに身を預けてしまい、完全にこちらの好きなようにさせるつもりのようだ。それならばと、根付も腹を括るしかない。
 足背とつま先に口付けをしながらするりと脹脛を撫であげていく。何度も唇を寄せて脛を舌で舐めてみると一瞬筋肉が強張った。その反応に悪くないのだと察し、踝あたりから膝下まで舌を這わした。これは情事ではないと言い聞かせながらも自身が興奮してきていることに根付は気付いている。下腿だけには止まらず、根付の手はするすると大腿へと登っていき下着との境界線まで触れていった。
 太ももの内側には一番大きな傷跡があり、指先でそこを撫でるとそれまで黙って見ていた彼がわずかに声を漏らした。綺麗な脚は好きだが、こうして傷があるのもいいものだ。そう思いながら正座していた姿勢を崩し前のめりになった根付は、彼の片足を肩に乗せて太ももに残る傷跡を舌で撫でる。わざとらしく音を立てながら舐め、時々、歯をたてた。盗み見た彼の表情はまだ余裕そうではあったが、ぴくりと反応する身体は正直だ。
 肌触りのいい太ももに触れていた指先で下着の境界線をゆっくりと越えていく。布の下を潜った根付の指はももの付け根部分に辿り着き、優しく、筋をなぞるように何度も繰り返し撫でる。少し手をずらせば彼自身に触れてしまいそうになるがそこはぐっと堪えた。改めて確認するがこれはセックスではない。熱を持ち始めた自身は後でなんとかすればいい。
 そう自分に言い聞かせながら彼の脚にいくつか赤い痕を残していった時だった。クッションに身体を預けていた彼に突然押し倒されたのは。驚いて目を白黒させる根付の熱く高ぶったそこに彼は自身を押し当ててきた。硬くなったそれは自分と同じように情事の興奮を現していたのだ。

「ごめん根付さん。俺が我慢できそうにないや」
「あ、の話はどうなるんだいッ」
「俺がヤりたくなったから……今回は特別」

 先ほどまではあんなに余裕そうだった彼の表情が、あの夜のものと重なった。きっちりと締められたままだったネクタイを解かれ、愛撫した彼の脚が自分の脚を撫でるように絡んでくる。ここまでされると、最初から彼はこうなることが解った上で触ることを許したのではないかと思う根付であった。