ラウンジにある自販機の前で思わず「あ」と声を出したのは帯島だ。その指先は希望しているものとは全く別のボタンを押している。原因は自分でも解っていた。つい先ほどまで行っていた個人戦について考えを巡らせていたからだ。カップ式自販機の受け取り口に落ちてきたカップへと注がれる黒い液体を眺めながら帯島の口元はだんだんと引きつっていく。
「あれ? 帯島ちゃんもしかして飲み物間違えちゃった?」
そんな帯島の雰囲気を察して声をかけてきたのは犬飼であった。隣には不良高校生と噂されている苗字の姿もある。
「えっ、いや、間違えてないッス。大丈夫です」
そう口にしたものの内心では大丈夫とは言い難い気持ちでいっぱいだった。
カップに注がれたのはブラックコーヒーだ。別に飲めないわけではないが、好んでもいない。砂糖やミルクをたっぷり入れればきっと飲めるはず。間違えたからと言って捨てるのはよくないし、誰かに代わりに飲んでもらうのも気が引ける。そもそも自分が間違えたのがいけないのだからここは我慢して飲むしかないと、腹を括って受け取り口へと手を伸ばそうとした。
「どれが飲みたかったんだ」
だが苗字から声をかけられ動きを止めた。怖いからじゃない。純粋に驚いたからだ。帯島は苗字と知り合いではないが噂はよく耳にしていた。喧嘩ばかりする人嫌いでチームに所属することはない一匹狼、といったものだ。ボーダーでも彼と親しくできるのは片手で足りる程度のようで、人の多いところにも近寄らないらしい。だからこうしてラウンジにいること自体とても珍しいことなのだと思う。
「おい、どれだ」
「あのっ、本当に大丈夫ッス! 飲めます!」
そんな苗字からの気遣いに対して驚きに固まって返事をしないでいると再度声をかけられてハッとした。
同じ隊の先輩ならまだしも、初めて会話したと言える人を相手に迷惑をかけるわけにはいかない。コーヒーは飲みたくないなどとワガママを言っている場合ではないのだ。しかし帯島が遠慮をするほどに苗字の表情は険しくなっていく。まるで弓場隊長のようだなと思ってしまったのは仕方がない。
「……いいから、さっさと飲みたいやつ言え」
「……オレンジジュースが、いいッス」
申し訳なさで俯き気味で答えるが、相手はとくに気にした様子もなく隣の自販機のボタンを押した。噂なんてものは当てにならないのかもしれない。確かに纏う雰囲気やぶっきらぼうな言葉遣いが少し怖いが悪い人ではないと分かる。本当に噂通りの人嫌いであるなら、自販機で間違った品を買ってしまった自分になんて構わないだろうし。
「ほら、次は間違えんなよ。こっちのは貰ってくからな」
「あっ、ハイ」
オレンジジュースを手渡され、未だに受け取り口に入ったままだったコーヒー入りのカップを取り出した苗字を見上げる。ボーダーにいる人たちは優しい人ばかりだから、もしここにいたのが苗字でなかったとしても同じことをしてくれただろう。ただ、この人はその優しさを表に出すようなことはない。自分が好きでやっているだけなのだと言わんばかりの態度でコーヒーを飲んでいる。
もしかして不器用な人なのだろうか。そう思ったのはなにも帯島だけではないようで、苗字は隣に立つ男の表情を見て心底嫌そうに顔を顰めた。
「なにニヤニヤしてんだ気持ち悪い」
「ひど。帯島ちゃんには優しいのにおれには冷たくない?」
「めんどくせー彼女みたいな絡み方すんな」
「苗字くんひどーい」
そんな仲が良いのか悪いのか分からない二人のやりとりに、帯島は苦笑いを浮かべるしかなかったのだった。
後日、きちんとお礼をしていなかったことを思い出し苗字に頭を下げているところを弓場に目撃され、なぜか個人戦を行うことになったという。