クザンと出会う


 バイクで事故った。というのが元の世界での最後の記憶だ。気付いたら見知らぬ場所にいて、最初はあの世かと思ったくらいにその世界の海は綺麗だった。
 突然この世界へやってきた俺を拾ってくれたのは、観光地の一角を占める遊郭街に店を構える女亭主だ。つい先日雇っていた用心棒が辞めてしまい、丁度男手を探していたところなのだと笑う女将の厚意に甘える形で働き口を手に入れた。元々廃れた生活を送っていたせいか、雇われた店がそういうのを生業としていることについてはとくに気にならない。性的対象が男寄りだというのもあって、同じく雇われの身である綺麗なお姉様方にはすぐに受け入れられた。衣食住を提供されている手前、貰える給料は最低限。それでも見知らぬ土地で生きることになってしまった俺にとっては充分ありがたい。
 雇われてから数週間が経ち、この世界にも程々慣れてきた頃。少ない給料で買った本を店先で読んでいると声をかけられた。

「あー……そこの、なんだ……綺麗な顔の兄ちゃん」

 遊郭街にいる男は客か、雇われ用心棒しかいない。この店で男は俺一人だ。だから自分に向けられた言葉だとすぐに理解できた。本から顔を上げれば、一般成人男性の倍はあるであろう長身の男がこちらを見下ろしている。額にはアイマスクをつけており、目元もやけに眠そうだ。
 この世界に来て驚いたことは山ほどある。その内の一つがやたらと背の高い人間がいる、ということだ。聞けば巨人族なんてものもいるらしい。まるで夢物語やお伽噺だ。実際に目の当たりにするまではさすがに疑い続けるが、こうして馬鹿でかい男が目の前に現れたら信じるしかなくなるのだろうな。

「聞いてる?」
「俺は売りもんじゃねぇ」
「まぁ、そりゃあ分かってる。初めて見る顔なもんでね」

 じろじろと観察するような視線に不快感が増し、無意識に舌打ちする。

「なに、あんた常連?」
「あららら……おれのこと知らない? ちょっとは有名だと思うけど」
「知るかよ。他人に興味持つほど余裕ねぇし」

 ナンパでもするかのような口調に、付き合うのも面倒だと視線を外して読みかけの本へと戻した。俺はただ娯楽のために本を読んでいるのではない。何も知らないこの世界の知識を少しでも得るため、なけなしの給料を犠牲にしている。つまり高校入学からまったく縁のなくなった勉強をしている真っ只中というわけだ。だからそれを変な男に邪魔されるのは不愉快でしかない。
 完全に相手にされないと思って諦めたのか、男はのそのそと店の中へと入っていった。すると店内からは「大将さん久しぶり〜」と甘ったるい声が聞こえてくる。どうやら本当に常連のようだ。なら顔くらいもう少しまともに見ておけばよかった。
 大将、と呼ばれていた男は海軍の人間らしい。女将から聞いた話によれば、海軍とは元いた世界でいうところの警察と似たような組織だとか。つまり、俺が苦手な部類の人間ということだ。残念ながらアイマスクをつけたナンパ野郎という記憶しか残っちゃいないが、お堅い印象を受けなかっただけましだろうか。
 と、そこまで考えてから思考を振り払い、本の文字を目で追い始めた。