その男は不定期に店へとやってきた。朝までしっかりと楽しんでから帰る日もあれば、ちょっと顔を出しに来ただけの日もある。営業中は大抵店先で待機している俺はよくその男に話しかけられた。どうも娼婦の姐さんとベッドの上で致している最中にいろいろと聞いたらしく俺に興味をもったようだ。まったく余計なことをしてくれたと心の中で愚痴る。
世話になっている手前、本人に文句は言えない。箝口令を敷いてるわけでもないから事情を知られるのは避けられなかった。といっても、俺が別の世界で生きていた人間だということは女将にしか話していない。
つまりこの男が知れたのは、せいぜい新しく雇われた記憶喪失まがいの青年、といったところだろうか。
「はいよ、これ」
「どうも」
男から渡されたのは数日分の新聞だ。二度目か三度目の会話の時だったか、本当になにも知らないんだなと呆れられて以降、社会勉強だと言いながら時折こうして渡される。俺が知りたいのは世界の常識であって情勢ではないのだが、知識があって損することはないだろう。新聞は女将も買っているが、毎日カモメが飛んでくるわけではないからどうしても欠番が生まれる。その点、この男は海軍の人間だからしっかりと手に入るらしい。
新聞の束を脇に挟んで一部だけを広げる。この世界に来て助かったことは、言葉が通じることと文字は基本的に英語だということだ。いくら不良高校に通っていたとはいえ中学まではそれなりに真面目な学生だった。英語の読み書きはある程度余裕だ。
軽く目を通しながら、興味のそそられる見出しはないかと次々にページを捲っていく。
「ちゃんと読みなさいよ」
ナンパの次は母親のようなことを言ってくる男の声を無視して、さらに次へとページを捲った。すると間に挟まっていた紙が数枚、ひらりと両腕の間を抜けて落ちていく。
「手配書があるなら言えよ」
「ゆっくり読んでれば防げたんじゃねーの?」
まるで俺のせいかのような言い草に溜め息を吐いて、地面に落ちた紙を拾い上げた。裏返すと大きく書かれたWANTEDの文字と凶悪な顔写真。問わずとも、いかにも手配書ですとそれが示している。今回のは初めて見る顔だ。まぁ、今までもこれからも全部初めて見る顔ばかりが並んでいるわけだけど。そう自嘲気味に笑い、新聞を折り畳んで数枚の手配書を眺める。
今、この世界は大海賊時代と呼ばれているらしい。店に来る客の中にも海賊はいる。たまに手配書で見たことのあるお尋ね者も来店するが、客とあれば海軍だろうと海賊だろうと関係ない。というのが女将の方針だ。そうでなきゃ商売やっていけないのだろう。
「見知った顔でもあった?」
「……いや。好みの顔だと思っただけ」
「え。お前さんこういうのがタイプなの……」
「まぁ、あんたよりは」
「急にグサッと刺すんじゃないよ」
ひでぇなぁ、と隣でぼやく男はどうやら今夜は姐さん方の相手をする気はないらしい。脇に抱えた新聞とともに手配書を手近な樽の上に乗せ、店の壁に背を預ける。
「もう読まねぇの?」
「後でゆっくり読む。あんたが暇そうだから話相手くらいにはなってやるよ」
「……嬉しいこと言ってくれちゃって。どうせなら一発ヤっとく?」
「あんたタイプじゃない」
「あーらら……フラれちゃったよ」
少し付き合えば満足してさっさと帰るだろう。なにぶん店先に図体のでかい男、しかも海軍大将がいては鬱陶しい上にただの営業妨害だ。とはさすがに口にはしなかった。