サッチと出会う


 数ヶ月振りの陸に逸る気持ちを抑えきれず、足の向くまま身を任せてやってきたのは所謂遊郭街だ。ずっとこの時を待っていた。しかしどうだろう。店先には女の姿がない。どこの店に入っても満室だと言われる始末。これも全部船を降りる前にあれこれと雑用を押し付けてきたマルコのせいに違いない。ちょっとばかし報告書の手抜きをしたってだけでこの仕打ちだ。あいつにはユーモアが足りない。
 船は数日滞在する。仕方がないから明日また出直そうと、来た道を戻るためにクルリと踵を返す。その時、サッチの鼻を掠めたのはなんとも香ばしい匂いだった。料理人として美味そうな匂いにはどうしても惹かれる。そう、美女の魅力に惹かれるように。まるで犬のように香りを追っていけばとある娼婦店へと辿り着いた。だが匂いは店内からではない。スンスンと匂いを嗅ぎながら顔を左右へ動かし、より香りの強いほうへと足を進めていく。
 すっかり陽が落ちて薄暗くなった横道を抜けた先、店の裏手で一人の青年が木箱に座って何かを食べていた。香りの正体はあれだろう。

「よう。美味そうだな、それ。この店で出してる料理か?」

 言いながら近寄っていくと警戒するような瞳を向けられる。突然気安く話しかけられたら当然の反応だ。サッチは自分に敵意がないことを示すため、両腕を軽く上げて手を振った。すると青年は少しばかり肩の力を抜いたようだ。

「ここはレストランじゃねぇから客には出してない。ただの賄いだよ」
「そりゃ残念だ。しかしよくこんなところで食えるな」

 こんなところ、とはなにも店の裏でという意味じゃない。この店はそういう店だ。二階の窓からはあられもない女の嬌声が漏れ聞こえてくる。その声を聞きながらよく平然と食っていられるな、とサッチは感心した。

「三日もすれば慣れる」
「そういうもんか? 図太いな、お前」

 俺なら絶対に無理だな、と見上げていた明かりの点いた部屋の窓から視線を下ろした。青年は気にした様子も見せないまま賄い料理を口へと運んでいく。見たところ鶏肉と米を使った炒め物のようだ。嗅ぎ慣れない香りは、おそらくこの島で生産されているであろう香辛料だ。どんな味がするのか明日街を散策した時に確かめないと。
 青年の食べている料理を眺めながら明日の予定を立てているサッチの目の前に皿が差し出された。

「食う?」
「え、いいのか?」
「物欲しそうな顔されてると食いづらい」
「誓っておれは物乞いじゃないからな! これは料理人として一口だな──」
「食うの? 食わねぇの?」
「食います!」

 ありがたく皿を受け取り、半分ほど残った料理にスプーンを差し込む。パラパラとした米粒はそれだけで作った人が料理上手であることを表していた。持ち上げたスプーンには米と鶏肉が乗り、まずは鼻へと近づける。スパイスの効いた香りが食欲をそそった。そして一口。口の中に広がる香辛料はやはりこれまで味わったことのないものだ。これは必ず手に入れなければ。鶏肉も火がしっかり通っているのに柔らかく、下味もちゃんとついている。米はいい具合に肉の油を吸っていて、程よく付いた焦げが香ばしさを引き立てていた。

「んー、旨いな! シェフを呼べ!」
「ここにいる」
「お前が作ったのか。やるじゃねーか!」
「そんな難しい料理じゃねーし。気に入ったんなら、それ全部食っていいよ」
「いや、それはさすがにな」

 苦笑しながら皿を返し、サッチは青年が座っている隣の木箱に浅く腰掛ける。そして質問攻めにならないように雑談を交えながら情報収集を行った。気になっている香辛料がどこで売られているのか。この島には他にどんないい食材があるのか。特別な調理法は必要か、等々。出港前の買い出しに役立ちそうな情報が集まった頃には、青年もすっかりと料理を平らげていた。木箱の上に置かれた皿には米粒一つ残っていない。
 普段、粗暴な男共を相手にしているせいか、食事を綺麗に終える青年に対する好感度がこの時かなり高まった。
 するとそこでひと際大きな女の声が耳に届き、ここへ来た目的をハッと思い出す。そういえば数ヶ月も溜め込んでいるのだった、と。体が無駄な熱を持つ前にここから離れようと木箱から腰を浮かせた。

「抜いてやろうか?」

 が、そう声をかけられて石のように動きを止めてしまう。顔を横に向ければ、木箱に片足を乗せてその膝に頬を寄せる青年がこちらを見つめている。その妙に色気のある雰囲気に胸がざわついた。

「おれは女好きなんだ」

 青年に対して言ったつもりの言葉が、まるで自分に言い聞かせているように思えた。

「知ってる。ここはそういう街だ」

 膝から足首にかけて降りていく青年の手にごくりと喉が鳴る。

「男の俺が相手で萎えれば楽になれるし、抜ければそれはそれで楽になる」

 確かに。なんて納得してしまった自分がいて頭を抱えそうになった。
 女の少ない船乗りの中にはそういう奴もいる。だが俺は違うだろう、とサッチは心の中で自分に言い聞かせるように問いかける。だが答えは返ってこない。当たり前だ。目の前で欲求不満を解消してくれるであろう手がチラついているのだから。青年の顔立ちがいいのがまた判断を鈍らせた。
 さぁ、どうする。そう語り掛け、欲求を惑わせるような瞳からどうしても目が離せない。