雇われている店が閉まっている昼間。中央街へ買い出しに出ていた俺は両手に食材の入った紙袋を抱えていた。ここへ来てから数ヶ月が経ち、街の住民ともそれなりの付き合いが生まれてきている。例えば、よく食材を買い付ける店の店員には顔を覚えられ、おまけまで貰えるようになった。
元の世界へ戻りたいかと言えば、正直解らない。母は病気で亡くなり、憧れた人もいなくなってしまった。身寄りもなく一人暮らしだったし、世間から見れば厄介者の類でもあった。高校に入ってから特別親しくなった相手もいない。可愛がっていた後輩は、まぁ俺がいなくても問題はないだろう。つまり、誰も困らない。もちろん俺を含めて。なら、この世界で生きていこうとも文句を言う奴はいないってことだ。
そうして柄にもなくセンチメンタルな気分に浸りながら歩いていると、横道から出てきた大柄な男とぶつかった。元々喧嘩で培った体幹と用心棒として鍛え始めたおかげでたたらを踏む程度で済んだが、紙袋に入っていたいくつかの食材が飛び出てしまう。
男は足元に転がる果物を一見し、そのまま立ち去ろうと背を向けた。さすがに文句の一つでも言ってやろうと顔を上げ、視界に入った二文字に口を閉じる。背負った言葉とは裏腹の態度に思わず舌打ちを漏らし、もう一度口を開いた。
「おい。詫びの一言もねぇのかよ」
「なんじゃあ?」
身長差はあれど他人を見下すような眼に、あぁこいつは俺の嫌いなタイプの人間なのだとすぐに察した。落ちた果物を拾い上げ、目の前の男を睨み上げる。周囲の人々が青褪めた顔をしてこちらを伺っているのが見えた。中には止めようとする住人もいる。けれど俺は止まれない。
「正義掲げてるくせに中身は海賊と一緒だな」
皮肉るように笑みを浮かべてそう吐き捨てれば男の顔は面白いくらいに歪んだ。
気分が悪い。俺はさっさと店に戻ってしまおうと踵を返して歩き出した。強ければそれだけで偉いと思っているような奴に碌なのはいない。それはこの世界に来る前から知っていたこと。どこにでもああいう奴はいるものだ。
「おどれ待たんかい」
少し歩いたところでそう呼び止められた。シカトをするにはドスが効きすぎている声に仕方なしに振り返る。機嫌の悪さを隠すつもりはない。きっと今の俺の顔は不機嫌そのものだ。さて、生意気な奴だと窘めるつもりだろうか。そう思っていたのだが、徐に差し出されたのは拾い忘れていた食材の一つだった。
見上げた男の表情はどこか罰が悪そうで、それでいて不機嫌であった。
「すまんかった」
およそ予測していなかった謝罪の言葉に、表情筋の力が抜けて目を瞬かせる。謝るのでさえ不服だと書いてある男の顔と、差し出す手元を見比べて口元が僅かに緩んだ。
「俺も悪かった。拾ってくれてどうも」
そう言って受け取ると男はフンッと鼻を鳴らして引き返していった。ハラハラとやりとりを見ていた周囲の人たちも安堵の表情を浮かべている。相手は海軍だ。そんなに恐怖を抱くような男だったのだろうか。組織のことなど知りたいわけではないが、こうして邂逅してしまった以上は情報を持っておくべきかもしれない。海軍のことならば、店によく来る大将さんとやらに聞けばすぐに済む。
ともかく今出会った男は悪い人ではなさそうだ。まぁ、良い奴でもなさそうだけど。