サカズキと再会


 それは女将の付き添いで然程遠くはない別の島まで行く連絡船に乗っている時に起こった。海賊に襲われたのだ。砲弾による衝撃で船は大きく揺れ、女性や子供の悲鳴が青空の下で轟く。海賊船はすぐそこまで迫っていた。船内へ避難するよう呼びかける乗組員たちの手には護身用と思われる銃が握られている。だが、どう見ても彼らは軍人ではない。覚束ない手つきから察するに、特別な訓練も受けてはいないようだ。おそらく彼らの抵抗は無駄に終わってしまうのだろう。
 船内の一番奥にある部屋の中には乗客の半数ほどがいた。残りの人たちはどこか別の部屋か、パニックでまだ外にいるか。とにかく、戦う術を持たない民間人はここでじっと待っているしかなかった。来るかも分からない助けを、忍び寄る恐怖を、無抵抗に受け入れるだけ。
 運が良ければ生きられる。悪ければそこまでだ。どうせ一度は死んだ身。今こうしてこの世界で生きていることがボーナスステージだったのだろう。幸運はそう長くは続かない。これまで何度も経験してきたことだった。
 まるで他人事のようにそう思いながら、隠しきれない不安と恐怖を滲ませる乗客を見渡す。大海賊時代なんて全く最悪な時代を生きるはめになるとは、俺ですら同情してしまう。きっと生きることを諦めた奴だって多いのだろうな。
 と、そこで小さな女の子と目が合った。母親に縋りつくようにして抱き着きながら、今にも泣きそうな表情をしている。
 不意に妹の顔が脳裏に浮かんだ。あの子は母が入院する度に、お気に入りのタオルがびしょびしょになるまで泣いていた。元の世界でちゃんと生きているのだろうか。寂しい想いはしていないだろうか。結局、見つけ出せないまま俺はこの世界へ来てしまった。────あぁ、そうか。心残りが一つだけあったのか。
 ガタンッ──と大きな物音が船室の扉の向こうから聞こえた。次いで助けを乞う断末魔。誰かが喉を引き攣らせたような小さな悲鳴を漏らした。足音がこちらへ向かってくる。鍵のかかったドアノブが何度も動き、そして静寂が訪れた。
 次の瞬間、破裂音とともに木製のドアがゆっくりと開いていく。

「なんだぁ、こんなところに隠れていやがったのか」

 足を踏み入れた一人の海賊。お世辞にも綺麗とは言えない装いには血痕が付着していた。怯える乗客の反応を楽しむように銃を向ける男は、まるで値踏みをするように視線を動かす。やがて捉えたのは、さっき目が合った女の子だ。子供を奴隷として売り飛ばすゲスな奴もいると聞いたことがある。
 男の口元が卑しく釣りあがったのを見て、急激に思考がクリアになっていく。けれど、考えるよりも先に身体が自然と何をすべきかを訴えていた。
 ──今度こそあの子を護れ、と。
 冷たい鉄の感触を握りしめ、振り下ろす。後頭部に入った衝撃によろめきながら振り返った男の顎を、振り下ろしたそれで殴り上げた。間髪入れず、片足を軸にして体の回転を加えた背面からの蹴りを腹部にめり込ませる。呻きながら膝を着いた男の手元から銃を蹴り飛ばし、もう一度、後頭部目掛けて持っていた得物を振り下ろした。

「てめぇ! なにしてやがる!」

 鈍い感触が掌に伝わってきたのと同時に、視線は船室のドアへと向けられる。そこには男の仲間であろう海賊が二人、怒りの形相でこちらを見ていた。
 頭はシンプルに働いて、ただ目の前にある情報だけを整理していく。銃は持っていない。二刀のカットラスだけだ。なら、あの子に近づけさせなければいいだけ。

「なにしてる……って、それは俺らの言い分だと思わねぇ?」

 俺も、乗客を避難させようとした乗組員と同じく、海軍でもなければ特別な訓練をしたわけでもない。あの頃と変わらないただのチンピラだ。
 カットラスの切っ先が頬の皮膚を抉り、風を切る音が耳元を通り過ぎていく。持っている得物を比べれば相手のほうが殺傷力がある。それは誰の目から見ても明らかだ。体を突き抜かれたら確実に死ぬ。だからと言って、床に落ちている銃を拾う選択肢はない。使い慣れない武器は却って動きを鈍らせる。
 なにより、握った得物は随分と手に馴染んでいた。
 乱れた呼吸を整えながら倒れた海賊たちを見下ろす。鉄の匂いで胸焼けしそうになるが、まだ油断はできない。仲間が戻ってこなければ誰かが様子を見に来るはずだ。一人ずつならやれる。一人ずつなら。
 だが、遠く聞こえるのは大人数の雄叫びと、銃声と、悲鳴。まるで戦っているような、そんな音だ。
 程なくして静けさが訪れ、そして重く、木が軋んだような音がゆっくりと近付いてきた。過敏に拾ったその音に無意識に体勢を整える。指先にぬるりとした感触が伝ったが、視線をドアから離すことはできない。半分閉まりかかっていたドアの隙間から、黒い革製の手袋をした大きな手が現れた。心臓がドクリと鳴る。体に伝わる気配が、床に転がっている海賊たちのものとは全くの別物であると本能的が告げていた。
 ドアが開かれ船室に入ってきたのは、白いコートを肩にかけた、赤いスーツを着た仏頂面の男だった。

「大将赤犬だ……!」

 誰かが詰まった息を吐くかのように声を漏らした。それを歯切りに、恐怖に身を固めていた乗客たちの雰囲気が安堵に包まれたのを背中から感じとる。それでも俺は目の前の男から視線を外すことはできなかった。
 大将赤犬。
 そう呼ばれた男の後ろから数人の海兵がやってきて、船室にいた乗客たちの誘導を開始していく。女将や女の子が心配そうな顔をして出ていったのを横目に、俺はその場から動かなかった。床に転がる海賊たちに視線を向けていた男の鋭い目線が、射抜くようにこちらへ向けられる。

「おどれがやったんか」
「そうだ」
「……そいつはもう放してええ」

 そいつ、とは、なんだ。
 眉間にシワを寄せて男を見上げれば、同じく顔を顰められる。一歩、こちらに近づいた男に右腕を掴まれ、辿るように目を向ければ俺はまだ鉄パイプを握っていた。船室の壁に這うように設置されていたパイプの一部である。元は真っ直ぐであったそれは歪に曲がり、血に染まっている。なんだか懐かしい感覚だ。
 不意に掴まれた腕を持ち上げられ、男の手がパイプを握る俺の手に触れた。指の一本一本を引き剥がすように伸ばされ、やがて手元から離れたそれは耳障りな音を立てながら床に転がっていく。

「衛生兵のところへ連れていけ」

 海兵の一人にそう指示を出し、男は踵を返して船室を出ていった。酔ってしまいそうなほど濃い鉄の匂い。その原因の半分が自分の血液だと気付いたのは、軍艦の医療室に連れていかれてからだ。出血死したいのかと軍医に少し怒られてしまった。
 治療を終えて包帯が巻かれた、あの男に掴まれていた右腕に触れる。火傷してしまいそうなほど熱い手は大きく、力強かった。大将赤犬。マグマ人間。確か名前は────そう、サカズキとあいつは言っていた気がする。